ポルノ動画を校長室で、編集していた校長(中学)のニュースには、動転しました。しかも、動画に登場するのは、教え子ですって……そこから、先生とか担任というものにまつわる思い出が、グワーッと、沸き起こり、それを、順次書いて居るところです。これは三回目です。
副題1,『私は1974年には大トラブルを抱えていた。ご近所・住人・上滝家では、お嬢さんを、幼稚園に行かせず我が家で、私に面倒を見てもらおうと、カッコウの托卵を決め込んだ。それは、母親に、フロイトの言う、異性の子供はかわいいが、同性の子供はかわいくないと、言う傾向が強く表れていて、娘に対する愛情が無かったからだ。
そこの旦那は、ときわ相互銀行に勤めていて、たぶん社内恋愛結婚だから、妻もフィナンシャル知識がある夫婦で、一万円の通園費(ただし、50年前ではあるので、現在だと、三万円ぐらいか?)を惜しんで、娘の方だけ、幼稚園に行かせないことにしたのだった。投資信託に回せば、相当な利殖になると考えたのだろう。
これは、のちに養老孟司先生を巻き込む大・政治・問題へと発展をしていく。横浜銀行が、利益を落として行く事になる、東日本銀行(旧名 ときわ銀行)と合併を決め、コンコルディア銀行と改名したのも、この上滝という一家が、主要な人物として、機能して、CIAが動いたからだ。とても、大切な問題なのだが・・・・12日に精魂込めて書いたのに、14日にこのパソコンから消えてしまった。
上滝という一家は、我が家が北久里浜にあった時期に、西隣だったのだが、養老先生が、妙本寺とのお見合いで、援助した遠藤家は、鎌倉に引っ越してきてからの西隣であり、たぶん、両方ともに、夫(=父親)東日本銀行勤務だと、思われる。
上滝家のお嬢さんは、今、は、54歳になっている筈だ。遠藤家のお嬢さんが、妙本寺という大富豪に、お見合いで嫁いだように、彼女もお見合いで、高給を、家に持って帰る、サラリーマンと結婚をしている筈なので、上滝という姓は、捨て去っていると思われ、それを頭に入れて、私は、シリーズを書いて居る。しかも政治的に、どういう風に、北久里浜と鎌倉と茨城県が、繋がっているかを、以前よりはっきりと、このシリーズの第一回目(=12日)に描いた。ところが、14日に悪意あるハッカーが、それを消し去ってしまった。
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副題2,『あのネコメンタリー6ヴァージョンによって、私は、妙本寺のお見合いで、養老先生が、仲人の一人だったことを知る・・・・・無論のこと、お見合いそのものは伊藤玄二郎と、井上ひさしの発案であった』
14日に、どうしてこのブログ文から、重要な、部分が、消えたかというと、大物CIAエージェントである伊藤玄二郎にとって、養老先生は、掌中の玉と言ってもよい程、大切な存在なので、その養老先生が、妙本寺のお見合いに利用をされたと言う事、その時、お嫁さんになった遠藤家の母親は、毎日、毎日、彼女の家の庭ごみ(散歩を絶対にしていない、犬の糞尿を含む)を、我が家に掃き入れていた、とんでもない、道徳心欠如の女性だからだ。
そのお見合いについては、ご近所マダム富沢夫人から、聞いてはいたが、大富豪の妙本寺に、どうして、当時は借家住まいの遠藤家のお嬢さんが、お見合いで嫁ぐことが出来るのかが判らなかった。資産規模が違い過ぎる。処が妙本寺側が、養老先生夫妻で、遠藤家側が、川合良一先生夫妻だと、比企が谷の方が、言う事を聞くと思う。それが、ネコメンタリーを6ヴァージョンも作り直し、かつ、再放送を繰り返す、そういう方針で、私には、読めた。
ことが、私に突然分かったのは、養老先生がネコメンタリーに、登場し、それが、ヴァージョン6まで、続いたからだった。敵さん達は勝とう、勝とうと、するが、その・やり方のずるゆえに、負けるのだった。養老先生は善人なのだろう。善人が、CIAエージェントに利用をされて、私を威圧したり、恫喝すると、そこに、大きな損失が起きる。
私は、養老先生と、顔と顔が、50㎝の距離で、二度であったが、善人なのだろうと思った。だから、まるが死に、ご本人も東大病院で、心筋梗塞で、入院される‥‥‥それを、報告した、回のネコメンタリーで、先生は、「歩いて、病院に行きました」とおっしゃったので、伊藤玄二郎達に、悪利用をされていると言う事が、はっきりと、判ったのだ。
井上ひさしは、実際には死んでいないのだが、死んだことにしている。2009年4月9日(金)にNHK画面を全ジャックして、大ニュースとして、嘘である、自分の死を報道をさせた。が、その時に、死んだという嘘がばれないがための、前段の、小さな嘘として、「父は、歩いて病院に通いました」と、三女が、テレビカメラの前で、言った。井上ひさしの家は、佐助の丘の上にあり(多分、4番地と、13番地の間の、空間)、歩いて行かれる病院としては、ふれあい鎌倉病院と清川病院と、シャトルバスが、駅まで、迎えに来る額田病院の、三つしかない。そこに、井上ひさしが、入院したといううわさは、全く聞いて居ない。
駅から、そこに至るまでは、道路の傾斜が、急で、肺がんで死に瀕している、老人が、歩いて上がれるはずがない。だから、タクシーを使わないと、帰れないはずだが、井上ひさしは、邸は、昔は、ゼンリンの地図には、家屋の形だけ出ていた。法務局に行って、井上ゆり所有物件佐助、4~13番地(のどこかである。私は、一回見たのだが、今は、正確な番地は忘れている)を閲覧すると、土地の広さ、及び、現在の所有者(ゆり夫人、+ 息子)が判る。
私は、実際には、生きているのだから、きっと名義書き換えをしていないでしょうと、思って見に行ったのだけれど、そこは、二人羽織にして、盟友の、伊藤玄二郎が、中央大学法学部、政治学科の出身だから、抜かりはなかった。ちゃんと相続をしたことになっていた。
だけど、繰り返すが、彼の死は嘘である。今、現在も生きていて、いろいろな謀略をひねり出している。
で、滑稽極まりない嘘を三女に、NHKテレビ内で、言わせて、私に「彼の家から、歩いて往復できる病院は、鎌倉市内にはないので、死亡は、嘘である』と、書かれてしまったので、養老先生に、ネコメンタリーの中で、歩いて、病院へ行ったという嘘をつかせた。【養老先生病院に行く】を読むと、ちゃんと書いてある。「車で、東大病院へ行った」と。
養老先生を道具として使っている伊藤玄二郎と、ここで、言っているが、養老先生は、中谷共二氏の長男とも親しいはずだ。何十年間もご近所様だった筈だから。それに年齢は違うがお互いに、東大教授だったから。
昨日赤木雅子さんが、また、NHKテレビに登場をした。それも、井上ひさしたち、CIAエージェントからの司法への命令に、よるだろう。
ただね、この章の、副題1と、副題2という、こういうものを書いても、私には、快感が無いのです。有名人の、意外な裏側を書いて居る。しかし、有名人だから、ひとが呼んでくれるかなあと、言うだけで、書くことの快感は無いのです。しかし、昨日
のようなものを書くのは、達成感がありますね。ああいうものを書く方が難しいです。難しい仕事をやり遂げたという意味で。ただ、完成していません。W先生の部分でさえ、完成していないのです。まったく時間とエネルギーを取ります。あの10倍は、書かないと、ひとまとまりが完成しないからです。
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副題3,『まあ、女性の悪というものを相当に、ちゃんと書けたと、思う私は、久しぶりに犯罪小説を読んでみようかなと、思い、桐野夏生が、アメリカで、高評価を得たというアウトを図書館で借りて来た。女性の悪がどういう風に書かれているかを知りたかったのだ』
50代までは、犯罪小説、特にアメリカで起きた異様な犯罪の実録モノを読むのが好きだった。分厚い本。それを、銀座の画廊巡りの帰りに、福屋書店の二階で、見つけては読んだ。
しかし、自分が文章を書き始めると、すさまじい弾圧としての悪が自分に加えられ、しかも、高度にひねってあるものだから、自分の周辺で、起きることを書き表す方で、時間とエネルギーを取られるうえに、その悪辣兄辟易しているわけだから、日本でもアメリカの物でも、犯罪実録モノが読めなくなった。無論犯罪小説も読めない。
まあ、警察の悪が書いてあるなどと聞くと読む。北関東の幼女連続殺人事件について、書いたものは、丁寧に読んだ。
しかし、自分の長年の収れんが、上の青字のフォントのようなものを書かせたと思う。小学校一年生の、子供の、担任の先生に、「地域社会=池のこと=のこと=が、あなたと、同じママたちの情報を上げて頂戴」と頼まれて、スパイ役を、担って居たままの、自殺を、相当正しく、書けたと思っている。
彼女が自殺をしたのは、先生から新たな無理難題を押し付けられたからではない。そうではなくて、自分の手法が間違っていたのではないかと、考え始めた実存的不安と、絶望が、本当の理由だった。彼女は、その二年前の私の姿と同じだった。母親である私への嫉妬心から、私の四歳の娘をいじめている担任の秋〇先生との関係をどうするか? 悩みに悩んだ末、絶対の服従を貫いた。毎週視力矯正のために娘を迎えに行かないといけない。そのたびに、上等な箱の鬼中に、上等なお菓子が三十個入っている菓子折りを持参もした。
幼稚園には、先生が24人いて、担任を持って居ない園長先生と、副園長先生が居る。通園バスの運転手もいる。だから、30個、時には、銀座で買ってきた。または、上野の帰りに日本橋で買ってきた。
ただ、洋服をもっと質の悪いものにすることには気が付かなかった。この件だけど、明治大学を出たママ友は、「学校行事はすべて和服で行くわ。で、担任の先生に、にらまれたことはない」と言っていた。これは、わが子の担任だったW先生が最も嫌うポイントだった。だが、W先生は、上手に、子供を配分して、明治大学卒ママの子供を自分の担任にはしていなかった。この明治大学卒のママは池田分譲地の住民ではない人だったが、その地域には、その地域用のスパイを先生は放っていたと推察できる。
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副題4、『難しい先生===母親たちが秘かに、今年は・・外れ・・だった===と思う女性に仕えて、うまくやった様に見える女性にも、後年、恐ろしいことが起きる。自宅が娘に放火され、あっという間の、大炎上で、危うく命を落としかねなかったと、後日、明治大学卒ママから聞いた』
娘が、母に反抗したくて、自分の家に砲火をしたケースのママも、そういうスパイ役の一人だったと思う。彼女は一年次と、二年次の合計、二年間、役員として、先生と密着していたのだから、精神的にはタフである。どうして、この女性が精神的にタフだったかというと、容貌が、女性らしくなかったからだ。背が170㎝ぐらいで、体重が56キロぐらい。堂々としていて、お顔は、美形とは言えない。したがって、結婚が遅れ、他のママ達よりも年長だった。彼女は、自分が結婚が出来たことを感謝し、娘を非常に大切にしていたと思われる。しかし、高齢出産だから、娘さんが、自宅に火をつけた時には、夫がすでに亡くなっていたのかもしれない。そうなると、密着度が、深くなって、にっちもさっちもいかなくなる場合がある。それに、母親にとってもフロイトの言う、同性の子供は難しいという側面はあるが、娘にとっても、同性の母親は、父親よりは、好きではないと、言う傾向があると思われる。また、こういう大柄なタイプは、他の人に威圧感を与える。
もし娘さんが、父親の方の遺伝が強く出ていて、小柄だったりすると、放火する瞬間の直前まで、いい子であり、は犯行が無かったのかもしれない。
娘に殺されかねない、反抗をされたのは、やはり、「しっかりとして、平均以上の人間になってほしい」という母親の希望があり、それに娘がついていけなかったのが、最大の原因だったと思う。その母の願いに、彼女がPTA役員をしていた事がマイナスの要因として働いていると、私は、見る。当時の横須賀には大卒のママは少なかった。クラスに三人程度で、ほとんどのママが高卒。その中で、平役員と言えども、子供が低学年のうちに、二年連続で、役員をする。しかも難しい人だと、みんなが知っているW先生のもとでだ。だから、彼女は、「御覧よー。私の実力ってすごいでしょ。誰にも負けないわよ」と内心で思っていたのだ。そして、娘にも自分と同じく、地域社会で、または、クラスで、一頭地を抜く人間になってほしかったのだと思う。それを暗黙裡に、娘に強いていたので、娘が壊れた。
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副題5、『さて、ここから先、早稲田卒ママ、津田塾卒ママ、明治大学卒ママのケースを比較検証したい』
さて、クラスで、一番偉いのは早稲田卒のママだった。私のICUなんて、知る人ぞ知るだけの学校で、平均的なママは、「なに? それっ。地方の短大」という程度の認識だった。それに比較をすると、明治とか早稲田は、知名度が高い。しかし、早稲田卒ママについて、私が言及しないのは、別に私が嫉妬しているわけではない。彼女は義父(=舅)が、校長ををしていたので、その舅は、W先生の上司にあたるわけだから、W先生も心得たもので、彼女に役員の引き受けを依頼しなかったし、父兄会でも、そっとしておくだけだった。発言を促したりもしなかった。
私の場合は、山口県に残った親戚は殆ど先生をしていた。だから、間接的に、学校社会の矛盾点などを聞いていた。先生方が、聖人君子でもないことを聞いていた。で、私は、5mぐらい離れたところで、地ッと身を潜めている早稲田卒ママを見て、『ああ、きっと、いろいろなことを義父と義母から、聞いているんでしょうね」と思った。この女性が、山や谷を隔てた、全く違うソサイエティに属していたので、一度も話をしたことはない。
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