銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

追い回されているアライグマと、弾圧されている私が、一瞬、共感しあった話。

2016-10-10 20:53:26 | 音楽

先ほど、夜の7時半ごろ、山ノ下へごみを捨てに下りて行ったのです。途中で、ひどく美しいものに出会いました。小さなお子さんなのだけれど、フランス人とのハーフだということで、お人形みたいなのです。

私はね、美しいものを見た時の身体的反応が、瞬時に現れる人間なのです。たちまちに、身内に神様が降臨されるのですね。それが、もっとも、顕著に表れるのは、お歌が自然に口をついて出てくるということです。

で、「今日はあんまりいい声が出ていませんね。今は、疲労困憊しているし・・・・・」と、思いながら、こういう風に歌が出た時は、まあ、15分ぐらい自然に、歌が出てくるので、それに身を任せるつもりで、鎌倉街道へ入って、北鎌倉へ向かいました。あたりには夜6時を過ぎると、人はほとんどいないのですよ。

途中で、鶴岡八幡宮の、流鏑馬道用の門があるのです。中ぐらいの大きさの鳥居です。そこをくぐって、誰もいない道を、『東側の鳥居まで歩くかなあ』と、思っていたのです。しかしですね。『今、自分が歌っている歌が、アベマリア(グノー)だなあ。これってキリスト教の歌だから、日本・神道の領域で歌うのは、申し訳ないかもしれない』と、思い至りました。

昔はね。美術館の職員用玄関前で、プロの朗読者と、二人で音楽会を催したこともあるのです。そこにガードマンの人も出てきて、4人で、楽しんだのでした。そのときは、ありとあらゆる種類の歌を歌ったのです。二人で、いたので、ここが、神社庁の、領域であることなど、すっかり忘れていて、宗教に気を使うこともなかったのです。が、あれから、8年は過ぎているし、しかも、今は、一人だけだし・・・・・と思うと、非常に、違うのでした。・・・・・で、何となく、気が引けて、踵を返したのです。

しかし、家の中では歌えないのですね。私の家では、主人は、7時半には布団の中に入ってしまうのです。そして、夜の八時には、ぐっすりと寝入ってしまいます。この・・・・・夜の八時から、私が銀座へ出かけた日には帰宅するのが、10時か、11時なので・・・・・その、三時間弱の、間に泥棒ちゃんは、はいるのだ・・・・・と、推察していますが、本日は、そういう難しい話は、それぐらいで、止めにしておいて、

ともかく、『家の中では歌えないなあ』と、思うわけです。が、ご降臨なさった神様は、なだめなければならないわけです。で、わが家まで戻って、その建物の外の、南側の庭で、土づくりをしながら、15分程度歌っていたのです。土づくりは毎日する仕事です。日当たりが悪い中で、植物を何とか育てるためには、ふるいでふるった、ふかふかの土の中に、苦土石灰ほかの、植物の成長にとって、よい成分を混ぜ込めて、最高のベッドを作ってから、種をまきます。時には、苗を植えこみます。

で、15分程度、歌ったら、神様も、去られたみたいなので、家の中に入ります。そして、本日は、10時間も、普段の日より遅れてしまった、花の水切りを洗面所の流しで、やっておりました。そばには、無論テレビなど、置いていない場所で、無音の場所です。

すると突然、きゃいーんという叫び声が、東北東の方向から聞こえて来ました。アライグマです。私が住んでいるこの山の中で、啼いたのです。でも、非常に不思議な気がしました。アライグマは、今、日本全国で、征伐しようという動きがでていて、人々が生ごみを厳重に管理する様になったので、最近、啼き声を聞くことが、ほとんどないのです。20年ぐらい前までは、啼きました。夜は、しょっちゅう啼いていました。叫び声に近い啼き声です。昼間でも我が家の庭に出てきて、器用にゴミ箱のばねをはずしておりましたけれど。で、今は、台所ごみはすべて、家の中に置いております。

でね、直感的に思ったのですよ。『あのアライグマは、私の声に感応して、叫んだのではないかしら?』と。つまり、この話は三段論法になっています。私は、美に感応して、神様のお導きに入り、歌を歌ったわけです。・・・・・その声に、アライグマが、『ああ、久しぶりに、ぼくは解放されたなあ。普段さあ。弾圧されて、弾圧されて、追い回されているから、身を潜めていて、声も出せないのだよ。めったなことをすると、ここに住んでいる事が、人間に判ってしまって、罠が仕掛けられるからね。で、悪くすると捕獲をされて、遠くへ連れていかれるのだ。お母さんもそれで、帰ってこなかったからさあ。それなのに、なんだか、ひどく、のびのびした声が聞こえて来るよ。天空に上る様な声だなあ。あれに、僕も感化されちゃったみたい。僕も、久しぶりにのびのびしたよ』と、感じ入って、きゃいーんと叫んだのではないかしら・・・・・と。

いや、久しぶりに、15年前の、メルマガ時代の、雰囲気が戻って来ました。私は悪い刺激を受けなければ、ひたすら美を追い、美に耽溺しているだけで、満足をする人なのです。それなのに、山の外の人たちが、悪い刺激を次から次へともたらすので、政治分析ばかりする様になってしまったのですけれどね。

まあ、あえて、彼らがそういうことを連続して来る理由を推察すれば、抽象的な世界を好み、具体的なレベルで、人と交わろうとしない人間(=この閉鎖的な山の中での、私)は、弱いと、みなされているからかもしれません。で、鶏の群が、一羽だけ選ばれたスケープゴートの、とさかをつつくような雰囲気で、攻撃をされるのかもしれません。が、私は本当は、弱くもないのですよ。具体的な世界で、喧嘩をしないだけで、弱い人間ではないと、自覚をしています。友人にも、そういわれています。だが、それが、具体的な世界で、勝負を付けたがる種類の人には、見えないのかもしれません。理解も、されないことなのかもしれません。

この一文だって、そういう政治の方向に入ろうとすれば、たちまちに、2万字程度に膨らむのですが、あえて、そういう方向へ入らずに、平和な世界で聞くことのできる音だけの話で、終わらせておきましょう。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3715274です。

 雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

 この一文は、実際には、2016-10-12 20:53:26にアップするのですが、日付だけは、10日にさせておいてくださいませ。こちら側の整理の都合です。

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