銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

夫を潰した芸術家達(モンゴメリ女史と、西原理恵子さん)△

2014-05-11 14:11:17 | Weblog

 今は、12日の夜7時半です。最初にNHKの7時のニュースで、放映された「おいしんぼ」に対する福島県と、大阪府+大阪市の抗議の情報について、ひとこと、・・・・・これについて、むろん、意見はありますが、あまりにも私のブログの影響が大きく、すぐ、私が言ったことと反対方向へニュースの流れを持っていかれてしまうので、今は、何も申し上げません。ただし、2011年から、私のブログをお読みいただいている方には、私の考えは十分ご推察いただけるでしょう。 

 次に10日のNHKニュースについて一言。そこで、地籍調査という言葉が長時間解説をされました。『おお、また、私のブログと、連動している』と思ったものです。私がこの間、北久里浜のルネ北久里浜という大マンション群について語る際に、地籍変更届という言葉の解説を初めて、行ったことと対応をしていますね。たまたま、地籍調査と言うところまでで、寸止めしていて、地籍変更届けまでは、行っていないので、『以前に比べると、少しは、遠慮したかなあ』と、思ったものです。

 こう言うことはこの30年間、何度もありました。ブログをやっていない時期には、新聞が利用をされ、青地の記事が、第一面のトップを飾ったりしたものです。(毎日新聞だったと記憶をしているが)この青地というキーワードですが、横須賀市の副市長だった杉本氏と、瀬島龍三一派なら、すぐ、ピンとくるキーワードでしょう。が、読者の皆様には、ピンと来ないと思います。いずれ丁寧に、解説しますが、これも詐欺事件に、利用された重要なアイテムです。全国の、財務局勤務の方には明々白々のテクニカルタームでしょうが、一般の人にはちんぷんかんぷんの言葉です。そういうものを悪人たちは、利用するのです。・・・・・

 なお、今、12日の夜10時40分ですが、推敲が終わりました。二日目に加筆した部分には、アンダーラインをつけておきます。

 副題1、『赤毛のアンを書きたくなかったモンゴメリ(梶原由佳)』

 いつだったかな? 一応新刊本として、・・・・・というのも、最近ではブックオフで本を買うことも多いので・・・・・装丁が大変美しい本を買い求めました。青山出版社から出た<『赤毛のアン』を書きたくなかったモンゴメリ(梶原由佳)>です。今NHKの朝ドラ、花子とアンで、これから先に重要な書物となるであろう、『赤毛のアン』の作者モンゴメリ女史の生涯を分析した本です。

 村岡花子女史が、赤毛のアンを、翻訳した時代には、決して、知られていなかった赤毛のアンの作者、モンゴメリ女史の非常に現代的な苦悩を書いてある本です。赤毛のアンは、読んでいてわくわくする様な楽しい小説であり、NHKの朝ドラの主人公・花子・も、今のところ、その手の女性になりそうな気配ですが、カナダ・プリンスエドワード島在住の原作者の方は、そんな単純な女性ではなかったのでした。

 この本を買う前に、私は書評を読んだのだと思います。で、内容に引かれて買ったのです。というのも、大芸術家になろうとしていた頃だったので、女性が創作活動をする場合に、家族が、壊れていくだろうという事は、実感としてわかっていました。だから、アトリエを、作り、一人暮らしもしていたのです。目の前にいなければ、却って、不満を家族の方が、いだかないからです。『妻が、ほかのことへ集中していて冷たい』かろうが、温かろうが、問題ではないのですが、目の前にいて、夫や子供に、お茶を入れない(=サービスをしない=)となると、悶着が起きるからです。

 モンゴメリ女史の家族は壊れたのでした。ご主人は、精神を病み、子供たちは、不良になりました。普通の生活を送ることのできない男性として育ったのです。いわゆる後ろ指を差される男性として育ちあがりました。モンゴメリ女史の夫は牧師ですから、これは、奥さんとしては、大失敗です。人を救う仕事の夫は、自分自身の悩みに打ちひしがれており、人の尊敬の対象でなくてはならない牧師館の息子二人はやくざまがいの男となる。

 どういうことかというと、非常に簡単にまとめると、男性とは甘えん坊なのです。そして、子供っぽいところもある。そして私とか、モンゴメリ女史のように子供が居ると、子供からも甘えられる。その甘えを許容するためには、女は、常に、子供とか、夫のほうを向いていないといけないのです。ところが創作をしている女性というのは、頭の中は、常に、現在作りかけの作品でいっぱいです。それが中断されるのはすごく嫌なことです。

 で、ここから先ですが、創作をする人間が、男性だと、日本では、あまり問題が起こりません。男性が、主役であり、女性が従である事が社会的な通念として存在しているから、男性が、「部屋に入るな」とか、「部屋を掃除するな」といっても、それが、問題となることはほとんどありません。文章系にかかわらず、美術系などでも棟方志功など、外に向ける、サービス満点の顔と、内側の創作中の顔など、相当に違う人でしたが、奥さんが一途に、だんな大切で、自分が悪女になって、だんなに、孤独に過ごす時間を作ったと、言われています。

 しかし、通常では、女性はサービスするする側だと考えられていますから、創作という、深い集中が必要な仕事と両立することが、非常に、難しいのです。

 私の場合は、大芸術家になるのをあきらめました。特に最近では、ブログを書く事ぐらいしかやっておらず、しかも子供たちは、大人として、自立して外へ出て行きました。ので、相手をすべき人間の数がだんな一人です。これは、ずいぶん楽になったという形です。で、ぎりぎりセーフで、夫が壊れず、子供も不良にはならなかったわけです。何を優先するかの問題です。71歳にもなると、以前は、それが出きていた五つぐらいの行動を同時平行的に行うのは、もう、むりになって来ていますし。

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副題2、『モンゴメリ女史と、ミッチェル女史には、隠された共通事項が有った・・・・・結婚前の別の男性との恋』

 今、本を探している暇がないのですが、『風とともに去りぬ』を書いたミッチェル女史の自伝的書物もあって、それによると、ミッチェル女史と、『赤毛のアン』を書いた、モンゴメリ女史の間には、共通項があった模様です。それは、現実の夫の前に、別の男性と、交際があったということです。しかも、柄がまったく正反対の男性との縁であって、そちらを振ったという形の結婚です。しかも両方とも、野性的で、男性的で、フェロモンむんむんの方を捨てて、インテリで、落ち着いた男性を選んで、結婚をしたのでした。

 それですが、ミッチェル女史の場合は、あっけらかんとした、情報公開が、夫との間にあり、夫と共闘する姿勢を、持って、前の恋人と対決していました。前の恋愛相手が、レッド・バトラーのモデルであり、本当の夫が、メラニーの夫タイプである模様です。しかも、レッドバトラータイプの前の恋人に、彼をモデルにして、あの小説を書いているものですから、狙われたり脅迫されたりする恐れをミッチェル女史は、生涯抱き続け、彼の死(もしかすると自殺だといわれている)後、やっと安心したそうです。簡単すぎる言葉で言えば、ミッチェル女史は、業が深い人です。でも、だからこそ、大作を生む事ができました。

 現実の夫は、出版界の事情にも詳しくて、ミッチェル女史の、マネージャー兼、秘書兼、プロデューサーみたいな役割を果たしてくれたので、あの大構想を持つ、作品が出来上がりました。子供は居なかったのです。

 一方、モンゴメリ女史の方は、夫は別の仕事・牧師業があって、しかも、本当は、モンゴメリは、夫をサポートをしないといけない立場でした。無論、それが、小説の中で生きては居ますよ。主婦同士の縫い物の会(=一種の社交の場でもある。日本語で言えば井戸端会議とサークル活動の間かな?)などを主宰することは、赤毛のアンなどに、色濃く反映をされています。

 しかし、夫との間に、モンゴメリ女史の前の恋人の存在が、なんとなく横たわっていて、それを白日の下へ曝すわけにも行かずで、けっこう、陰々滅々たる家庭であったと、見なされるのでした。これでは、弱い方がつぶれます。先ほどから、言っている様に、だいたいにおいて男性側が弱いので、モンゴメリー女史の夫がつぶれたのです。

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副題3、『本日、母の日に、日本女性は、幸せ度、32位だと発表されたが、気にすることはない。ためにする数字だから』

 モンゴメリ女史も、ミッチェル女史も作家として、非常に若い時期に出発しています。若いということは、揺れ動く時期でもある。だから、失敗もありうるだろうし、ちょっとした発言でも、夫を動かし、息子を傷つけることはあったでしょう。

 私が大芸術家になるとか、なれるとか、考え始めたのは、56歳の時です。非常に遅い出発でした。だから、子供は一応ですが、勤務を始めていて社会人になっていました。大学入学までは、母として、けっこう奉仕したつもりはあります。そして、今、主婦に戻っているので、思考が主婦とか母である事を優先する方向へ傾いています。

 しかし、30代や、40代の女性が迷うのは当たり前であり、両方をやろうとするのも当たり前だし、できれば、それを、やったほうがいいでしょう。でもね、71歳にして思うのですが、やはり、一定の時間と量が、子供には、注がれないといけないのです。愛情とは、エネルギーであって、エネルギーには、速度やら、時間も関係がある。で、絶対の量が必要なので、どこかで、それを省いていると、必ず、どこかでしっぺ返しが来ます。今大量の引きこもり問題が出ていますが、これは、事実上、小さい頃の育て方が間違っていたと、言うしかないでしょう。

 小さい頃は、子供は問題を起こしません。だが、愛情を十分に注いで、しかるべき事を叱り、正すべきところをただし、注意すべきところを注意していないと、何かがすっぽり抜けるお子さんができるのです。

 私はどうしてか、子供になつかれるタイプなので、自宅が常に、保育所状態になっていて、よそのお子さんがいつも居る状態でした。すると、自宅で見せない顔をお子さんが見せる事があります。自宅でけちをしているために、よその家で、お菓子を盗むお子さんが出てきてしまいます。10時や、3時にはあげるといっても、それが、待てないのです。こう言う事情、というか、子供の欲望の処理は、もし、この子が保育所育ちだと、処理されないで、見過ごされ、どこかで爆発をします。

 リンチ事件が多発していますが、ああいう子どもたちは、小さいときからの欲望の処理が、正しくなされていない子供たちだと、私は、推察しています。欲望という言葉を使うと、皆様は、すぐ、性欲のことをお考えでしょうが、お菓子ひとつでも、いつ、ほしいとか、どれだけの量がほしいとか、そういう事が、すべて、欲望であって、それを、どう発動し、どうかなえてもらい、どう抑制するかについては、本当に丁寧に、いちいちの現象に応じて、処理をしておかないといけないのです。それを、やっていないお母さんがいっぱいいるので、強気の子は、他人をリンチしたりするし、弱気の子は、引きこもったりするのではないでしょうか?

 大丈夫と、思っておられるお母サンたちに言いたい。『保育所では、すべてが、管理されているから、こどもの応用力が足りない形になりますよ』と。おやつを上げる時間も量も、何もかもが、管理されている集団生活です。それでも、子供は大きくなります。だけど、子ども自身に応用力が付きません。そう言う事を、世のお若いお母さんたちはご存知だろうか? 一応の形は付いて育ちあがります。だけど、会社に入って、突然に応用力を求められる。そこで、応用力が利かない事にはじめて直面して、自信を喪失して、引きこもったりして、行く可能性は大きいです。意外なことに、就職後、引きこもるお子さんが多いとも聞いています。

 ともかく、私が、もっと、「お母さん、こどもの方を向いて」と常に書いているので、私の敵たちは、躍起となって、働く母像を推奨しています。専業主婦は駄目だという論を張ろうとしています。

 本日も代議士の数が少ないので、日本の母親の、幸せ度が低いなどと、国際機関から、発表をされました。だけど、これは、私のブログを否定してやろうという数字ですから、代議士の数以外では、相当に、環境として、日本はいいと思わないといけません。ただ、北欧よりは、働くお母さんの環境は劣悪の模様です。

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副題5、『梶原由佳さんは、偉いね。これは、翻訳本ではなかったぞ』

 さて、上記の本ですが、翻訳本ではなかったのです。実際に自分で調べた事をオリジナル本として、書き下ろしています。海外の作家に、日本人で、ここまで、踏み込む人は早々いないと思うので、とても、えらいです。

 ただ、少し歯切れが悪いです。というのもカナダには、現在もモンゴメリ女史のゆかりの人が大勢生存しているので、書きにくいところもあったのでしょう。で、私の方ですが、梶原由佳さんが、なぜ、カナダにわたったのかを知りたいと思いました。が、残念ながらwikipedia 等が立っていない模様です。英語でツィッターをされているみたいですよ。yukazine というキーワードをグーグルに入れると、到達できるみたいです。

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副題6、『さて、夫がつぶれるという意味では、西原理恵子さんに、尽きるが』

 私はどこやらで、西原理恵子さんと、高須クリニックの院長が事実婚の関係にあると聞いてぎょっとしました。マスコミ有名人は、一般市井の人とは違って、手が早いというか、「誰とでも寝ます(宇野千代さんの発言を、中野みどりさんが報告している)」と、言う形で生きて行くケースが、多いとは知っています。だけど、西原理恵子さんは、『毎日母さん』で、お子さん方との、あれこれを報告している存在で、私はそれのファンだったので、それこそ、ぎょっとしました。

 NHKのファミリーヒストリーに出演した西原さんが、巻きスカートをはいて出演していて、その割れ目から、太ももが出ていたのも、『お顔がきれいだから、女である事を売り物にしても、まあ、許せるかなあ』というぐらいに、許容していたのに、突然に、それが、許せなくなったのでした。女同士で、嫉妬しているからではないのですよ。

 『大変だ。これから、お子さんとの関係が』と思って。お子さんがちゃんと、まともに育ちあがれば上がるほど、母を批判する様になるでしょう。

 どうして、そう言う風にぎょっとするかというと、その頃、西原さんは、元のご主人、鴨志田さんとのあれこれを、映画とかテレビで、散々公開をしていて、その裏側に、一種のマネージャーとか、プロデューサー役としてのドクター高須が、居たのかもしれないと思うと、それこそ、ぞっとしたのです。西原さんが、ご主人に苦しめられたのは知っています。

 だけど、ご主人がそうなったのは、ひとつには、西原さんにも原因があったと、私は見ています。上で言っているモンゴメリ女史のケースと同じ意味で、原因があったと言っているのです。日本にも昔から、「一将なって万骨枯る」という言葉があったり、手相の世界で、後家相という言葉があります。女性が強すぎたり、女性が忙しすぎたり、女性の収入が夫より高すぎたりすると、男性が駄目になるという事を言っています。

 さっきから言っている様に、男性って、子供っぽくて甘えん坊です。西原さんの性格やら本質がどうであれ、仕事がいっぱい舞い込むでしょうから、実際問題として、夫をかまっている、または、お世話をしてあげている暇がありません。でも、愛情の絶対量が不足すると、駄目になってしまう類の人間も、居るのです。だから、鴨志田さんが駄目になったのは、組み合わせの妙であって、別の女性とだったら、うまく行ったかもしれないのです。そこは解りません。だけど、ご主人とのあれこれで、金儲けをしてはいけません。西原さんに、定期の収入がないのだったら、それは、許容できますが、連載がたくさんある、西原さんが、生活に困ることはないでしょう。そう言う現状の中で、アルコール中毒だったご主人とのあれこれを映画にしたりしてはいけません。

 西原さんは、まだ、若いです。だから、私が今言っている事がお分かりにならない可能性も大きいです。ただ、非常に尊敬をしていただけに、激しい度合いで、がっかりしました。テレビで、露出が多いことだけが、得をするとは限らないと思います。

 私は映画類は見ず、ただ、テレビドラマで、山田優が主演した、武蔵野美大入学時のエピソードを見ましたが、それにもがっかりしましたし・・・・・連続ドラマの3回目は見る気がしませんでした。主人公を、山田優が演じるのは不適切であって、キャスト選びの側面からも、粗製乱造の気配を感じました。山田優は、金銭的な苦労をした事がなさそうに見えるし、鈍感さがないので、そのドラマの主役としては、不向きなのです。

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副題7、『田舎の出身者の、長所と、短所』

 西原理恵子さんが、高須院長と事実婚の関係にあるという事を知る前は、尊敬していました。ドラマがつまらなくても、また、映画を、二本も三本も、粗製乱造していても、「将来に向けて、安全対策という意味で、貯蓄をするつもりなんだろうね」と、許容していました。

 しかし、事実婚をしているとなると、お財布が、二つある事となります。本当に生活に困った時は、高須氏が助けてくれるでしょう。それが、愛情で結ばれた結婚という形式のメリットです。だったら、あくせく稼ぐ必要はないです。それなのに、テレビと映画の世界で、露出が続いた件は、高須院長と二人で、「金儲けになるのなら、何でもいいから、手を出そうね」という発想に見舞われたのではないかと、感じてしまい、『それって、一種の金瓶梅化であり、悪女の、一例となりますよ』と、なって来るので、それで、がっかりしたのです。子供が主人公の漫画を書いている人が、悪女であってはいけません。

 金瓶梅化とは、何かと言うと、三人ひと組の人間関係を作り、その中の二人だけが、結託し、残ったひとりを、仲間外れにしていじめている構図が、見えてくるからです。すでに亡くなった人・鴨志田さんを、種にしてお金儲けを、するのは、第三者からみると、左に言っていることとなり、醜いことかぎりがないからです。

 ところで、その事実婚と言う情報に接する前は、東南アジア取材で、高須氏と一緒に出かける事があるのは知っていました。でも、一緒に旅行をするという事と、事実婚というのは、相当に違うので、やはり、がっかりしたのです。それと、お子さんがいる場合、お子さんは、母親とは、違う観点で、ものを考えるところがありますので、後日、難しい事が出来するでしょう。

 ところで、その前では、彼女を尊敬しまくったのは、エネルギーレベルの高さに、恐れ入ったからです。私も平均値から比較すれば、エネルギーレベルは高い方だと思いますが、子供が、小学生の時期には、日常の普通の生活が、優先でしたよ。2週間のトルコ旅行に、主人と二人で出かけ、子供を置いていかなくてはならなかったのにさえ、悩みに悩んだものです。トルコ在住の、親戚からの要請に主人が乗ったので、私の発案ではなかったのですけれどね。

 西原さんのエネルギーレベルの高さが、田舎の出身によるのだと考えていました。東京圏で育つと、ああいう風には、動けないです。

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副題8、『小さいときに、両親が揃っていないと、大芸術家になれる・・・・・のは、確かみたいですね』

 上に、いろいろ、書いていますが、ルーシー・モード・モンゴメリー女史と、西原理恵子さんが、天賦の才能に恵まれた人だというのは、認めます。そして、成功者だとも認めます。

 ところで、二人に共通するがんばりについて、・・・・・ふと、思うのですが、幼いころ、両親が揃って、いる家庭では育っていないという共通項が、ある程度以上に寄与しているのではないかと。天才とは、99%の努力で、成り立っていると、聞いたことがあります。流行作家となった二人には、注文に追われるつらさはあったでしょう。

 私が思うのは、プラスとマイナス、の相乗関係です。幼いころ、両親が揃っていない家庭に育つのは、マイナスです。だけど、そえが、創作をする者になる原初の条件であり、その作品が人気を得て、売り上げがあがり、成功者なるというのはプラスです。しかし、成功者になればなったで、家族とのマイナスの条件が、新たに出来する。不思議なことです。

 ところで、これ以降、連想がどんどん発展をしていきます。そして、小林よしのりさんの、分析に入って行くのですが、あまりにもかけ離れた連想を、同じ章に入れ込んでいたので、本日に入って、分離させることといたしました。これ以降は、また新たに推敲しなおして、別章として、起こしたいと思っております。

  なお、このブログの、2010年より数え始めた、伸べ訪問回数は、2197791です。2014年5月11~12日

                                   雨宮 舜(本名 川崎 千恵子)


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