銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

If it was real suicide, what would I do?    建畠晢、堀浩哉、篠原有司男、前川佳子

2017-06-22 11:01:26 | 政治

 書いてから6時間後に、『あれは、直すべきだ』と、考え始めました。総タイトルに入れていた副詞 really は、文法的には、形容詞にすべきだと。それから、文法的に言えば、would は、will だろうと。しかし、私は、みつ子さんが、自殺だとは、信じたくはないのです。だから、それが、英語的な文法では、間違いであろうと、少しでも、婉曲な表現を取っておきたいのでした。形容詞だと、自殺が、本当だったと、言う形になってしまいます。形容詞は、suicide へかかるので。間違っていることが分かっていても、それを、避けたのでした。という挿入を最初に入れてから、初稿のトップへ入ります。

 午前二時から、五時まで、前報(後注1)を推敲していました。そのご、他の仕事をして、6時間ぶりにネットを開いたら、海老蔵が、「人生で、一番泣いた日」と、言うツィートをしているそうです。どうも、真央さんに、何かがあったと、誰もが感じてしまう事態が起きたらしいですね。

 私の場合ですが、誰か、身近な、人が亡くなった場合、不思議なことに泣いたことが無いのです。結婚前は、猫が死んだだけで、大泣きをしたのに、結婚後は、子供が、猫が死んだ時に大泣きをしているのを、そばで見つめながら、冷静です。親の死に目に出会っても冷静です。

 しかし、山口みつ子さんの事を思い出すたびに、じんわりと、涙が出てしまうのです。可哀想で、かわいそうで、成りません。

  私は前報で、書いた通り、彼女は、殺されたと、信じています。今、それを裏付ける、新しい傍証を得ました。OZARUS INTERVIEW というサイトから、彼女の部分が消えているのです。亡くなった後も、有ったと、思うのですが、今、先ほど、チェックしたらありませんでした。資料としては、亡くなったからこそ、大切だと思うのですが、無くなっています。

 ~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、できるだけ、冷静で、科学的な文章を書こうとしている私としては、3%ぐらいの、割合で、世間が、喧伝をしている自殺もあるやもしれずと、書いておきましょう。でも、私が、彼女はどういう方法で、殺されたのかと言う手法の詳細を書いたら、それと、そっくりな形で、オリックスの若い投手が、赤ちゃんが、生まれたばかりだと言うのに、沖縄のホテルから飛び降り自殺を遂げました。あれも、他殺だったと、信じています。

 ただ、もし、みつ子さんのケースが、自殺だと、仮定すると、みつ子さんが、自分の部下の、白川嬢に託して、私に、返してくれた、四冊の本は、みつ子さんかのダイイングメッセージだった可能性を、感じます。

 で、私はその本を誰にわたしてほしいと言いながら、彼女に手渡したのかを、思い出しているところです。すると、それは、総タイトルに、その名前を書いた、四人だったと、成ります。

 建畠さんだけは、作家ではなくて、個展をギャラリー山口で、開いたわけではないのですが、父君の、覚造氏の作品を、みつ子さんが、長らく扱っていたので、お別れの言葉を最初に述べる人として、ふさわしいのです。

 堀浩裁さんと言うのは、私の見るところ、まじめで、明快な人で、司会などを良く努める人です。だから、堀さんの、お別れの言葉も、他の人の胸にしみる言葉となったでしょう。

 牛ちゃんは、その時、日本にいたかどうかは知りませんが、彼のブレークもみつ子さんが寄与しています。

 そして、前川佳子さん、この方は、非常に単純で、素直一途の人で、しかも、色彩感覚が美しくて豊かな内容を内部に持っている人です。しかし、鎌倉の住人なので、酒井忠康氏などから、何かを聞いたらしくて、2010年以降、大変、その態度が、変わった人です。しかし、私が、みつ子さんに、本を渡したのは、2007年ですから、その時点では、私は前川さんに対して、疑いなど、みじんも持っていなかったのですよ。

 この4冊を白川さんが、渡してくれたのが、2010年の、一月14日だと、覚えていて、亡くなったのが、17日です。14日にそれほど、几帳面に、私の依頼を思い出してくれたみつ子さんが、大量の他の人の作品群を放り出して、白川さんにすべてを、投げ与えて、死ぬわけはないのですね。絶対に自殺ではない。

~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、2007年の時点で、すでに、その四人に対して、渡っている筈の本が、2010年に、帰って来て、・・・・・それが、ダイイングメッセージだった・・・・・と、もし仮定をすると、

 野見山さんの、残酷さに、またもや、帰結をして行くのでした。彼は、心が、無い人間です。【魔弾の射手】と同じで、文化勲章と言う、名誉と、ホテルニューオータニでの個展とか、ロイヤルパークホテル、みなとみらい内の、レストランの壁画を制作するなどの、大金を得る生活と、引き換えに、みつ子さんが・・・・・誰と付き合って、余生を送るか・・・・・・の自由さえも、奪ったのですから。

 私は、今までは、野見山さんの、無責任さとは、みつ子さんが、後添えになりたがっていることを事前に察して、山口千里(せんりと読む)さんを、マネージャーに起用をしたので、それは、それは、がっかりなさったのだ、それの原因者として責任があるのに、何と、お葬式まで、潰して、残酷な人だと、書いては居ます。

 だけど、みつ子さんは、バカでもないし、子供でもないのです。2006年には千里さんが秘書をする事が、『美術の窓』紙上で、公開をされ、みつ子さんは、その後、3年間で、すでに、超越し、克服をしていた筈です。65歳ですから、若い人を野見山さんが選んだのだと、納得をしていた筈です。なお、念のために、ここでも申し上げますが、千里さんは、人妻であり、母親です。

 有名人、野見山さんの妻となる夢は破れた。しかし、人間は、生きていかなければいけないものですから、工夫をするものでしょう? 誰と、どんな頻度で、お食事を一緒にするか? また、もっと、薄い関係で、お茶だけでも、一緒にする間柄の友達は、どこのだれを選ぶか? そして、旅行にまで、一緒に行くのはどこの誰にするのか?

 実は、私とは、二週間に一度、お茶を一緒にする間柄程度が、もっとも、ふさわしい・・・・・その手の友達のひとりと成ることができたと、思います。

 彼女は、本を四冊、返すことによって、・・・・・自分は、あなたと、付き合って余生を送りたかったのだけれど、野見山さんに、阻止されて居ます。「ホンを渡すな」と言ったのも野見山さんでした・・・・・と、伝えたかったのではないでしょうか?

 私にもギャラリー山口が、盗聴をされて居ることは、判っていたし、それは、山口千里さんが、突然に、侵入してきて、蓮っ葉で、下品な声で、「誰さあ。ギャー、ギャー、言っているのは?」と叫んだ日に、彼女にもわかったのです。

 特に、その直後に、野見山さんが、「川崎千恵子とは、付き合わない様に」と言ったでしょうから、それ以降、私とみつ子さんは、すべてが判って居ながら、ただ、眼だけで、交流する間柄となったのです。

 では、なぜ、野見山さんが、そんなことを命令したかと言うと、それは、前報で、言っている通り、秋山裕徳太子さんが、保坂涼子さんの前で、私、川崎千恵子=雨宮舜を、力み切って、否定した日の夜に、恐ろしい罵りのメールを、保坂さんが、36行にわたって書いて来て、それと同じものを、101回繰り返して送信して来たエピソードが、原因です。それを、ギャラリー山口内で、語ったら、「あら、それって、きちがいだわね」と、みつ子さんが、笑いながら、言った日から始まっているのでした。

 ・・・・みつ子さん、どうして、堰を突破できなかったのですか?と、詮無くも、今、私は言います。・・・・・野見山さんなんて、顔も素敵ではないし、心もきれいではないし、作品も雑駁で、汚いではないですか? 彼は、人間が作った、装置に、うまく乗っているだけの人です。芸大という装置に、最初に乗っかったのが、成功の始まりでした。

 実家が炭鉱夫を搾取して、そのお金で、戦前にパリにわたる事ができました。そして、最後は、文化勲章です。一見すると、素晴らしい。しかし、私の目から見ると、『王様は、裸です』とか、『王様の耳はロバの耳』と言い得る存在です。

 そんな人に利用され切って、挙句の果ては、お葬式も潰されるほどに、踏みしだかれてしまうなんて、なんて残念な事でしょう。哀しくて、たまりません・・・・・と、心の中で、言っています。今は。

~~~~~~~~~~~~~

 このケースを古い話だと、仰らないでください。この6月5日に、ギャルリーユマニテは、画廊内で、文化講演会をしておりました。それは、かつて、月曜日に開かれたことはないのです。どういう意味で、月曜日に開かれたのか私には、その特殊な意味が解りますが、ここにはその詳細を述べ内で先へ進みます。それが、入り口の素通しのガラスを通して、良く見えるのですが、そのドアこそ、読売新聞が、みつ子さんが、自殺だと、大宣伝をした記事のキャプションの使われたドアなのです。

 そして、入り口がもう一つあるのですが、羅針盤と言う画廊と、共有のドアの方が、12日に閉じていたのです。そして、21日の早朝。午前二時まで、こちら鎌倉雪ノ下では、北隣の、石井秀樹、あずさ邸で、午前二時まで、テレビをつけて、見ていました。これも、その意味が、私には、きちんとわかっておりますが、皆様には、説明をしないで、先へ進みます。

 その同じ、21日の午前、九時頃、西隣の、白井・小野寺邸に、生協(大地の会か?)が、セールストークに来ていました。是にも政治的な意味があるのですが、詳細を説明しないで、先へ進みます。つまり、この2017年6月に入っても、小細工としての、いじめとか、弾圧が、4個も連続して起きたわけで、これは、書かざるを得ませんねと、成ります。つまり、ギャラリー山口のオーナーみつ子さんが、『他殺で、亡くなったのだ』と、私が、今、書いて居ることが、連中にとっては、非常に困る事だからでしょう。

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、4090463です。

   2017年6月23日に、書く。雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)なお、書いたのは、実際には、23日でしたが、パソコンシステム上のアップ日は、22日にさせてくださいませ。

 後注1、

東芝のメモリー部門の売り込み先に、政府主導で、韓国が加わったそうですが、何故なのか?+山口みつ子さんの他殺説、最終章△  2017-06-21 23:45:48 | 政治

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東芝のメモリー部門の売り込... | トップ | 京橋に60階建てのビルが建つ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事