銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

藤木大地、武満徹、小林篤生、朝比奈恵温、安野智紗、前田清子、小野寺夫人、武部聡志、吉野直子

2019-06-04 09:00:56 | 政治

 最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。この書物は、私のICU同窓生にして、のちに姻戚になった人物の著書です。 副題2や、3で、委細に触れます。

 なお、この一文は、最初の総タイトルを、【藤木大地を通して、武満のお歌を、メロディだけは、そらで、歌える様になった。楽譜がないのに、大丈夫になった。これは、うれしい。】としておりました。しかし、どんどん、変えていく可能性があります。

副題1、『朝目覚めた時には、前報の続きを、書くつもりであった。しかし、朝の家事をしながら、ながら視聴で、消費をして置こうと、思って、録画番組の頁を開いてみると、藤木大地のリサイタルを何度目かの事として、NHK BS クラシック倶楽部で、放映をしているのが、自動的に、本日(=19-6-4)も、録画されている』

 もしかすると、『こっちへ、テーマを移せよと、言う鎌倉エージェントの悪意があるかな?・・・・・彼等は、NHKを駆使するし、藤木大地は、好ましい歌手で、しかも、鎌倉・覚園寺で、二階も、この2019年の春に、演奏会を開いたことについて、武部聡志との、関係について、書きかけ中であるし、そこを再度、書けよと、命令されているかな?』とは、思いながらも、

 この藤木大地という歌手が、採用している音域が、私が楽に出せる音域と、同じなので、この人のリサイタルは、何度、聞いても飽きないのだ。で、又、午前7時15分から聞き始めた。そして、驚いたことに、

 武満徹の、歌曲二つが、私としては、驚愕すべきことに、楽譜を見ないのに、メロディが、自分のものになっていたのだった。これは、驚きだった。藤木大地が、この録画番組で、歌った武満徹の曲は、二つである。

【死んだ男の残したものは】と、【小さな空】の二曲だけど、それが、自然に、身についていて、自由自在に、藤木と、同時進行で、歌えたのだった。

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副題2、『実はヤフーブログが、8月で、閉鎖をされるそうですよ。それは、私狙いの政治的、謀略の一つです』

 そのことを述べたくて、閑話休題として、この藤木大地の番組を、ブログで、書く事となってしまった。こういう風に純粋に、音楽について述べるのは、普段は、ヤフーブログ、north_m_railway と決めている。

 しかし、忙しくて、手当てを、しきれていなかった。すると、何と、ヤフーブログは、2019年の8月で、サービス停止だと。これは、皆さんがどうお考えになるかは知らないけれど、100%私狙いの弾圧だ。

 AOLで配信していた、メルマガも、手当てをしきれていなかった。すると、二か月の内に、送信相手が、すべて、受信拒否となっていた。これは、500人近くいた相手が、全部、そういう意志を、同時に、示すはずがないので、IT的操作で、そうされてしまったと、感じている。送信相手の一人が、メールで、メルマガどうなったのですか?と、問い合わせてきたのだが、仕方がないと、思って居る。しかし、この様に、私の権利が、激しく奪われている。

 それらの配信には、多大な時間を割いている。そして、義弟にあたる、小林篤生(ICUで、一期したの卒業。妹の結婚で親戚になったの著書【無門関の答え】出版の際には、大きな、支援を与えた記憶がある。で、彼が、その当時、ホーム頁を開くと、アフィリエイト収入が入るのだと、教えてくれた、一pv(=訪問回数)につき、1.5円だとか?

 しかし、私は忙しくて、その指導を看過した。それから、彼のこの本の、実際の出版は、2010年の三月と、記載をされている。しかも、大法輪閣と、言う出版社になっている。で、私が、彼に出版手法を、教えたのが、2009年の、初夏以降だと、わかってくる。この時に彼は、雪ノ下の我が家にも訪問をしてきている。それで、手ぬぐいが好きだと、言って、襟首に巻いていたので、それが、盛夏だったと記憶が確かなのだ。そして、その時に、既に、腎臓がんを患って居ると、聞いている。

  だから、彼が、がんで、2018年に亡くなってもおかしくはない。しかし、しかしなのだ。その知らせがだいぶ遅くに、はがきだけで、来たのは、大いなる、政治の影響を感じて、こういう部分からも、自分がいかに大物なのかを感じ取っている。

 見かけ上は、姻戚関係であるのに、はがきだけで、逝去の、お報せが来ていると、いう事は、非常に小さい扱いを受けたという事になる。奥さんから馬鹿にされきったと、いう事になる。しかし、しかし、なのだ。親戚だと、思って、今まで、その詳細を書いていないが、この2009年の夏、彼をたすけようとしたことで、私がどれほどの、被害に出会ったのかを考える、おくさんの態度は、天につばすると、いうものの一つだ。しかし、鎌倉エージェントは、どういう人間でも支配下に置いてしまうのだ。それで、私が取り残され、恥をかかされ、つらい目に出会う。

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副題3、『この2009年の夏に、警察(鶴岡八幡宮近辺では、神奈川県警のエリートたちに、鎌田周辺では、刑事が、変装した、ホームレスや、タクシー運転手)に、非常に強く脅かされた。それは、2003年の3月に、新潮社ロビーに、現れた四人の、エリート警察官(警視庁か、警察庁所属だと、思われる・・・・・この3月以降も、彼等は、要所要所で、出現した。それは、青山敦子弁護士と、会おうとしたときに神谷町に現れ、時枝裕子さんとデートをしたり時も、千駄ヶ谷周辺に、四人で、現れた。其の種の、エリート集団)とか、そのあとで、午前九時ごろに東横線車中に、現れた、とても、汚いホームレスすれすれの刑事らしき男とか、に、多大な量、脅かされたのである。

 其の種の多大な犠牲を払って居るのにもかかわらず、小林篤生夫人から、其の逝去を知らせるのが、はがき一枚とは何事だ!と、思うが、それを、気の毒に思ってくださる神様は、要所要所で、私を、お助け下さるので、まあ、いいかと、思って居て、彼女に「これは、ひどいです」と文句を言うはがきを出すことはなかった。私はリアルな世界では、喧嘩をしない主義なのだ(苦笑)』

 小林篤生をたすけようとして、私がどれほどに、いやな思いをしたかは、当時は、書いていないと、思う。親戚だからとか、ICU下級生(非常に学生数が少なかったので、在学中から、彼のことは、知っていたし)だし、と思って、書いていない。彼をたすけようとして、どれほどに、警察からひどい目に合わされたということは、このブログの世界では、書いていないと、思う。だが、此処で、書いておこう。アフィリエイト収入の事からの流れだが、それも、神様のご支援だと、思うので』

 最初に、彼からの訪問を受けたのだったかな? その次に、昼間彼のオフィス(鎌田に在る)を、訪問をしたと、思う。しかし、誠実極まりない私は、彼が、私にコンタクトを取ったせいで、何らかの被害にあうのを恐れた。それを説明しに行こうと考えた。彼は、蒲田駅周辺に、平屋建ての小さなオフィスを持っていて、IT関連の仕事をしている。たぶん、ICUでは、物理を専攻した筈だ。で、そこは、五時に閉鎖して、後は、自宅に帰えるはずだ。その自宅だけど、同じ蒲田の、駅からは、遠い場所にあるはずだった。マンションの筈だった。

 ここで、一般の人だと、まず電話をかける。それで、約束を決める。しかし、私の場合、そうすると、当然に、会話を盗聴されると、思って居た。したがって、秘密裡に会いたいと、思って居た。しかし、こういう風に行動するときには、警察庁は、大事件だと、考えるらしい。そういう風に秘密裏に行動するのは、悪いことをするのだと、頭から決め込んでいて、大きな網を張るのだった。とんでもない人権侵害だ。それも、私は、最大の善意でもって、行動をしているのだから、そんなことをされる、覚えはないと、言っておこう。

 しかし、実際に起きたことは、マッ反対だから、丁寧に、書いて置かないといけない。

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副題5、『蒲田周辺で、道に迷ってしまった。京浜東北線の、線路沿いに、ホームレスを装った、刑事が、つかず、離れず、追いかけてくるので、彼に、小林篤生宅への手土産として、買って居た、缶ビール六本缶用の、手提げをプレゼントとして挙げた。次に、同じく、京浜東北線の、ありえない場所(というのは、周辺に、お店が全くなくて、人通りが全くない場所)の、踏切で、タクシーが、四台待っていて、運転手が談笑していたが、それは、すべて刑事の変装だと、考えた。そのあたりで、迷ってしまったために、蒲田で、京浜東北線に乗ったのが、11時過ぎだったかもしれない。鎌倉駅に帰着をしたのが、夜の12時過ぎだった。

 で、私は帰途として、小町通りを避けた。何らかの工事を行って、それを脅かしの道具とするのが、彼ら鎌倉エージェントと、その手下としての警察の常套手段だが、駅のロータリー不二家の角では、それは、見通せなくて、進入してから、500メートルぐらいたったら、突然の、ランタン数灯の点灯と、重機が轟音を立てる形で、脅かされるのだった。

 それ以前の時間帯に何が起きたかを、語らないといけない。その夜は、まず、小林さんの、家が見つからなかった。マンションらしいのだが、マンションの名前を知らなかった。番地だけでは、駅からタクシーで行ったのにもかかわらず、見つけられなかった。それで、まず、精神的に、疲労をした上に、蒲田駅西口から、駅まで、周辺で、迷ったために、3キロ近く歩かされたので、さらに疲労をしていた。で、小町通りで、又、疲労の上乗せをするのが嫌であって、若宮大路を歩いて帰った。これは、時間が、五分程度、余計にかかる回り道だが、こういう風に、危険度が高い夜は、よく使う道だ。なんとなく、小町通りよりは、安全な気がするのだ。見晴らしが効くうえに、走って逃げる方向がたくさんある。夜12時近くの鎌倉の道路には、車は、全く通っていないし。

 この感覚は、大げさではない。1978年に、北久里浜の地籍変更届の大詐欺事件の時に、私が頭がよくて、すべての裏側を察知したことで、私を、車で、轢き殺そうとした、益山智恵子さんの、セドリックハードトップからも、横っ飛びに走って逃げたので、助かったし、1998年の、9月4日に、ヨーロッパ社会におけるCIAに、バスティーユ駅で、拉致されそうになったが、彼らが、クロロフォルムか何かを使鵜であろう、その直前に、私は、事態を推察しきって、あの、映画【ポンヌフの恋人】でも使われた地下道を走って逃げて助かったのだった。

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副題6、『日本の警察とは、二重構造になっている。一般庶民が、普通の警察署だと、信じる、表むきの、警察署、と、裏に隠れていて、伊藤玄二郎などの、特権階級のいう事を聞き、恣意的に、ターゲットを追い詰める、無法地帯のギャング的警察の、二重構造になっている』

:::::::::::::ここで、大変重要な挿入を入れたい。横浜シーサイドラインの、事故なのだが、一般の社員(職員)と、CIAは、全く別物なのだ。それが、日本の警察組織にも言える。周南市の、山の中で、600人の警官を差し向けて、保見を探そうとした、地元警察は、保見を見つけられなかった。しかし、日曜日の深夜に、殺人事件が起きて、火曜日には、私は、これが、謀略であると、書き始めている。すると、保見は、木曜日に、ヘリコプターで、容易に探すことのできる山野てっぺんで、見つかったそうだ。そこは、どうしてか、樹木が伐採されていて、見晴らし(または、見通し)が、良い場所だった。前日まで、三日間、600人もの警官が動員されて見つからなかったものが、そんなに簡単な場所で、見つかったのだ。

 それは、特殊部隊が、隠していて、ずっと、見つからないということにしておきたかったのに、私が、ご近所の特に小さな子供たちの特殊な動き、(前田家に命令されて、絶対に入れないはずの、安野家の、北側の花畑に入って遊び、そこの、土地の洗浄化を図ったという恐ろしい仕組み)を、書いて、これは、謀略であると、書き始めたので、突然に、保見を世間にさらすことにしたのだった。保見は、五人も惨殺した後で、山の中をさまよった・・・・・という事にされているのにもかかわらず、・・・・・真っ白の下着姿で、逮捕されたのだった。返り血を、一つも浴びていない、不思議な姿で?????

 つまり、地元の警察は、ただ、単に、本当の悪をカモフラージュするために使われている。で、警察のCIAと直轄している特殊部隊は、地元の警察なんか、屁の河童だから、そのメンツをつぶすことなど、何とも考えていない。それで、彼等としては、私のブログが正しいことを書いているからこそ、保見を、外へ出して、保見が、殺害したと、いう事にしたかったのだった。

 カリタス襲撃事件は、これらの、数多い謀略として行われた大量殺人、の、殺人者(=加害者)が、生きている限り、もしかしたら、反逆して、真実を語るかもしれないので、一気に殺す方向で、計画が練られたと、考えている。後で、詳細に語るけれど、シーサイドラインの暴走事故も、カリタス襲撃事件も、すべて、同じ組織が行って居る。

 シーサイドラインの事故と、カリタス襲撃事件については、後日前報(あと注1)の充実文として書く予定だ。

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副題7、『蒲田では、高卒で、警察に入った、刑事と思われる、人材が、五、六人動いたのだった。しかし、鎌倉に帰宅して見ると、いかにも大卒で、エリートで、ございますと、言う男性が、二人、鶴岡八幡宮周辺で、待っていた。見たこともない顔だったので、神奈川県警のエリートだと、思うが、東大卒らしい切れのある顔をしていた』

 ここで、外出をしないといけなくなりました。

 で、これから書く予定のことをメモ書きしておきましょう。

 小林さんの書物が、彼に言わせると、仕事上の付き合いのある出版社(システム関係の技術書を出す会社)から、出る予定になったと。しかし、実際には、大法輪閣と、言う仏教書専門の、出版社から出ている。これは、彼の為に喜ぶべきことだが、どうしてそうなったかというと、我が家の電話の盗聴、我が家の室内の盗聴、私の行動への尾行を通じて、小林さんと、私との関係を知った、CIAエージェント達が、小林さんを、私の弟子にして、援助を乞うてきている立場から、平等以上の立場へ、変更させたのだった。

 それは、システムエンジニアとして、大先輩にもあたる、一期上の卒業生、古村浩三君から入った話かもしれないし、この時点では、既に、小池玲子さんと、野々村泰彦君の、指導教唆で、私の敵に位置していた、妹を使ったのかもしれない。妹の結婚で、小林君とは、親戚になったのだから。

 それから、浄智寺の当主、朝比奈恵温氏も動いたと、考えている。

 朝比奈恵温氏が、朝比奈宗源氏と、どういう関係にあたるのかが、本日やっとわかった。これは、ずっと、私のパソコンの、中では、秘匿されてきていた。そうだからこそ、かえってはっきりとするが、朝比奈宗源氏と恵温氏は、祖父と孫の間柄にあたるそうだ。

 朝比奈恵温氏は、伊藤玄二郎とは飲み友達の間柄なのであろう。4回か、五回にわたって、恐ろしいことを、私に対して、行ったことがわかっている。しかし、この私に対して、親しみを込めて、接触してきた小林篤生を、仏教関係の書物を出したがっていることを、餌に、仏教書専門の出版社で、出版してあげる道を開いて、その代わり、

 私との縁を切らせた」という事は、本日初めて、公開することだ。

 以降は、後日書きますね。シーサイドラインと、カリタス襲撃事件を先に完成させるかもしれませんし、ともかく、お待ちいただきたく。

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