銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

人は誰でも死んで行くのだ。どう死ぬか、それが、問題だ。

2010-12-08 14:02:53 | Weblog
 昨日、7日(火)海老蔵君の記者会見があった模様です。「事件後、二週間以内なのに、顔がきれいだったことには驚いた」と、言わせてくださいませ。私の場合は、7週間程度、あざが消えませんでした。最初の3週間は完全にお岩さん状態でした。

 ひがむわけではないが、私の場合は、健康保険を入れて、自分が支払う分が『三万円』の手術だったのに、有名人として、特別室に入院している彼には、相当に高度な手術が行われたその差だろうと、感じます。

 私はこれでも、女ですから、相当に気を使って手術をしてもらったと感じます。部分麻酔ですが、5センチ程度の裂け目の縫合に40分も掛かったのです。救急車の人が病院を探す間、車内で30分間も待たされたので、「個人クリニック(私は上手だと思って信頼しています)で、結構です。早く縫合をしないと、肉が引っ付かないから」といったのに、彼らは、個人クリニックには電話を掛けませんでした。

 こめかみというのは、肉が薄いですから、レンズが切った傷は、深く割れていたと思います。で、救急隊員は『これは、大変な怪我だ』と思ってくれたらしくて、都心の大病院へ次から次へと、電話を掛けてくれたのです。だけど、怪我がひどいので、みんなが断った可能性はあります。ウィークデイの夜の七時だったのですから、大病院はすべての人員がそろっていて、十分な臨戦態勢だったはずなのに、断られ続けました。最終的に、引き受けてくださった慈恵医大の救急病棟は、責任感が強い方の病院なのでしょう。

 脳神経外科医が責任者として縫合して、そばに整形外科医がついていてくれたのですが、整形外科医の方が、「僕が過去に経験した顔の怪我のうち、上から三番目くらいです」といわれて、その後も、顔全体のお岩さん状態が、三週間は続きました。それでも当夜入院しないで帰宅をしたのです。以前に流産に気がつかなかったケースでも、普通の生理だと誤解して一週間も自宅待機をしていたので、お医者さんにその気丈さを誤解されて、麻酔を使わないで残っている胎盤の除去手術がなされ、ショック状態に陥ってしまい、待合室の患者さんが『あの人、様子がおかしい。死にそうに見えます』とお医者さんに掛け合ってくれて、お医者さんが謝罪をしてくれたときがあります。(横須賀共済病院での話し)
 スカーレット・オハラではないが、気丈な女性は、周りから大事にしてもらえません。残念だが、そうです。私はしろウサギみたいで、一見すると気が弱そうですが、いざとなると、芯が強い方みたいです。

 五センチ大に縮小した後も、あざは合計2ヶ月は消えなかったのです。あの会見の海老蔵君どころの、話ではなかったのです。当時は、暗澹たる思いにとらわれていました。怪我の出血って、外にも流れるのですが、顔の内側でも、組織の間を伝わって流れて行き、顎までが青あざとなるのです。

 それに比べると、海老蔵君は、ほとんど何も無いので、(白目の充血は主人がよく罹るもので、時間が経てば治ります)

 『へえー、セレブ病院で威信(プラス支払いが入院費も込めて何百万円?)も掛けた手術だと、こうなるのだわ』と感慨無量でした。『外へ、傷を見せないで、内部から吸引した』という記事をどこかで見ましたから、口か鼻の中から微細なテューブを入れて、皮膚内に溜まっているうっ血を、吸い出したのだと思います。こうなると有名人は得だとなりますが、今の私はほとんど顔の怪我は気になりませんので、慈恵医大も名医だったといいたいです。「64枚ぐらいの脳のスキャン映像の現像と、48針の縫合手術をあわせて、3万円だったら安いです。ありがとうございました」とここで、いっておきたいです。海老蔵君自身については、また別の機会に。
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 昨日の私は専業主婦としては大活躍の一日でした。朝から夜まで充実していました。しかし、例のごとく、監視をされていて、敵方に注目をされている事は、しこたまといってよいほど感じました。それによってどういう影響があるかというと、書くことの内容に影響を確かに受けるのです。思い切った事を書くことが、できなくなります。分野についても相当に影響を受けます。で、創作をするものとしては、残念です。その現象そのものを書くかどうかは、迷いますが、自分を、一個の人間として、確立していくために、今日はそれを、逐一、分析させていただきましょう。

 まず、朝、9時に、日吉に住んでいる弟に電話を掛けて「本日そちらに行く」と述べました。相続のことで、ちょっとした打ち合わせがあります。で、午後二時前に自宅を出たのですが、鎌倉駅へついた途端に、前日、自分の六冊目の本をそこに、預けた新橋駅のロッカーの鍵を忘れて出てしまったことに気がついて、そのために、いったん自宅へ帰りました。それは、同窓会があるので、その場所で、本を配りたく、前日に、わざわざ会場の近所のロッカーへ本を、準備しておいたのです。何事も慎重で、ありとあらゆる意味で準備をする人間と最近はなりました。

 昔は、その場主義で、場当たり主義で、一種の横着ものと言われていたと思います。この前もパソコン教室の先生に、「川崎さんは、横着なところがあるから、どうのこうの」といわれて、『おや、おや、お若い先生でも、私が<この方は頭がよい>と見込んで、10年間も通い続けている方は、人間観察の方も鋭い。鋭いなあ』と内心で感心したり苦笑したりだったのです。が、最近の私は相当に変わってきました。これは、体力の衰えを感じている証拠でしょう。

 本当は新橋までは切符代が高いので、横浜駅構内のロッカーにそれを入れたかったのですが、こちらの目的を見透かすように、それは、撤去されていました。5日の月曜日にそれに気がついて、『あれ、APECのころにはここには、ロッカーがあって、それが、新橋駅より遅れて、封鎖をされたことで、いかに自分の行動が、監視されているかも気がついたのだけど』と思いました。

 新橋駅とは、敵が私を攻撃するためによく利用をする箇所です。昨日火曜日も、新橋駅の外壁を伝って、私にぶつかるようにして対向方向から二人の警官がやってくるのです。何も目を合わせようとはしませんが、『おや、おや、前はガードマンという形で、頻繁に目の前に現れて、こちらを脅かした(それが、効果があると敵方は思っているのでしょう)が、今度は本物の警官が来るのだわ』と思いながら、それでも、『ふん、そうなれば、どんどん、本質を書くだけですね。せっかく最近ではおとなしくしてあげていて、海老蔵君などに、話題をそらしているのに、駄目ねえ。これらの攻撃策・発案者は、本当に幼稚だ』と考えながら、烏森口へ出て、ロッカーから本を取り出し、居酒屋へ向かったのです。ロッカーは二日分で、600円掛かり、遅れればさらにお金が掛かりますから鍵を忘れる事はタブーです。
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 ところで、午後から夜までテレビを見なかった間に、小沢一郎氏が、また大きく活動をされた模様で、そこも国際的・大資本家軍団→小沢氏→警察といういつもの行動パターンの踏襲でしたが・・・・・それは、おいておいて、

 時制的に少し前に戻りますと、新橋の前に、午後4時に日吉駅へ到着しました。その間、弟には、ファックスと電話で、時間が遅れる旨を告げてあります。

 日吉駅に着くと、サンヴァリエ(旧名下田住宅)行きというバスが遅れているらしくて、なんと、40人ぐらいの人が待っています。これは、自然な現象ではありません。私が自宅の電話を使って誰かと会おうとして、なにかの、アポを取ると、必ず『邪魔してやれ。特に到着が、遅れているのなら、さらに遅らせてやれ』という意地悪をされるのは、過去に何度も経験していることですから、すぐ、対抗策を考えます。

 今、山手線と中央線を中心として、相当数の、遅延現象が日常的に起きていますが、これもそもそもは、私をいじめたり、困らせたりする事が発生源で、それをブログ等で、分析すると、『違う。本当の事故だ』といいたいらしくて、さらに、事故と遅延現象が多発するので、ちょっと、分析をやらないでいたのですが、目の前で、また、また、やられました。子供じみているが、ともかく、何でも機会があれば、どれでも利用して、いじめたいと、彼らは思っています。
 で、考えて別の路線を使うことを、選んで、そちらに乗った途端に、サンヴァリエ行きが来たのです。『ふーん。敵は、今、やってやったと、大喜びをしているところですね。210円は損となるが、やはり乗り換えるか、時間が三分得をするし』と考えて運転手さんに相談をすると、こういう際に使う切符をくれて簡単に乗換えができました。

 この日は、パソコンを持っていないのに、ここまで追跡をされるので、私をいじめているのは、革○(早稲田では、全滅されたと言われているが、一種の汚いことを請け負う集団として、いまだ闇の世界で機能をしていると考えられる)かもしれないし、警察かも知れません。

 でも、ともかく、弟の家で、用事を済ませた後で、また、バスに乗って日吉駅まで出ようとすると、東急バスの車内放送が、「不審者が見つかったら、運転手等へ、教えてください」と言う放送をします。東急を利用するときは最近は、必ず、この形で、『お前がどこにいるか、こちトラはわかっているのだよ』と言う形で脅かされます。昔は横須賀線でもやられたのですが、そちらについては、徹底的に、鎌倉春秋社の社長伊藤玄二郎氏と結びつけて、分析できますので、それを、やりぬきましたから、今は抑えているみたいです。

 しかし、この東急を利用した脅かしやら、嫌がらせも、突き詰めてみると、上記の伊藤玄二郎氏に決定的に結びつくのです。2008年の初春に、この山で、町内会の回覧板がまわされて、その中に、『不審者が居たら、通告をしてください』という文言がありました。この山は、非常に静かなところで、ありえない発想の回覧板です。が、その当時は、敵方は私を見くびりきっていて、やりたい放題だったのです。と、同時に、自らに対する負い目もありました。2007年の春から、彼らがやりぬいた悪行を全部、集めれば、それこそ、こちらは、5億円から20億円の損害となります。それを法治国家としての日本の明るみに出せば、やはり、伊藤玄二郎氏と、その裏で、アイデアを提供した、井上ひさし氏は、その表向きの社会的な、評価が失墜する事が確かです。

 だから、必死になって、イジメてくるわけです。その案件は、詳しく書けば、一万件を越えると感じます。つまり、CIA側が私を抑圧する道具として、利用してきた石川和子女子がわがまますぎたために、猫のことで、ばかげた形で警官を呼び、その警官がまた、ばかげたことをやった(山の上なのに、無辜の人間たる私を脅かすために、交通事故の調書をとった)のを、糊塗するために、次から次へとばかげた策動を繰り返し、また、それを、私に見破られて、次から次へと書かれる訳なので、まあ、いたちごっことはいえますが、苛め抜いてきているわけです。

 この騒動やら、全体像については、まだ、三の一も書いてはおりません。『その続きを書いてもいいし、書かなくてもいいし』とは思っていました。むしろ、書かないでいる方が『こちらが高度である』という事と、天はごらんになると思いますが、弟の家(それは、私が育った家でもある)へさえ、自由には行かれないという、こんな人権侵害は無いから、それを防衛するためには、いきさつをさらに書かないと駄目でしょう。そういう形で、言論弾圧をしてくるのです。それ以外は、方法がないからでしょう。私は有名人でもないので、植草教授や、ウィキリークスのアサンジュ氏に対するような、一種の別件逮捕等は応用できないからです。
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 さて、私は7日の火曜日には、朝の九時から、その攻撃やら損失をわきまえながら、暮らしぬきました。『自宅の電話を使えば、自分にとって、損な、何かが起きる』とは覚悟の上で、行動をしました。というのも、夜の六時半から、クラス会がある。そこで、弟の家近辺で起きたこと以上の出来事が起きるだろうと感じていました。お知らせがメールで来ましたからね。敵は、私がそこへ出席をするのを知っているわけです。

 『何が罠として用意されているのだろう』と、覚悟を持って考えながら、そこへ向かっているわけですから、有楽町から新橋までの間に、機動隊の灰色のバスとすれ違っても『ふん、ふん』と平気でした。これも、よくやられる手なのです。鎌倉の覚園寺で、樋口恵子さんの講演会(それは、おはがきで樋口さんご自身からご案内を頂いたので、郵便チェックで敵は知っているわけですが)を聴いた後で、鎌倉の山すそを縫って歩いて家へ帰る途中、幅が、3メートルも無い狭い道路(清泉小学校のあたり)で、この機動隊用バスとすれ違った時から、『は、ハーン。そういうわけですか?』とはっきり認識している私用・イジメツールです。

 が、もちろん、ストレスは果てしが無いです。クラス会とは、最も楽しい場所のはずです。そこへ行く際に、覚悟をして向かわなければならないなんて、不幸のきわみです。だけど、『私って不幸せだなあ』と思わせ、ノイローゼにさせていくのが敵方のやり口だとすでにわかっていますから、鈍感そのものを、身にまとわせて、そこへ、向かいます。

 しかしね。もし、何かの罠に気がついたときは、とっさの判断で切り抜ける必要があるので、鈍感、100%でもいられないのです。2007年からの三年間は、毎日が、綱渡りの連続です。そして、最近ではクラス会に限らず、あらゆる場所で、そういう憂き目に会いますから、鈍感と敏感のすさまじい混合状態で生きています。

 罠とは、『必ず、こちらが怒ってしまう』ような設定で、企画をされています。だから、そこで私が、ぶち切れてしまったら、総ては終わりです。あとあとまで、悪口を言われるでしょう。だから、どんな失礼なことをされても、深いレベルで我慢をすることを覚えました。ただし、人間ですから、万能じゃあないです。全部はこなせないです。だから、罠として一度でも、使われた人には、以降、注意して接触するし、もし、イジメが耐えられなかったら、そこへ、出向かないことには、しています。

 ただ、そういう風に用心していたら、ありと、あらゆる機会を失ってしまいます。よいものにも接触ができません。だから、すれすれのところで、妥協をしながら、できる限りチャンスを生かそうとは思っています。
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 で、クラス会の会場たる居酒屋に入りながら、『決して、はしゃがないこと』と自らに命令しておきます。さて、みんな優秀な人たちなので、スピーチをすることが用意されています。

 私が卒業した学校は、小学校、中学校、高校、大学全部を含めて、少人数制の学校ばかりで、しかも優秀な人材が多いところなので、私の前の五人が、立派な、最近の日常を報告をしました。さて、6人目としての私です。どんなことを言うか、一切を事前には準備していません。

 この『準備をしていない』ということすら、私にとっては悲しいことなのです。私はひたすら前向きな人でした。あらゆるチャンスを捉えて、自分を芸術家として売り込むべきだと考えていました。創作は大切です。が、アーチストは、生前に大勢の人に、その作品が知られていないと、死後も復活ができません。

 不幸な死に方をして遺骨の存在すらわかっていないモーツァルトだって、生前に演奏会やら、オペラの公演をやっていて、楽譜が残っていたので、今、復活しているわけです。

 だから、少しでも、自分を売り込んでおく事は、7回も個展をやった人間としての私の当然の義務でもあります。「自己顕示欲が強い」とおっしゃる方もあるが、そういう批判は気にしません。で以前は、事前に歌を準備していました。美術が専門ですが、かさばる形での、絵や版画を、居酒屋やレストランへ持ち込むわけにも行かないでしょう。だから、短い時間で、印象を強く与える手段として選んだのが、お歌です。大体曲目を朝から選んでおいて、一時間前くらいから、歩きながら音を取ったりメロディを確かめたりします。だから、昨日だったら、有楽町から、新橋に掛けて、歩きながら、うたって準備していたはずです。

 しかし、この三年のイジメ、特に最近鎌倉で見聞きした現象を考え合わせると、もう、そんな気分ではないです。そこまでの深い程度で、敵にやられて居ます。で、お歌も準備していなければ、スピーチの内容も準備してはありませんでした。

 で、脈絡の無いことではありますが、以下のようなことを話し始めました。『私は、仕事も無ければ、肩書きも収入も無い人間です。(これは、前の五人が現代社会における勝ち組だったので、申し開き気味の前置きです)

 だけど、幸いに父から遺産をもらい、それで、活動をしてきました。ただ、それを使い切ってしまい、貧乏だ、貧乏だとここ数年、言い続けてきました。ところが、幸いな事に、また、母から遺産を貰いました。
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 ここですが、読者の皆様に向けてお断りをしたい点があります。「能天気な言い草だと誤解を受け、嫌われることを覚悟して、表現している」と申させてくださいませ。このごろでは、このブログの世界で、人気を得ることは、捨てております。主題をより深く説明する事が最優先です。

 そして、ここで、最もいいたいことは、・・・・・この世は、理性と計画だけで動いているわけではない・・・・・ということです。私は、今では、聖書の中にある言葉『天の鳥を見よ。野の花を見よ』という言葉は真実だと思っています。

 お金の事は大変な心配事でもあります。ないと駄目です。ある程度は無いと駄目です。安心して暮らすためには、流れ入る収入がないと駄目です。貯金があっても駄目だと感じています。人間は弱いですから、将来を見越してお金を使うということには、不得手です。年金が二月に一回入ってくるでもよいが、給料の形で、流入するお金があると最高です。でも、それが数十年にわたり、無かった私です。

 が、必死になって、やれる事はやってきました。それに対して、天というか、神様が報いてくださっていると感じます。父の遺産も母の遺産も、私が日々重ねている労働へ対する、天からのお給料だと感じています。

 ただ、ここにいたる道程については、大変でした。家族や親族から誤解をされたり反対されたり、軽蔑されたりしました。でも、どこかで、『これは正しいことなのだ』と信じて、突っ走ってきました。

 1998年から、2000年に掛けて、夫や子供を放ったらかしにして、海外武者修行に出かけていました。その海外行きの自由を得るために、日本にいるときも一人暮らしをしていました。これってものすごいわがままなことです。確かに、身近な人からこそ、批判をされています。夫と、子供が一番批判をしているでしょう。でも、『あれが私にとっては必要だった』と言う思いに、10年過ぎても、変りありません。

 『あれがあったから、現在の心の安定もあるし、将来も、脳は大丈夫だろう。認知症にはならないだろう』と考えています。

 ここで、余談となりますが、今、ハイソなご家庭で、認知症が頻発をしているのをご存知でしたか。みなさん、『家庭内の不幸は、外へ漏らさない』というたしなみがあるので、社会現象としては、まだ、捉えられていませんが、いわゆる上流の下とか、中流の上のご家庭で、現在70歳代以上の奥様の中に、認知症を発症をして、家事もできないし、あまつさえ、ご主人に暴力を振るうケースもあるのです。説得も効かないし、大変なのです。『折り梅』という自主上映・映画があるそうで、その監督は折り梅の成功の上で「レオニー」という新作を作られましたが、認知症の事は、はずしてはならない、老人問題の一つです。統計として世に出ている以上に、それに、困っているご家庭があるでしょう。
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 で、余談からもとへ戻ると、私にとって、アーチストとして活動する海外修行はすばらしい経験で、2003年ごろから、2008年ごろまでは、餓え渇くような思いで、『それが継続できる潤沢な資金があったら、よいなあ』と考えていました。若いとき、三十代なら、海老蔵君にそれを勧めたように、自分ひとりの力で道を開く可能性もあります。が、60を越えた女性が、海外で、一人で、暮らそうと思えば、先立つものはお金です。安全を確保するためにはお金が必要です。

 でも、2008年ごろから考えを変えたのです。『駄目だ。もう海外へ行って修行をする事は不可能だ』と思い定め、方向転換を図り、ブログをはじめたり、そのブログで、1万字を越えるものを書いたり、現代政治を分析したりする事となりました。体力は無い方ですが、気力は充実している方だと思いますから、何事でもはじめたら、凝るほうです。

 さて、そういう進路の変更に関して、母の死を考えなかったといえば、嘘になるでしょう。母からいくばくかの遺産がもらえる事は、父の死以来、30年近くにわたって知っていました。でも、それを当てにして、銀行やら、どこやらから、お金を借りて、その海外修を続けるかどうかですが、『それは危ない』と感じました。で、もう挑戦は止めると決めた、後での、母からの遺産の話です。
 ここは不思議な矛盾です。でも、夫や子供にとっては、私が冒険を諦めた後で遺産を貰った事がラッキーだとなるでしょう。だから、これも天の采配かなあ?

 さあ、ここで考えを変えるかどうか変えないかです。2003年ごろの心構えから考えれば、ここは、すぐニューヨークへ向けて、飛び立つはずです。で、ここから先の考察は、昨日(火)の居酒屋でのスピーチへの情景へ戻らせて頂き、そこでのスピーチの報告という形で、書かせてくださいませ。
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 「私は、ここで、このお金を使って、打って出るかどうかを考えたときに、今、68歳なので、もう、それは止めて、そのお金を、これから、先、死ぬまで、どうやって生きて行くかに、使うことにしました」と述べたのです。すると、どこやらから、「それが、みんなが、考えていることなんだよ」と暖かい野次が飛びました。

 その途端です。朝からずっと感じ続けていた緊張が解けました。おもいがけずも、スピーチが受けたと感じましたので。望外の喜びというやつです。計算外の効果が上がってうれしかったですよ。

 確かに、母のように安全に死を迎えて(老人ホームに入ってから六年後であったが)、さらにその後、安全に納骨をしてもらうためには、年金以外の現金として、(預貯金という形でもいいが)一千万円は必要だと思いました。年金があっての話です。だから、夫婦二人が、安全な死を迎えるためには、一家庭に二千万円は、動産が必要だと言う事となります。

 その前に、癌などで手術をする必要があれば、その費用が掛かります。
 今まで、日本人は普通ですと、こどもの学費と、住宅ローンのことだけを考えていればよかったはずですが、いつの間にやら、老後、死んでいくまでの歳月のお金の事が大問題となってきたのです。これは、20年ぐらい前には、まだ、予測もされなかった事態でしょう。

 病気や事故で若くして死亡する人を除けば、老衰なら、90を超えて死ぬケースがざらなのです。で、死へ向かう準備には大金が掛かる時代となりました。

 このクラス会においては、もうひとつ大いなる感慨があったのです。それは、ここで初めて中野君(元朝日新聞記者)の死を知ったことです。
 それこそ、今日のタイトルに『死』を、使ったゆえんです。華やかな会の間中、通奏低音として、さまざまな思いに打たれていました。

 それは、深く、考えさせられるきっかけだったのですが、今、八千字近くになったので、それは、別稿として書かせていただくか、明日この文章の推敲案として、前の方を削ってそれを付与するかにさせてくださいませ。

  では、今日はこれで。2010年12月8日       雨宮舜(川崎千恵子)
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『棗(なつめ)』がいっぱい・・・骨董とは文化を伝えるものだった

2010-12-05 14:48:59 | Weblog
 ここですが、『感動がないときは書かない』と、決めているのに、感動の無い日でも書くことの態勢に入ってしまうのです。

 感情が動く事はダイナモです。特に怒りは、大きな起爆剤です。しかし、今日は一切、感情は動いておらず、ただ、分析だけを重ねるつもりですが、それが、他人の心を打つものになるかどうかに自信が無くて、それゆえに、かえって、考え抜き始めてしまったのです。普段は水が流れるように言葉があふれてきます。しかし、今日はひねり出し、こねくりだしながら語っていかせてくださいませ。
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 12月に入り、クリスマスシーズンに入りました。しかし、日本の街には以前ほどにはクリスマスソングは流れておりません。人々は静かに、自宅でクリスマスを送る見込みだそうです。

 そんな中、思い出されるのは、ディッケンズの小説クリスマス・キャロルの主役、スクルージです。お金本位な強欲な人が、クリスマスを機縁として、別の人間となっていく話です。日本のことわざで言えば、『情けは人のためならず』ということを表していたと思います。

 お金って、とても大切でなくてはならないものなのに、ありすぎても幸せではないのですよね。不思議なことですが、そうらしい。

 私はこの秋、相続の関係で、東京美術クラブというところに些少の縁ができたので、それを、きっかけとして、そこで行われる売り立て(即売会)に参加してみようと決めました。普段は新鮮なものが好きです。画廊で見る現代アートです。それは、一年か、半年以内の出来立てです。で、骨董には興味がないのですが、場所さえも知らなかった、その建物を二回も訪問をしたのですから、これをきっかけに、『日本の富豪たちが参加するであろう』即売会を、ちょっと覗いてみたいと思ったのです。

 で、時間的によゆうがあったので、浜松町の駅前の本屋に入り、富豪に関する本を数冊買いました。自分が富豪になりたいからではないのですよ。社会を勉強するために、です。五十代では、勉強の方向を、犯罪の実録書へ向けていました。今は『富豪とはナンだ』という分野に向かっています。そこで、本を5冊も買ったために、長時間の立ち読みとなってしまって、『あれ、五時近いぞ。これでは、入場できないかな』と心配になり、あわててタクシーを拾ったら、「今日は、東京美術クラブへ向かうお客が少ないので、催しはやっていないのではないですか?」と運転手さんが言うのです。でも、実際には開いていたので、、後で、『不況のせいで、以前ほど、お客が来ないのかなあ』と思いました。で、書画・骨董を、三千点に近い数を一度に見るという、一生に、初めての経験をいたしました。
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 さて、一番初めに気がついた事は「棗(なつめ、抹茶の粉を入れる道具)」の出品が多いということです。ヨーロッパのコレクターは根付けと、浮世絵を好むようですが、日本の好事家は、「棗」を好むようでした。その事に「どうしてなのだろう」と、まず、考察が行きます。利休が創設したわびちゃの精神とは、かけ離れた華やかさが「棗」には、あります。たいていは金蒔絵の漆でできていて、中には、螺鈿で、装飾をされたものもあります。これは、きっと形の小ささに原因があると思いました。抹茶の粉は少量でよいです。だから、高さが10センチ、直径が、6センチぐらいの、尻つぼみの円筒です。わびちゃの世界では、ボリュームが小さいほうです。

 ですから、利休の精神が覆うその世界の、ちょっとした隙を縫って、豪華になったのではないかと考えます。茶杓や茶せん、茶釜など、みんな質朴だからこそ、ここ一点だけは、華やかにしたいという、殿様や江戸時代の富豪たちの、好みの反映でもありましょうか? 

 それと、出品数が一番多いという事は、小さいので、値が張らないのに、華やかなので、初心者でも惹かれるからでしょうか? 値段としては、ピン(一つ200万円を越えるもの)からキリ(2万円ぐらい)までありますが、『だいたい、ひとつ、20万円から50万円だなあ』と感じました。

 さて、この棗を鎌倉で大量に見た日があって、それを、今日のメインの話題にしたいのですが、そこの主題は表現が大変に難しいところなので、恐れ入りますが、ここからは、短編小説として書かせてくださいませ。・・・・・
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 『棗で、満ちた壁』

 百合子が頭の中で、ざっと計算するに、小町通りだけは、一万五千回は通ったと思う。他のとおりは、回数がはるかに少なくなるが、26年も住んでいれば、大体のニュアンスはつかめている。その中で、そこだけは、違和感を感じるドアーがあった。開かずのドアーなのだ。26年間一度もあいているのを見た事がない。といっても、毎日通るわけではないのだけれど、すでに、100回は通ったが、それでも一度もあいているのを見た事がなかった。
 場所は、にぎやかなところなのに、お客が入っている気配が無い。
 
 しかし、チャンスはとうとう訪れた。ある夏の午後、そこが珍しくあいていたのだ。中を見ると壁一面びっしりと、華やかな茶碗類が飾られている。「あ、ここって、骨董店なのだ」とひらめいて中に入る。遠くから見て、茶碗だと見えたものは、実際には棗だった。驚いた。縦横ぎっしりと詰まっていて、棗だけで、30個はありそうだった。鎌倉の骨董店で、これほどの数の棗を一度に展示をしているところなんて無い。

 銀座の画廊だって、棗をこんな、ぎゅうづめ状態で、見せているところなんて無い。高価なものなので、ガラスケース内に、左右に十分に余白を残して配置するのが、普通のやり方だ。百合子は、骨董には興味の無い人間だが、相当にいいものを保存してある画廊だと感じて、歴史的な美がここからは、探せそうな気もした。で、

 「すみません、買うわけではないのですが、美しいものが大好きなので、ちょっと見せて下さい」と言った。すると、左側に立っていた主人らしき老人が、「うちは知らない人には売らないんだ」とつっけんどんに言った。そして、『見るのも、よしてくれ』というような冷たくて恐ろしい顔をした。ちょっと忘れられない態度と顔だった。で、びっくりして外へ出た。そのときに、この部屋が道路より、数十センチ下がっていることを知り、『あれ、落窪に住んでいるのだ。それも、秘密主義を強めているのね』と思った。ふっと小説クリスマス・キャロルに出てくるおじいさん、スクルージを思い出した。

 そして、『最近、ジョージ・ソロスが引退を決め、大金を寄付した後では、顔が美しく変化した』というエピソードを思い出した。

 相手は日本人だ。それも、鎌倉に住んでいる紳士(?)だ。しかも大金持ち。棗を、幅1,5メートル高さ1メートルコレクトしているのを見ただけで、そこにすさまじい金額をみた。その後、2010年12月4日、東京美術クラブの売り立てに参加した後では、あの壁はあそこだけで、一千万円の価値が隠れていると認識している。同じ棚の上とか、下は見ていない。下段には箱等がしまってあるとしても、あと、残っている、6メートル弱の壁に、何が保存をされているであろう。どの棚もコレクション・アイテムの大きさに合わせて、設計をされており、しかもびっしりと品物が詰まっていた。

 ともかくその、換気がなされていない洞窟のような部屋から、明るい外へ出ながら、もし別の壁の棚に、「棗」よりさらに価格が高い、茶碗(もちろん茶道用)でも、収納されていたら、あのお部屋一つで、五千万円から億を越える、収蔵庫となる。

 この人をいじめる必要などない。相手から、さげすまれたのは、一瞬だ。

 ただ、彼の異常なほどの無礼の影に、彼には、なにかの心配があると、百合子は気がついてしまった。

 心配とは何か? 名品がたくさんありすぎて、しかもそれを知らない人に見せることを、秘密にしていることだ。という事は、その入手資金が、節税のきわみによって、生み出されたものである・・・・・と考えられる。骨董品は美術品であり、第一義的には、投資の対象ではない。だけど、あの老人の極端な秘密主義と、高価なものが大量に、販売用の展示向きではない形で、保存をされているのには、普通の人である、百合子には違和感がいっぱい残った。

 いや、言葉を変えて、以下のように説明をしてくれたら、納得がしやすかったであろう。「すみません。うちは、専門家、つまり、画商や骨董商しか相手にしていないのです。つまり一種の問屋です。あなたは素人さんですか。となると、これらの品はお見せできません」と。

 すると、百合子だって、『あ、そうか、ここの品物の正札は、2割引ぐらいの安さでついているのだわ。だから、素人の私にその値段を知られてはまずいのね』と感じて、すっと、外に出る。そして、その日の事は忘れてしまうだろう。

 いや、あの大量のお宝=商品群にはきっと、値札などついていないのだ。玄人しか相手にしないというのなら、あの時、あの場に一緒に居た相手も、あの老人と同じく、物を見たらすぐ、これがいくらぐらいなのかが、値段がわかっている人だろう。で、二人は、その棗を、28万円か、32万で売買するかの相談を、値札なしでするのだ。二人の間の差は、二~五万円で、それを、どちらに有利に、するかの交渉ぐらいしかないのであろう。築地のマグロのせりではないが、あっという間に決まるのであろう。
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 百合子と骨董との、付き合いは、鎌倉にある、有名な店で、仏像を買ったことから始まった。その仏像は乾湿でできていて高さが30センチぐらい。光背がとくにすばらしく、どこかのグラビアで、博物館収蔵品として見た光背と同じデザインである。お顔よりも光背に惹かれて、それを買った。で、母にあげた。「父のために飾ってあげて」といって。

 父は次男なので、仏具は何も相続できなかった。だから、あたらしい仏壇の横に飾るために、それを、買った。大きさから考えて、明治時代の廃仏毀釈時に、外に出たわけではなさそうだ。1945年の敗戦時、農地解放他で、突然に、没落した旧家から出てきたものと思われた。または、太宰治が描いた、元華族らから出てきた?
 
 だから、そのお宝には、不幸の影が感じられる。というわけで、骨董はだいたい、買わない主義だ。が、最近では世の中に、仏師と言う存在がない。で、仏様のいいものが手に入りにくい。となると、『ちいさい個人向けの仏様としては、最高の技術の出てきた江戸時代のものを買うのは、いいかなあ』思ったのだ。そして、きちんとした骨董商(それこそ、正真正銘の東京美術クラブの会員である人)からそれを買った。

 その後、パリで、骨董に触れた。が、それは、いずれパリ物語という本を作りたいので、その中で書きたい画、簡単にまとめれば、日本より骨董に触れる人が多いのは、わかった。さすが石造りの国、かつ、湿気の少ない国だと思う。日本では、骨董にこるのは、富裕層で、かつ茶道やら、香道に親しんでいる趣味人が多い模様だ。江戸期のお殿様のお家から出た(伝来のあるもの)などが新しい富裕層の妻や娘に受けているのだと思われる。棗の次に目に付いたのが、香合だったし。

~~~~~~~~~~~
 ところで、百合子が東京美術クラブに縁ができたのは、相続が絡んでいるとは、最初にいってある。弟が、父から相続したものが、名前としては、大家のものなのだが問題なのだ。あまりにも有名な画家が含まれているので真贋が疑われる。しかも敗戦後、満州から持って帰る際、箱を捨て、表装もはがした。だから、真贋がより不明になる。

 弟はきちんと、平等に遺産を分けようとしていくれているから、真贋がはっきりしないそれらの絵が面倒になった。

 百合子が、親切で信頼できる鎌倉の画廊にちょっといきさつを話してみると、そのオーナーが、「処分(イコール売るということ)を引き受けてあげます」といってくれたので、その人に一切を頼もうと思っていたのだ。が、業界の詳細を知らない夫が、先ず反対をした。「何事だって、ある人、一人に任せると、絶対にこちらが損をするよ」と彼は言う。そして、弟も百合子ほど知識が無いので、百合子が持って行きたい方向に賛成してくれない。二人を動かすのが、とても大変だった。

 で、東京美術クラブへ向かう事となった。その前に、別のオークション会社がつぶれているのを知ったので、タクシーの中で、「ここが美術品鑑定では、日本で最高のところで、他にはないのよ」と教えてから、その建物内に入り、懇談したのだ。

 が、しっちゃかめっちゃかで、その日は、百合子は、レディではなかった。上の方で、鎌倉の骨董店の主人を、紳士ではなかったと批判をしているけれど、百合子も時によっては野蛮になる。
 夫と弟の男性二人が、なかなか、行くべき方向へ進まないので、百合子は、仕方が無くて昔すでに相続をしていて今回も帯同した、自分所有の軸を出した。そのとき、弟
自分の物を間違えないように、自分のものだけに、ピンクの風呂敷を掛けて鎌倉の家を出た。が、実家でそれを空けたときに、そのピンクの風呂敷が間違って弟のもの覆っていたことを発見したときに、まず、「あれほど、注意して頼んだのに」と、やってくれた主人を他人の前で、叱ってしまった。これはすでに、相当に、いらいらあていたということだ。・・・・・

 やっと正しく開かれた小室翠雲という作家は、大衆的な知名度がない。で、今より、経済が安定していた五年ぐらい前でも、5万円で売れるかどうかと言われていた。それがさらに値段が低くなっている模様で、実質的に、二万円ぐらいの売値をつけたいと、東京美術クラブでは思ったみたいだった。しかし、戦後父が手当てしてくれた表装がすばらしい。あの立派な表装で、二万円だとしたら、それは、残念な売り物だ。だれが考えてもそうだ。その上、今の自分が二万円に困っているわけでもないし。

 だけど、私は、それをパスポートとして、売り立ての会へ参加してみたかったのだ。目の前で、自分が持っている掛け軸がいくらの定価で売られるのかを見てみたかったし、買い手が居ないか、いるのかも見てみたかった。東京美術クラブの催しに参加する、入場券代わりに、それを、売ることを考えていた。

 しかし、私はいつ、どこででも、そうなのだけれど、いったん口を開くと相手を驚かせ、その心胆を寒からしめてしまう。つまり、知識が、学芸員級に豊富なのだ。『う、この人って、ただならぬ感じ』という印象を誰に対しても、与えてしまう。この日も東京美術クラブのトップ学芸員をびびらせてしまった。百合子の肩書きに、大学教授とか、なになに、美術館・学芸員と言うものがついていて、それが印刷されている名刺をさっと出せたら、総てがスムーズに運ぶと思う。が、いつも初対面では、こういう齟齬が起きる。

 で、相手は、百合子がよく、分かっているだけに、この軸に、2万円台の価格をつけることを、納得しないだろうと推定したらしい。出、弱点があるということを納得をさせようとして、あっち、こっちのしみを指摘した。鎌倉の家が湿気が多いために、26年の間に、しみが生まれている。百合子はその事はをして、「ええ、それで、かまいません」と応えた。

 しかし、百合子の夫は、はたから、それを見ていて、『あほらしい。たった、2万円程度で、それを売っても、どうしようもないじゃあないか』と思ったらしくて「売るのを止めたら」と口を挟んだ。

 その途端に、百合子は切れた。ぶちきれてしまった。母の死後、2週間目だったのも災いした。相当大きな声で、「あなたね。私だって、売りたくないのよ。でも、弟にお勉強をして、もらいたいの。私が売るというその交渉の過程で、彼がいろいろ、学んでくれたら良いのよ。それを狙うために売るの」と言った。普段実におとなしいひとである百合子が、叫んだのだから、夫を弟を最初の人として、辺りは凍りついた。応接コーナーは、ついたてで区切られただけだったので、その向こうの、広い事務室内に居たほかのスタッフにも、この恐ろしいフリーズの気配が、伝わった。百合子はもちろん、参ったが、いまさら弁解しても後の祭りだから、ただ、黙っていた。

 四人が沈黙をして、事務手続きが滞った中で、突然に弟が、助け舟を出してくれた。「僕、相続用・鑑定に出します」といい始めたのだ。ほっとした。みんなほっとしたと思うが、私が一番ほっとした。三人が、実家から車に乗って出てきて、この東京美術クラブへ入る前に、一種の予習として、銀座で他のオークション会社に寄った。豪華に運営していたのに、つぶれて、しまって存在していないことを、その日に知った私は、ここ東京美術クラブで、今日のうちに、鑑定を依頼をするかどうかを、決断をした方がよいのに、と、考えている。が、男性陣ふたりが、ぐずぐずしているので、百合子は、いらいらしきっていたのだった。『やっぱり、私一人が、全部を預かって、鎌倉の画廊さんだけで、解決したら最も楽だったのに』と内心で怒り沸騰だった。けれど、弟が、相続用鑑定を、ここで、受けるのなら、それが、最適な解決方法だった。

 それで、やっと4人が座っている場の、フリーズ状態が解けた。弟が持っているものは百合子が持っているものよりも、はるかに格が高い作品だ。で、相手方の好意がいっきにました。

 相手方は俄然張り切りだした。小室翠雲と言う人は大衆的な知名度がないので、たとえ絵がよくても、お値段が上がらない。だけど、弟の持っているのは文化勲章を貰ったほどの知名度の高い作家だった。@@@@@

まことに済みませんが、ここで推敲を中断をさせてくださいませ。末尾も未完成ですが、疲労困憊をしてしまいました。明日続きをやります。

 しかし、上記の絵が手に入った時期もまた、絵が信じられないくらい値がつかなかった戦時中なのだ。私の両親が絵が好きなので、他の都が人が見放す中、ひときわたいせつにしたのだった。他の人は、ただただ、食料が大切という時代だった。父とは母は、丁寧に表装をはがし、帯(丸帯といって、膨らませると筒状になるもの)の間に挟んで、これらを、満州からもって帰ったのである。

 だから、たとえ偽ものであっても、最近『何でも鑑定団』という番組内で、「残念ながら印刷物です」といわれるようなものではない。無名の画家が生活費を稼ぐために、本当の絵を一生懸命描いて、署名だけ、大家のものを借用したという類の作品だ。

 で、箱が無いし、オリジナルの表装ではないが、主任・学芸員が、『うわ、面白い、久しぶりに、血が沸き踊るわ』と思ったみたいで、すっかり場が華やいできて、即座に弟の作品へ対する事務手続きに入っていった。細かい書類をいろいろ作る。それには感心した。安心して置いて帰れるようなシステムとなっている。その緻密な仕事振りにび驚きながら、ざっくばらんな自分を反省しつつ、ふと、『あれ、自分は自分用の書類を、きちんとしまったかしら』と、気がついた。バッグの中を見ると無いので、念のために、夫に向かって「預けたかしら」と問うと、横から、東京美術クラブ側が「あ、すみません。あとで作ります」と言ったので、私は、自分用の手続きは、忘れさられたのがわかった。ここでは、大家で人気がある作家と、誠実に生きたが無名な人では、歴然とした差がある。

 もう一つ、別のことにも気がついた。私たちがここでは、とても珍しい特別の客だと言うことも。この手の名品をここの会員(画廊や骨董店)ではない素人がここへ直接持ち込む事は普段は無いのだと思われる。そうなったのは、百合子と父の両方が、すこぶるつきの事情通(または、美術好き)であるから、こうなった。その事は誰も認めてくれないのだけれど、どうも、東京美術クラブの社員さんたちはそう思った模様なのである。で、後日、大きな誤解が生じた。

 売り立てに参加をしたいと電話で願い出たら、「会員じゃあないと、駄目なんです」と断られた。『あれ、美術雑誌には、誰でも参加できるという広告が載っていたのに、変だな』と思いながら、「ああ、そうですか。それじゃあ、あの小室翠雲は売らない事にいたします」といい、数日後、取りに行った。規定ではキャンセル料を、五千円払わないといけないのだけれど、私の、『弟に、勉強してもらうために、売るのよ。そばから、彼に手続きのやり方を見ていてもらうために、』という叫びに近い、主人への反論、(一種の叱責)が効いたのか、「頂かないで結構です」といわれた。二万円で売るのを気の毒にも思われたとも思われる。同情されたから、キャンセル料をとられなかった。それにあれを12月4日に展示したって、売れたとも思わない。それはありがたかった。

 が、返却を求めて再訪した入り口のカウンターに「売りたて(即売会)の宣伝チラシが入っているので、「これ、参加していいのですか?」と聞くと、今度は誤解がなく、「ええ、どうぞ」といわれた。電話内で誤解を受けたのは、あの最初の日のドンちゃん騒ぎで、百合子が、非常に知識が深いので、『売る側の人間として、参加したがっている』と向こう様が勝手に考えていてくれたことを明かしている。百合子が思っているようり、実力が高いとみなしてくれたのだ。

 ただ、百合子は、その駄目だといわれた、たった、2、3日の間に、この骨董の世界に冠する知識を数段高めた。それは東京美術クラブの会員には、どうしてなれるのかとか、その実態がどういうものだとか言う点である。簡単だった。東京美術クラブの応接室内で、弟や夫を前にぶち切れてしまった上記のような特別な場合を除いて、いつも人を信頼して、ニコニコしているので、他人が親切に、全部を教えてくれる。

 東京美術クラブの会員になるためには、まず、お店を開かないといけない。その前に、古物商の資格を警察に行って取らないといけない。それから、お店は相当の売り上げをあげ、地域社会でご近所の同業者から、信頼され、一目を置かなければならない。そして、誰か、二人の、古くからの会員の推薦が必要である。『うですか、それじゃあ、いまさら、参加する事はできませんね』と思う。だけど、世の中にはいろいろな職業があることには気がついた。

 我が家の人間なんて、みんなサラリーマンになることしか考えて居なかった。そして、よらば大樹の陰で、大会社に入ることがいいことだと考えていた。だけど、世の中には、驚くほど、いろいろな職業がある。そして、東京美術クラブの売り立てに参加して、茶道具の名品を見て歩いた結果、ここに集う会員が、日本文化のある一面を確実に支えている事に気がつく。とても、重要な仕事の一つなのだ。いままでは、全く知らなかった世界だ。
 しかし、私がこれから、この世界に参加していく気持ちはない。先ず今の私には視力が無い。それに、限られたお金を使って、何かを買うのなら、銀座の画廊で現代アートを買うことを、優先したい。

 だけど、いい勉強をした。母と父のおかげだ。二人で、満州から苦労をして、日本画を持って帰ってきてくれたおかげだ。

 今、12月の5日の午後三時です。二日掛けて、エピソードを出したり、入れたりしました。丁寧に追いかけてくださった方は、途中で鋭さを失ったのには、気がついて下さっていると思いますが、お許しくださいませ。2010年12月5~6日にかけて。
                          雨宮 舜
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海老蔵よ、・・・ペールギュントに、なりなさい。

2010-12-03 17:04:28 | Weblog
副題1、『松竹にも大きな責任がありますね。彼一人の責任ではない』
副題2、『幸せの大きな要素である、自主性を、誰が、いつ、どう育てるか?』
副題3、『どうして、彼は不良と付き合ったのか?』
副題4、『好青年よ。ペールギュントになりなさい』 

 今週の週刊誌が、木曜日に出揃いました。月曜日から三日の違いでも、ずっと、情報が多い模様です。私はまだ、買ってはおらず、ただ、新聞の広告で見出しを見るだけですが、今週の大記事として、海老蔵殴打、(私は負傷と呼びたいが)事件が取り上げられています。週刊文春と週刊新潮は大きく売れるでしょう。月曜日の週刊誌より、おもしろそうに見えますから。

 という事は、『庶民へ為政者が自らの非を見せないがために与えるといわれる、例の、パンと、サーカス』の犠牲者としての、海老蔵を感じて、気の毒でなりません。出版社全体をあわせると、五億円は儲けさせたと見えます。

 ちょっと、スピンオフに入りますが、母が死んだ事によって、弟と妹にあう必要性が頻繁に出てきて、兄弟とデートをします。2日は、家庭裁判所で、遺言書を開いたあとで、簡単な食事を一緒にいたしました。遺産の配分は、喪主である弟が丁寧に、他の二人に説明をしてくれていて、微妙な調整もしてくれているので、揉め事は一切無く、食事をしながらの話題は、世間話へと入っていきます。

 三人のデートの場所を評判のよい、おいしい店(ホテルのレストラン)に設定しようとした私ですが、お昼の零時をたった15分過ぎただけで、満席となり、1時間以上の待ちになったと聞いて、しかたなく、チェーン・カフェに入りました。で、サンドイッチをほおばりながら、どこのチェーンカフェがおいしいとか、おいしくないとか、という話題にはいり、そのあとで、妹が、「お姉さん、そういうレストラン情報をブログに書くの?」と質問をしてきたので、「違うのよ。ぜんぜん違うのよ。たとえば、最近では海老蔵は、離婚をした方がよいとか、・・・・・」というと、「まあ、言いたい放題ね」と笑っていました。

 そして、二人は、こういう話題には、興味が無さそうでした。テレビはほとんど見ないそうです。決して、兄弟とか、みうちの自慢をするわけではないが、中流の上としての育ちのままで、その生活パターンを、子供のころから一切変えておらず、ほとんど崩していないことを、二人から感じます。で、このブログの世界の読者さまも、同じようなレベルの人が多いと思いますので、海老蔵君の事件など、遠い世界とお考えかと感じます。ここで、君付けで彼を呼ぶのは祖父の海老蔵を、こどものころ、何度も親に連れて行ってもらってみているので、区別をしたくて、そのように書くということもありますし、12月1日に公開している一報目で、彼を気の毒な混沌状態にある少年だと規定していますので、こういう呼び方をさせて頂くのです。

 しかし、私が彼の事件を取り上げるのは、興味本位ではなくて、ひとえに、心理学的な問題、または、哲学的な問題を考える例題として、使わせて頂きたいからです。

 幸せになる権利は誰にでもあります。でも、それもとても難しい。まず、幸せとは何かが、わからない。簡単には定義できないものです。私はこの事件に接して、海老蔵君が、幸せではないという事を、潜在意識の中で、自分で知っていた事に気がつかされ、それに驚かされているのです。

 大事件がおきると、それが、一種のきっかけとなって、われわれはわが身を考え直す事ができます。

 海老蔵負傷、事件も、私はそういうものとして捉えるのですが、世間は違うように捉えているようです。で、もう一回、海老蔵(君)が、どうして、六本木(または、麻布)へ飲みに行かざるを得ないかを考えたいのです。
~~~~~~~~~~

 他人が、普通にみれば、いわゆる『人も羨む』生活をしているのに、・・・・・本当は幸せではない人・・・・というのが、私にとって、一番気に掛かることなのです。
 でも、今日の真実に入る前に、彼の何が、そして、どこが、幸せの根拠なのかを考えてみたいです。

 まず、普通に言えば、「家柄がよい」です。歌舞伎という特殊な世界ではありますが、成田屋という、成田山新勝寺の豆まきに昔から参加する家に生まれ、主役に祭りあげられのが容易な立場です。父やおじに力が無くて、主役を張る事ができない立場の人から見れば、超がつくほど、恵まれた立場にあります。しかし、それが当然である彼自身には、比較の意識もないので、この側面は彼に、「自分は幸せだ」という充実感を与えなかったと思われます。
 真に幸福な人は、威張らないでしょうね。威張ったとか、自慢をしたといわれるのは、かわいそうな人だから、幸せではないから、自分の優越点を、強調したのでしょう。

 今回殴られた原点が、『こいつは、生意気だ』と相手が感じたから、でした。が、その過剰な自慢が、彼の欠落感から生まれてきていると、考えると、『かわいそうな人だ』となります。特に最終節にあげた・・・・・かれがあの不良グループに持っていた可能性のある・あこがれ・とかが、どこからきているか・・・・・と言う部分には、新説として自信があります。  

 週刊誌では嫌われる人として捉えられているそうですが、インターネットでも、馬鹿に、せめ立てられている模様です。「悪いやつだ」とか、「ざまーみろ」という感じで。でも、そうなると、抵抗したいのが私です。

 あらゆる人間は、その人個人として、プラスの側面とマイナスの側面を持ち、100%の悪人など居ません。急に責め立てられ貶められるのは、その前に、大いに持ち上げられていたこととともに、私には、気に入らない現象です。

 特に松竹が、「2011年の1月の初春・座長公演から、彼を、自粛させるかもしれない」と聞いたときです。

 出演を自粛させること自体には反対ではありません。ただ、私が問題としたいのは、手のひらを返すようなその処置なのです。「いやだな」とか、「いけないなあ」と、強く感じます。松竹と、報道されていると、その個人名が出てきません。だが、大卒のサラリーマンのはずです。才能があるわけでもないです。それが悪いわけではなくて、ビジネス感覚と、才能は両立しないから、それで、よいのですが、組織であり、大会社であるから、責任の所在が明確ではありません。

 それに、成田屋、の戦後三代を、総て同じ人が管理しているわけでもありません。その発想には、思想や哲学が、あるかどうかということも見えません。ジャニーズ事務所とか、渡辺プロダクションとか、ホリプロという会社は、松竹に比べれば小さい会社でしょうが、社長の個性が、社会に浸透しています。そちらがいいというわけでもないのですが、無名性の中に隠れていて、風向きによって、態度を変える事に、怒りを感じます。風向きとは、大衆の真実の気持ちです。

 松竹側としては、あらゆる路線と、方向性で、歌舞伎界のプリンスと言うスタンスで、海老蔵君を今まで売ってきたのです。その総仕上げとして、一月の大歌舞伎の座長を任せたわけです。たまたま、歌舞伎座建て替中なので、変則性が大きく許されるという好機に乗じたと見えます。内実を言えば、『どうして、彼が、今、こんなに若い立場で』といぶかしく、懸念を持ってみていた人材も歌舞伎界には、存在して居たとは思いますが、

 興行のより上位の主体者として、松竹はそういう企画を立てたのです。何のためにといえば、儲かるからです。会社の利益が、よりあがる方向がそれだと、認識をしていたからでしょう。でも、報道によれば、「パンツまで脱がされて、土下座をさせられた」という種類の、屈辱的な姿の写真を、撮影されたと言われています。

 たとえ、歌舞伎座を使わなくても、お正月の花形歌舞伎にふさわしいイメージではないです。そりゃあ、冷静に考えれば、「おろしましょう。かれが座長ではだめです」となります。当たり前です。単に顔の怪我が、問題なのではなくて、暗い汚いイメージが付与してしまったからです。


 でもね、ここで、海老蔵君自身が、「僕やります。座長公演には出ます」といって、病室に、筋トレ器具を持ち込んでいるとか、聞くと哀れになります。また、奥さんが、「110番をしたのは梨園の妻として失格である」と言うような記事を見ると、それこそ、結婚そのものが、まずかったのだと言う事がわかります。

 だって、普通の女性だったら、血まみれになって帰宅をした夫の裏に事件性を感じて、119番と、110番の両方に電話を掛けるのは、普通のことで失敗でもなんでもないです。だけど、奥様がしかられたのは、そのほかの側面で、『あの結婚はまずかった』と考えている手合いが多いと言うことを暗示しています。

 結婚式に大金を掛けたから、それで、その後がうまくいくわけでもないです。この結婚で一番問題なのは、海老蔵君の方に、まだ結婚したいと言う意識が、なかったのに、周囲がお膳立てして、誘導したという側面があることでしょう。有名人は行動の自由が無いので、恋愛だと言われているものも、実質上はお見合いだと、感じます。対談や、インタビューなどの仕事を与える。そこで、人間関係に化学変化が現れる・・・・・すなわち、恋に陥れば、それを、立派な正式な結婚に持ち込んでしまうという形。

 奥様に落ち度は無いでしょう。むしろ、うぶな普通の感覚の女性。その上、美人で、育ちがよくて、頭もよい。周囲にしてみたら、結婚前には、「これほど、すばらしい女性は他には居ないから、早く捕まえて、入籍して、披露宴を行いなさい」という事になる。

 とくに、海老蔵君の方が、ガールハントをしすぎるタイプで、いずれ大・問題を起こすであろうから、早く身を固めさせて、いわゆるセックス生活を安定させた方がよいという発想が、周囲にあったと思われます。

 だけど、結婚って、第一義的に言えば、子孫を残すためにするものです。何々のためという他の・きょう・ざつ・ぶつ・が入っていると不純になります。

 海老蔵君のように主役を張るタイプだと、人気という水物を相手にしないといけないので、すさまじいストレスがあるものなのです。でも、理想の男を演じて結婚した限り、お嫁さんに弱みを見せられません。また、この若奥様の方だって、梨園のプリンスと称されている夫が、実際には、悩み多い、子供だったなどと知ったら、幻滅するでしょう。だから、二人の結婚生活は、仮想の親しさというか、演技の中でのむつまじさに満ちていたと感じられます。根本的な悩みを、お互いに引き受けあうというような類のものではなかったと、推定されます。

 繰り返しますが、奥様が悪いわけではありません。奥様は一種のはめられた人形と言うようなものです。イプセンじゃあないが、さっさと逃げ出して、ご自分に、本当にふさわしい道をあらたにお探しになった方がよい。若いし、それを、天は責めないと感じます。

 ここで、ご両親や、松竹が、彼の更なるイメージダウンを恐れて、離婚をしないように、奥様を引き止め、これから先、すえながく、夫婦円満であることを強調し、かつ、近々やってくる、お正月の演目に海老さまが座長として、出演したと仮定をして見ましょう。

 見かけ上はハッピーエンドです。「これから先は、麻布にも六本木にも出入りしません」と、周囲に宣言すれば、『あ、痛い思いをしたけれど、彼は、成長したわね』となって、年配のご婦人方からの声援は、復活するでしょう。

 だけど、私に言わせれば、そういう解決方法は、対症療法にしか過ぎず、彼は、引き続き、自分の主体性を確立できず、したがって、次から次へと問題行動を繰り返すはずで、ご本人も幸せではないはずです。これは、週刊誌が報道した過去の恋人と、妻を取り替えて、再婚をしたら、解決をしたのに、という類の問題ではありません。

 かれは実存的なレベルで言って、まだ、結婚をしてはだめな状況なのです。かれを本当に成長をさせるためには、五歳ごろから、生きなおさせて上げるべきなのです。何がいけなかったかと言って、一番よくなかった事は、ご自分で選択をする機会を、与えてこなかったということでしょう。

 かわいそうに、彼は、一種のよい子ちゃんであり、自分が本当に言いたいことを周囲には、まだ言っていないタイプなのです。病室に、トレーニング器具を持ちこんでいるとは典型的なよい子ちゃんの姿です。

 だから、正反対の不良に引かれて接触をしたと私はみています。

 彼が生まれた家には、すでに、大名代であった、祖父がいました。で、松竹をはじめ、周りは、一般の言葉で言えば、ちやほやしたのです。しかし、それと引き換えに、彼を、将来の金の卵とするべくレールを敷き、そこに埋め込むという束縛も始めたのです。その『レールに乗って生きるということ』が、簡単にできるタイプもいるのです。歌舞伎界には、親が大名大である、若手は他にも居ます。だけど、これほどの、スキャンダルにまみれた俳優は居ません。となると、どこが違うかですが、一種の天才としての、豊穣というか、過剰が、そうさせるのです。こういう人は育て方が、非常に難しく、今までのやり方が『実はあっていなかった』と思われます。父君の団十郎は、それを、本能的に知っていたと思われます。で、父君の方にも、一種のストレスがあり、それが白血病の発症に繋がったと私は考えています。

 ここにきて、大怪我という形で、その無理が顕現してしまいました。でも、災いを転じて福となすためにどうしたら良いかを考えましょう。
 まず、一番手っ取り早いのは、海外へ出向くことです。それも、今までのように、お膳立てをされた、歌舞伎役者としてではだめなのです。たった、ひとりで、海外で、生きる時間が必要です。英語が得意であろう、現在の奥様を一種の通訳として連れて行ってはだめです。絶対にだめです。無名の人として、第一歩から、一人で総てをやりぬく人生を、五年ぐらい経験しないとだめです。

 宇多田ひかるの母である、藤圭子さんも人気絶頂の時に、突然、海外へ向かってしまわれました。その裏側を知りませんが、海老蔵君もそれをするなら、前向きの修行のたびだと考えて出発すれば良いのです。ただし、マスコミにかぎつけられて、ニューヨーク(または、パリ)での生活が取材をされるようではだめです。主体性や誇りは保持したまま、ひっそりと、無名の人として生きる事が肝心です。オーディションを受けるのは、かまわないし、区立大学みたいな小さな大学へ入ってしまうのもよいでしょう。専門は演劇でなくてもよいです。文学でも美術でも音楽でも、『成田屋のお坊ちゃま』という地位から離れる事ができる時間が、必要です。そこに、別の可能性を持つ、人格を作り上げるべきです。

 これを実現させるのは非常に難しい事はわかります。特にこういう不穏なうわさも流れています。「成田屋のお台所は、実は火の車なんだ」というもの。「それは、あの若奥様のご実家がお金持ちなので、それで救われている」というもの。『成田屋は、現団十郎が、白血病で、闘病費が掛かった上に、パリやロンドンで公演したことでも、大金を使ったから』というものです。こんなうわさが真実であって、あのきれいな奥様との結婚が、一種の政略結婚であったとなれば、二人ともかわいそうです。大変かわいそうです。

 でも、彼を稼ぎ頭として、依存をする松竹と、その社員に対しては怒りが起こります。そもそも、お正月の座長公演が、彼の人格の実質的な成長に比べて、早すぎたのです。重荷だったのです。しかし、企画が持ち上がったときに、彼本人にもそれを、断る力が無かったし、父君にも、細君にも無かったのです。それで、彼の心身の本当の要求を見極めないまま、企画が進行したのでした。記者会見を、「体調不良を、理由にキャンセルした」と言って無責任だとかいって、責め立てられています。でも、私がマネージャーと言うか、親だったら、それは、進まないように、手配をする企画でしょう。いや、今ではもう無理だとしても、パリ公演を断ると、言う形で、海老蔵君が突出をしないように手配をしたと、考えられます。いわく言いがたいのですが、記者会見をキャンセルした意味を、誰も正しく理解をしていないようなので、一人の好青年のために、擁護したくて、この二回目の筆を取っているわけです。

 一回目のブログで、それに言及したように、飲みに行ったのは、重圧からの逃避です。彼は、弱いところを抱えているという報道がありましたが、当然の話です。たとえ、歌舞伎座が、改築中とは言え、お正月の座長公演というのは、全歌舞伎界を背負って立つ立場ですから、それが不成功であった場合への恐れは、すさまじい重圧として彼にのしかかってきていたでしょう。

 ここで、一つの残念なメッセージが出ました。父君が「記者会見をキャンセルしたのに、飲みに行って、申し訳ございませんでした」と世間に対して、お詫びをしたことです。対一般大衆に向けては、それが、必要だったかも知れません。しかし、心底からそう思っていらっしゃるのなら、父君に息子の不幸の、真因があったという証明になってしまいます。そして、病室では、息子に向かって「悪かった。お前の本心を、私たちが正しく理解をしていなくて」とおっしゃらなければなりません。そして、松竹という会社に対しても、ご自分が盾となって、息子を守らないといけません。

 難しいことですが、あの記者会見はなさらなかった方がよかったです。ことを穏便に済ませようという意図が、プロの芸能記者には、見え見えだったのでしょう。それが、逆効果を生み、今週の週刊誌が、この記事でオンパレードとなってしまいました。しかも、海老蔵君側も悪いと言う趣旨で、報道の方向が定められています。

 父として、できる事は、電話だけでもよかったから、松竹へ、『正月の座長公演は、出演を辞退をさせてくださいませ』と言うことぐらいでした。先手を打っておっしゃることだったでしょう。松竹側から、降板させようという申し出でが出ている中、病室に、筋トレよう器具を持ち込んでいると報道をされれば、哀れであると他人に感じさせたり、無反省もはなはだしいともなって、さらにイメージダウンをしてしまいます。

 ともかく、松竹は座長公演に彼の出演を認めない方針にした模様です。当面はそれが正しい処置といえましょう。

 ここで、スピンオフとなりますが、私は、実は京橋で転んで顔に怪我をした事があるのです。冬の夜の七時ごろ、当時はフェンスが無かった鍛冶橋通りの中央分離帯に足を引っ掛けて、顔から地面に突入してしまい、めがねが顔に刺さって、慈恵医大で、48針も縫ったのです。傷の長さは3センチぐらいでした。ただ、脳の損傷を疑われて、68枚も脳のスキャン写真を撮られました。高さ4メートルぐらいの壁一面に展示をされた脳の写真をチラッと横目で見ながら、40分間ぐらいにわたって(もしかするとこめかみの血管をレンズで切っていたからかな?)縫合手術を受けて、そのままその夜に、電車に乗って帰ったのです。が、その途中、何度も「貧血によるショック状態」に陥りました。めまいがして、むかむかしてあげそうで、本当に苦しかったのですが、周りの人が、親切で励ましてくれたので、心理的に、助けられました。

 先ず、京橋では、意識はあるのに、立ち上がれませんでしたし。手のひらに、ぽたぽたと、流れ落ちる血を見ながら、どうしても、体が動かないのです。『あれ、このままでは、道路照明が暗い(そのころは不況に陥りたてだったので、特に暗かった)ので、私が倒れているのに、気がつかない車に、足の方をひかれちゃうわ。そうなると、大ごとで人生が台なしになるから、すぐ、立ち上がらなくてはいけない』と思うのに、どうしても、立ち上がれません。だけど、歩道に居た、親切な三人のサラリーマン(男女)が気がついて、助け起こしてくれて、救急車も呼んでくれたのです。

 海老蔵君が、大量の血を流しながら、しかもステテコで歩いていたというのに、誰も助けてあげなかったという、現在の日本の、人情の薄さに驚きます。それとともに、ともかく、そういう状態でも、救急車に逃げ込まず、自宅まで帰ってきたという海老蔵君の根性に驚きます。痛かっただろうに、ショック状態でもあった(出血が多量だと死にいたるショック状態を起こします)だろうに、よく帰ってきたと思います。『根性あるわね』と尊敬します。ディック・フランシスの小説の登場人物並みの根性です。

 私なんか、一人で転んだだけでも、相当にショックなのに、恐ろしい男たちに殴られても、助けを求めずに、自宅へ帰り着いたという、海老蔵君の意志の強さには感心します。だから、きっと、いい子なのです。巷間うわさをされているような、威張るという側面は、彼の芸術家としてのストレスの裏返しだと考えています。 

 で、その夜に彼が感じたであろう、恐怖、それから、痛みを考えると世間に対する贖罪はすんでいるとなります。しかし、事は根本的には解決していないのです。二つ、それが現れている裂け目があって、一つ目は当夜、救急車に付き添って行ったのが母君であり、奥様ではなかったと言うことです。それと、どうして、そういう不良グループと付き合ったかという謎です。一つ目は大体、理由を述べていますから、二つ目へ入ります。

 そんな危険な不良グループにどうして彼がひきつけられたかという問題ですが、多分、自分とは全く違う種類の人間だから、惹かれたのです。どこがといえば、彼らは正真正銘の、主張のできるタイプです。よい子とは、程遠い、悪い子です。でも、悪い子であることを許されているという意味では、恵まれています。海老蔵君は、本能的に、彼らと、自分との力量を測りあい、自分が勝てば、正月公演を、座長としてやりぬけると考えたのではないかしら。それを、ためしに行って、彼らに威張りまくったわけです。しかし、それらは、本能的な計算であり、自分が酔いつぶれる事によって、体力的な隙を見せてしまい、かれらに、屈辱的な写真を撮られるというようなところにまで発展をしたと、考えます。
 
 この考察は、ずいぶんと深い程度で、彼に味方をしている判断であり、推定です。
 顕在化した意識の中では、そこまでの計算は無かったかもしれませんが、本能の段階では、そこまで考え付いていたとみます。坂田藤十郎が、演技の勉強のために、人妻に恋を仕掛けたというような天才的な発想を、推定いたします。

 そう考えると、いろいろな事に整合性が出てきます。今までの人生で、選択という場面で、本当の自己主張ができなかった。そして、最後の座長正月公演という課題で、不安がいや増してしまい、かつ、その不安を誰にも打ち明けることができなかったと、考えると、総てにつじつまがあってきます。そんな彼をいじめる権利は誰にもありません。

 彼を、金儲けの道具としては、使役しないで、いっとき、解放をしてあげるのが、周囲の人間の役目です。松竹にそれができるのかな? 岡村君に療養をさせてあげた、吉本興業並みの判断ができるかな? 「海老蔵君は、海外へいきなさい」と私は主張をしたいです。「あなたはペールギュントになりなさい。今の奥様が、本当の愛の人なら、ソルヴェイグと同じく、あなたが修行を終えて帰ってくるのを待ってくれるはずです」とも。

 「そういう、見本がすでに、池端慎之介(ピーター)さんとか、山本耕史君とか、大勢居ます。で、見ならって、一人で旅立ちなさい。周辺の人たちから、金儲けの道具として使役をされる歳月を、ともかく、おやすみなさい」と、伝えたいです。かわいそうで、けなげな海老蔵くんへ。と、・・・・・では、今日はこれで、2010年12月3日、雨宮舜
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六本木と、美術、+愛子様、猫を飼う

2010-12-01 14:12:41 | Weblog
 下に、海老蔵、君(私に言わせれば、まだ、魂の固まらない、少年ですが)の負傷について、私なりの意見を述べております。つまり、彼は「知らず知らずのうちに、現在の自分自身の境遇から逃避したがっている」と、私は見ています。六本木に遊びに行くということ自体が、逃避の一つだと見ています。これは、彼を休息させてあげて、修行の機会を上げた方がよいけれど、できるかどうかというところです。

 ところで、ナイナイ(お笑いコンビ)の岡村君が、長期休養から復帰しました。『人気がなくなるというか、人々から忘れ去られる』直前で、帰ってきた模様ですが、その間本当の休養ができたかどうかは、私にはわかりません。ともかく、この若者にも絶対の才能があるのですが、がんばりすぎな感じがします。私たち夫婦が見たのは、劇団四季のライオンキングに参加するという取り組みでしたが、その後も、次から次へと挑戦して、心身を酷使している模様で、気の毒ですね。この青年は、政治的な発言は一切しません。そういう意味ではわきまえているというか、身の程を知っていると思われる青年です。その点で、すでに少年とは、いえない。

 海老様とは、ちがって、傲慢ではない感じがします。それは、背が低いみたいで、その点で、ご自分を知っているというか、弱点があると知っていて、謙虚なのでしょう。海老蔵君の方は育つ過程で、何か、問題があったのでしょう。だから、才能や美貌に恵まれていても、それが直、成功やら、幸せに結びつくものでもないという典型です。

 でも、若いのだから、挽回の機会はあるでしょうが、今のままの態勢ではだめでしょうね。根本的な、修行というか、自分探しのたびに出る必要がある。その前に、妻をはじめ、今持っているいろいろなものを捨てなくてはならないのですが、本人はともかくとして、周りがそれを許すかどうか。

 こういうケースで成功したのが、松坂慶子さんです。ご両親と金銭の面でトラぶっていたのをきっかけとしてかな? アメリカへ逃げちゃったのです。しかし、それがよかった。その後、スターとしては、主役ができないかなと思うほど、太ってしまわれましたけれど、脇役風の立ち位置で、極めて多忙であろうと思われるほどの、存在感をしめして居ます。
 
 ところで、本日は下世話な話、緩んだ話を書き続けていこうと思っています。で、リラックして書いて行くことができるだろうと朝は思ってはいたのですが、昼ごろ、ラジカセが動かないという形で、敵に攻撃をされたので、また、あっちこっち、ピリッとした胡椒みたいに、現在の世の中に蔓延している『困った問題』について、言及する事とするつもりです。

 ラジカセはパソコンと同じくIT(アイティー)を使っていますので、外からの攻撃が容易なのです。私が何度もそれに言及をしている例の、大型無線ラン装置を利用した攻撃が、簡単にできる機材なのです。2,007年から、今までの三年間は主、にパソコンを破壊されてきました。が、それをされると、すぐ、私がそのいきさつを、ブログに書きます。特に、背後関係を書きますね。どうしてこういう事になるのかということと、その攻撃用アイデア提供者(推定ですが、ほとんど正しいでしょう)の個人名を列記するので、攻撃対象をパソコンからラジカセへと、変化したというわけです。『聴きたい曲を聴く事ができないという形で、いらいらさせてやれ。それで、ノイローゼになるはずだ』という

 いつも同じ魂胆を内包した、典型的な攻撃で、すぐ、見破る事ができます。一年前から気がついていて、最近では、決定的に『これも直すつもりで、取り組み始めて』います。最終的には、一台は、壊されたが、二台目は、その日によって直す事ができるようになりました。相手との心理的な、持久戦として直して行きます。どうするかの具体的な技術は、ここでは秘密とさせていただきますが、普通の形で鳴らす事ができるようになりました。

 が、外出したい時とか、今現在のように、ブログへ集中したい時には、ラジカセを放って置きます。ので、せっかく直したのが、また、だめになったりします。

 ただし、その攻撃を発見しましたので、以下の文章でも、またまた、政治について触れて行く事になりました。下世話なことだけで、終わらなくなってきます。で、ツィッター方式で書かせてくださいませ。
~~~~~~~~~~~

 本当のことを言うと、お勤めをしていて、自宅で、これを読んでくださる方のためには、夜をまって、明日の新アップとしたいのです。昨日の深夜、上げた海老蔵関連の文章はタイミングとしては、だれも、それに言及していなかったポイントを、その時点で、さらしています。それを公開したあとで、どんどんどんどん、深い真実が、大メディアの方でも、でてきました。

 だけど、そういう報道によって、海老蔵君だけではなくて、テレビ朝日と、森ビル、が盛り立ててきた六本木のイメージは、相当落ちました。思いがけない余波です。それと連動して思い出されるのが、小選挙区制をほとんど、一人で導入してしまった感のある、久米宏氏の凋落です。あまり、起用をされない模様だし、せっかく、起用をされても、世間に、影響を与えません。ほとんど人気が無い。こういう日が来るとは、2001年ごろには、予測だにできませんでしたが。

 で、元に戻ると、私など、上野の森から、美術のセンターが、六本木へ移動をさせられ、かかっていることを、内心で、長い間『だめでしょう。一企業を、応援する形で、こんなに、文化拠点を、移動をしていては』と思っていましたが、実際のところ、六本木に移動をした事によって、公募団体展が力を失いつつあるのです。それが弊害として現れてきていて、公募団体展に依存をしてきたひとたちは、存在感を薄れさせてしまっています。国立新美術館は、貸画廊として設立する、と、最初からうたわれていましたが、結構、借り賃が高いそうです。あんなに、大きなロビーを設定して、建築費が高いのでしょうね。美術の現場を知らない設計者と、発注者です。発注者とは、文部科学省か、文化庁か、どちらなのだろう。

 私は公募団体展の役員ではないので、詳しい賃貸料を知りませんが、国立なのに、高いそうです。

 今、都立美術館が改築中ですから、『それも国立新美術館の地位を上げる算段ではあろう』などと思うのは、推察が過ぎるかもしれませんが、石原都知事も政治的コメントを発するときには、ポイントをうがっているのに、実・政務上は、はずすことが多いですね。東京都では、図書館で、パソコン用電源を使わせないとか、または、最近では電源だけではなくて、「図書館では、パソコンそのものを使わせない」とか、なっていて、文化都市としては由々しき発想です。こんなことをやっていたら、ご自分が落選して、ご子息たちも弱体化しますよ」と神奈川県知事と、同様に警告をしておきたいです。

 選挙民は馬鹿では無い。また、図書館だけではなく漫画やアニメの内容に規制を掛けるとか、文化人政治家としては、大・矛盾した行動を取っています。三島由紀夫ではないが、この国が悪い方向へ流れていて、その原因はどこにあるかを、知っているはずの人なのに、その足元の都政は、矛盾のきわみであり、結果として、国際的軍産共同体へ、ご奉仕をしているという方向です。

 この矛盾は、例のペンクラブ関係で井上ひさし氏、または、湘南出身者の縁で、伊藤玄二郎氏あたりからの電話で頼まれて「あ、そう。じゃあ、そうしましょう」というくらいの軽い発想で行われているだろうと、私は感じています。

 ただ、この連絡者という側面では、上の二人ではなくて、文芸春秋社の誰かとか、日本文芸家協会(これは、芥川賞とか、直木賞をだすところ?)の誰かとか、ちょっと、間接的なルートを取るかもしれませんが。書く内容が上品な人、猪瀬直樹氏も動かされていて、私のブログが白熱をすると、必ず、「都営地下鉄と営団地下鉄を合体させましょう」と言う案件が出てきます。二回ほど、それが、ありました。これから先も同じアイデアが、使われるかどうかを、私はひそかに、観察しているところです。

 で、わき道から元へ戻れば、
 美術の世界も政治から自由ではないというわけです。六本木が隆盛にさせられたのは、上野というものに、集中をさせないが為でしょう。でも、美術家たち本人は、それで、苦労をさせられているし、実際には、勢いがなくなっているのです。というのも、国立新美術館が、借り賃が高いという事だけが、問題なのではなくて、立地条件とそのデザインそのものが嫌われているのです。陰影が感じられない建物で、楽しくないと言う声が、ファンサイドから上がってきています。

 現在のような不況の世では、美術に専念しているのが、50代以上なのです。若手で美術に専念しているのは、よほど、恵まれた人たちで、日本が経済的に豊かだった時代の余波としての恩恵をこうむっている人たちです。

 80年代に、よい勤務先(大学とか、高等学校など、また、デザイン系の会社等)に勤務できた人は、給料という形で保障をされていますので、安心して美術の世界で生きていく事ができます。また、親世代が豊かだったという人々も安心して美術の世界で生きていく事ができます。でも、観客としてのファンは六本木までは足を運びません。一時期、銀座がだめになるかなあとは、思いましたが、やはり、私なんかは、銀座か上野にしか出向きませんし、他の美術ファンたちも同じだと感じます。

 それでも、六本木を場所として格上げしていたのは、『美術の拠点である』ことも大きな要素でした。六本木とは、虎ノ門のアメリカ大使館に近く、また、駐留軍が居たことなどから、ある意味で現代の富豪たちの溜まり場でもあるのでしょう。海老蔵君が出入りしたと言われるバーなどのモダンな飲むばしょも林立しているけれど、新しい美術の拠点であるということも大きかったと思います。それは、会員制の図書館があるといわれる森ビルに、象徴をされていました。

 でも、今回の事件で大変なイメージダウンです。あの回転ドアーが、小さな坊ちゃんの、首を挟んでしまった事件以来の大・イメージダウンです。だけど、それは、ありえることでした。人工的なものは、廃れる可能性があるのです。自発的な発展は、大丈夫。たとえば、渋谷とか、新宿、池袋の発展は、後背地の人口増加によるものでしょうから、自然発生的なものです。それによって、日本橋とか、銀座が地盤沈下しました。横浜方面の発達も、銀座や日本橋を寂れさせています。

 思いがけないことでした。でも、映画ジーザスクライスト・スーパースターで、若いイエスが破壊した市場ではないが、現代のソドムの市ででもあるのです。東京の大・拠点はすべて、その意味合いを含んでいます。
~~~~~~~~~~~

 もう一つの美術の大拠点である銀座です。これは、パリでもニューヨークでも、画廊集積地がいくつもあるのですから、銀座と京橋や日本橋は、美術の一大拠点としてつぶれない(東京にはそれぐらいの余力はあるでしょう)とは思いますが。

 その一角にシロタ画廊という画廊があります。この画廊が、現在日経新聞に連載中の、『無花果の花』に11月30日に登場しました。白木画廊という名前で。
 『なるほど、なるほど、柄沢斉さんの専属画廊だし』と思います。ただ、小池真理子さんはシロタ画廊に毎週行っていらっしゃるわけでもないから、展示方法が、違っていますね。作品を一点だけ、シロタ画廊が陳列する事はほとんどないです。だけど、小池さんが、真に言いたい事は画廊情報ではなくて、それがきっかけで、主人公の人生がどう変化していくかでしょうから、これは、さしたる間違いでもありません。

 ところで、それを、単にきっかけとなさった小池さんに倣って、私も小池真理子さんを導入とさせていただきたいのです。それは、『無花果の花』ではなくて、アンソロジー兼写真集『作家と猫のものがたり』(新潮社刊)の巻頭に載っている小池さんのエッセイが重要で、そこから、愛子様へ入って行きたいからです。
 
 小池さんが、力説しているのは、犬派であった自分が猫派に変化して行った過程であり、そこにさまざまな真実が含まれて居ます。それに、私が感動したのが、この一週間以内のことで、直後に愛子様のお誕生日の記念写真を見たわけで、そこの説明に、愛子様は犬とは別に、野良猫の親子を飼い始められ、お世話をしておられると出ていて、それを読んだ途端に、すっかり、目を奪われ、今日の予定を変えて、ブログを書き始めた次第です。

 今日は昨日アップした海老蔵君論考に自信があり、それを読者に読んでいただきたいがために、新しいものを書くつもりが無かったところでした。

 脇へそれますが、しっかりと、家事をする予定だったのです。この秋から着始めたセーター類を手洗いを始めたのでした。そのすすぎ水で雑巾を洗い家中の木部を拭き掃除をしています。海を汚さないためです。中性洗剤(界面活性剤)は、海へ入ると、生き物の奇形を産み、性的な異常も発生すると言われています。だから、同じ液をなんども別用途で使い、その効力を使い切ってから海へ流すのです。これから先はさらに、スピンオフしていきますが、我が家の上流で時々道路で、大型犬を洗う人がいます。そのシャンプーの白い泡が、大量に側溝を流れていく日があって、『ありゃあ、まずいなあ。あれだけの界面活性剤が、どれほどの、海のいきものの、奇形をうむだろうか』と思うと、薄い胸を痛めてしまうので、我が家の場合、排水は、特に薬品を入れた場合は、最後まで、気をつけて使い切ります。これが私が家に居てでも実行できる社会への奉仕です。

 で、元へ戻れば、そんな決意を吹っ飛ばすほど、「愛子様が野良猫の親子をお世話している」という記事には感動しました。天皇家は質素を旨とされているはずです。そういうご家庭で20万円以上を出して、ブランド猫を買って来て、飼われたのでしたら、何にも感動しなかったでしょう。でも、命を買うという傲慢さはあります。反対に、放っておけば死んでしまう弱い存在に対して愛を、注ぐということは、すばらしいことです。しかもそれが猫であることも好ましいのです。

 犬であると、上の存在の言うことを聞くだけです。となると、東宮御所のほかの職員と同じとなります。愛子様と対立する存在、壁となる存在ではありません。でも猫は人間と対等です。それでいて、繊細で愛情深い動物です。人間を育ててくれます。特にその心を育ててくれます。これは、新しい展開であり、愛子様にとっては、すばらしいことです。

 と、言って、一人の幼い女の子としての愛子様を、大切には思いますが、次に続く、言葉に疑問を感じて、そこで、滞り、したがって、文章を書く羽目になりました。本日の文章はひとえに、愛子様・お誕生日の記事から始まった、一種のひょうたんから駒です。

 一番問題なのは、雅子様がいまだに、付き添ってご登校であり、それゆえに、雅子様はご公務ができないという一行です。ヨーロッパでは、小学生には親が付き添って、登下校をします。でも、日本では、普通は子供だけで通学します。もちろん、愛子様にはSPや、東宮御所の職員がついて、登下校なさると思われますが、そこに雅子様が加わる意味があるのかどうか?
 日本とは治安が安定している国であり、しかもSPがついているのなら、雅子様がわざわざついて登下校をされる必要はないのです。
~~~~~~~~~~

 しかも大問題であるのは、雅子様が精神科医のお勧めでそれをされているという記述です。(朝日新聞12月1日、朝刊38面)『変だなあ』と思います。この春、愛子様問題が初めて報道された後で、私が点検した・・・→

  →女性・週刊誌に名前を明かしている精神科医の、観測は、雅子様の方が愛子様へ依存をしていると言うもので、愛子様にとって、付き添いが、必要であるという記述はなかったのです。私は、雅子様、依存説の方が判断として正しいと思っています。
雅子様という方は本当に困った方です。ただ、お母様のご実家の窒素が、今では、液晶画面に、使われる素材を、一手(ほぼ、80%ぐらい)に生産されているそうで、それはおめでとうございましたと言いたいですが・・・・・

 最近、非常にうがった話を聞きました。ニュースソースは明らかにできないし、本当か嘘かもわからないのですが、雅子様ご成婚は、外務省の省庁員のたくらみであったと言う新説です。

 雅子様が外務省にお入りになったときに、その使いにくさとか、使えない(イコール仕事ができない)感じに外務省は参ってしまって、雅子様を追い出すために、皇太子様とのお見合いを、設定しまくったという新説です。皇族が出席をされるパーティなどで、雅子様だけが、嫌でも目に付く位置に配置して、皇太子様が恋に陥るように設定したと言う説です。

 私はこの説を聞いたときに、三分の二はあっていて、三分の一は間違っていると感じました。まず、当たっているという部分は、雅子様は仕事ができない人間だと言う説です。皇太子妃として、仕事ができない人であることを、公に示してしまわれている今、外務省でもできない人であった可能性は高いです。

 それから、『絶対に、追い出したいから皇太子妃へ』というのも、ある意味で当たっているでしょう。アメリカ・ナイズドの典型である、雅子様が、もし、普通の紳士と結婚をされても、仕事を辞めないであろうと思われたのです。それで、皇太子様をお相手として、選び出したという新説です。この仕事が・・・できないけれど、やめない・・・人というのは、本当に困ったタイプであり、それは、今の皇太子妃としての、雅子様にもそっくり当てはまる、人物像です。『なるほど、なるほど』

 だけど、私はこの説よりも、以前に触れた、小和田晋氏が娘を東宮妃にしたいと思っていて、積極的に動いたという説の方を支持します。

 そして、愛子様が、どれほど、ご成長をなさっても、女帝説にはくみしません。そこの判断は、以前述べた自説を曲げません。でも、雅子様を見ていると、この方は、日本が、国際的・軍産共同体へ、支配をされていることの象徴的・例ではないかと思われてきます。
~~~~~~~~~~

 ああ、そう言えばなのです。朝日新聞の今朝12月1日の第三面下段に文芸春秋社の広告を見つけました。第一番に押されているのが、桜庭一樹さんの『伏』です。これは、週刊文春に連載されていた小説で、『とうとう、紙の本になったのですね』というしかないのですが、なんと、二つ目の広告として、井上ひさし著、『東慶寺 花だより』という本が出ていて、その惹句に、感動の遺作とあるのです。

この一言、私にとっては、非常に大切です。
 
というのも、私の記憶では、遺作第一作はすでに出版されているはずで、大広告が出ています。タイトルは覚えておりませんが、内容はロシア(?)に関するものだったと感じています。ともかく、鎌倉が舞台ではなかった。

この広告は、私の時論である、井上ひさし生存説を裏付けるひとつの証拠です。彼はしのぶ会に400冊もの、自作の出版物の展示をしました。そして、生花一本もささげてもらわなかったのです。『それらの中の一冊を、再編集し、遺作として出版する?』それは、無いでしょうね。文芸春秋社ともあろう大出版社が、オリジナリティの問題で、そんな詐欺みたいなことをしてはいけません。

 でも、井上ひさし氏ほどの人であれば、原稿を書く場合、たいていは注文原稿であるはずです。企画の段階から、決まっているはずです。無駄なエネルギーを出版されるかされないかわからない原稿へ、注ぐはずが無いのです。4月10(?9?)日に亡くなったはずですから、その日に、すでに、完成していたのなら、話題性から考えても、とっくに出版をされているはずです。その日にはまだ完成していなかった原稿が、今、出版をされる。それは、擬装の死後に完成させたものではないでしょうか?

『お、でましたね。これが証拠の一つです。わたくしは実際には生きているあなたが次々と遺稿集と銘打って、出版を繰り返すのはとっくに余想をしていましたが、その通りでした。

やはり、あなたのアイデアだったのでしょう。数々の諜略活動のうち、もっとも国民を引っ掻き回した大相撲壊滅作戦は。あなたの案でしたね。他にもありますね』と
 私は今、思っています。
『これは、遺作です』と、大広告が出た、別の作品については、いつか、確かめられるでしょう。
~~~~~~~~~~~
 しかし、井上ひさし氏に関しては、時日という確実なものでさえ、変更されていきます。死亡日も、私は「4月9日だった」と認識していますが、井上まやさんがどこかで、4月10日だと言っていました。で、私も、時々は、4月10日と書いています。で、大切な事は彼がうろんな人だと言うことです。

 今日はあっちへ、より、こっちへより、しました。文章としては勢いも無く、できもよくないでしょう。恐れ入ります。下の海老蔵関連文の方が訴えと、力を持つ文章となっていると感じますが。         2010年12月1日   雨宮 舜
 

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海老蔵という気の毒な・混沌(芸術か、日常か、どちらを優先する?)

2010-12-01 01:50:48 | Weblog
 海老蔵が大怪我をしたという報道があってから、それについて、何かを書くか、書かないかは迷っていました。『水に落ちた犬を叩く』は、避けたい・・・・・と、心に決めながら、でも、これほど、劇的に、一つの典型的な人生を見せ付けられれば、それを種に考えざるを得ません。

 痛いでしょう。それにご両親はご心配でしょう。だから、同情してそっとしておく方が、こちらが上品に見えます。でもね、芸術と日常のせめぎあいに非常に悩んだ過去がある私には、口を挟む資格があるような気がします。特に彼のことを「自業自得だ」という判断もあるみたいなので、「わがままでああなっているというよりは、ストレス解消を目指してああ、なっていて、しかもこの怪我の前から、不全感(『幸せではない』という感覚)を抱いていた」と推察します。気の毒な青年です。しかも、今は、『これでいいんだ』という確信をもてないでいる段階でしょう。いまだ、心理学的な意味では、混沌の中にある少年でしょうから。同情的に分析したいです。

 それでも一応は待ちました。いろいろ、続報が出るまで。特に今日など、加害者が逮捕されるらしい(今、月曜日の段階では、名前は特定されたが、当人は見つかっていない)というところまで来ています。しかし、その加害者について論じるつもりはありません。

 そうではなくて、実存的なこと。人間の幸福とは何かということ。そして、芸術と日常のせめぎあい。特に、日常生活の基本をつかさどるお金の問題について述べさせていただきたいと思います。
~~~~~~~~~~~

 大切な事は、二つあって、一つは
・・・・・・彼は、芸術の方向では王道を行っている。歌舞伎役者として美貌と才能に恵まれている。しかし、幸せではない。今は、どう生きていっていいかがわからない段階で、それゆえに、せつな的な生き方を選んでいて、その生き方に変化が訪れるまでは、長い時間が必要である・・・・・ということです。そして、その迷いの時間が許されているかどうかが問題なのです。

 もし、迷いと、いうか、試行錯誤というか、修行というか、逃げる時間が許されていないとしたら、たいへん、かわいそうな青年であり、人間です。

 本当は結婚をまだしてはいけなかった青年なのです。結婚をしたという事は、男性の場合は特に、社会人として一人前になったとみなされる一種の資格を得るのと同義ですが、と、どうじに、義務を負うという意味もあり、四角四面な鋳型の中に入れ込まれることをも意味します。
 もし結婚するとしても、今のような幸せな育ちのお嬢様タイプではなく、乳母とか、母の代わりをするようなタイプだったら、まだ適合性があったかもしれません。

 彼は、『仕事上、出会った女性と目配せだけで合意が成立してベッドインするというような恋愛を繰り返して行って、50代や、60代になって、肉体的衰えを感じ、かつ、精神的にも豊穣になって、いわゆる悟りを開いた状態になって、初めて家庭に収まる』、そういうタイプの人間でしょう。

 でも、どうして結婚をしてしまったかというと、そこがかわいそうなところもあるので、逐一それを書いていきたいと思います。
 彼には予定として、一月の座長公演の予定があったと聴いていますが、一族郎党を養う立場です。すると、一族郎党の生活費が掛かってきます。稼がなくてはいけません。お金を稼ぐという事は、大衆と接しないとだめなのです。歌舞伎座まで行くことのできる奥様方は、いまの日本ではお金持ちの方で、中流の上の暮らしをしている人でしょうが、たいていはサラリーマンの奥さんです。となると、観客の方は小市民的な常識の範囲で生きています。その人たちに合わせる必要があるので、遊び人であることを許されないわけです。で、立派な結婚式を挙げて、美人で才媛である奥様を娶りました。だけど、そこでも、自分の本質、狩猟型の本能がむき出しになって、次か次へと女性と、セックスをしたいという欲求が抑えられないのなら、どこかで破綻をします。

 あの豪華な結婚式は、「お互いに、勲章を求めあった」という事に過ぎなくて、お互いに、『これで、自分たちに、とって、ふさわしい生活様式を選んだ』ということにはならなかったのだと、感じます。
 お金が稼げない女性は離婚をする事はできません。で、我慢をして結婚生活を続けます。で、子供が生まれたりすると、しなければならない事がいっぱい出てきて、考えている暇もないという事になり、そのうちに年をとって来て、結婚の本当の意味、に気がついてきて、『あ、これで、よかったのか』と一件落着するがごとく、落ち着いてきます。
 夫の方もお金や時間がジャブジャブあるわけでもないし、たまのアヴァンチュールはあっても、そのうち普通のおじさんになって行きます。それで、二人とも年老いてきて、『ああ、一緒に暮らす事が一種の保険だったのね』とわかってきて、我慢の挙句が、『結婚とは、介護をしあうことだった。しかも安上がりに』とわかってくるわけです。あ、は、は。

 お金があれば、パートナーが居なくてもいいのですが、母を老人ホームに入れてみると、その申し込みをしたり、死後の後始末をしたりする必要は絶対にあって、しかも見舞いの多い方がスタッフさんにも大事にされますから、肉親の愛情ってやはり、必要です。で、60をすぎてこそ知る結婚という制度のありがたみです。途中では喧嘩したりしますよ。ありがたみがわかっていないので。

 そんな将来のありがたみのことを、あの若くて美形のカップルが、考えているはずもないです。

 となると、ここは、対症療法ではなくて、根本治療が必要で、そのためには、海老蔵を自由にしてあげる必要があるような気がします。できないとは思うけれど、無名の人として、ニューヨークやロンドンで暮らしてみること。それが一種の修行になって、それ以降は、ある程度の幸せな生活(といっても、心理学的な意味でですが)へ向かうと思います。

 今は、形は幸せなのだけれど、心では、『これって、嘘だ。自分にとって本当の生活ではない』と思っていて、しかし、それは、まだ、潜在意識の中に閉じ込められていて、顕在化しておらず、したがって、何もわかっておらず、ただ、ただ、せつな的に、ガールハントをして、自らの苦悩から逃げているというところでしょう。

 海老蔵に修行に出ることを許すとなると、あの美人で才媛で育ちのよい奥様の人生を、これから、どうしたらよいかとなります。離婚をして再婚をなさったら良いと思います。まだ結婚をしたばかりでお子様も居ないでしょう。傷が少ないです。誰だって、二人が離婚しても無理は無いと思うでしょう。もし、ぴったりしていたら、
あの六本木への彷徨は、無かったはずですから。


 単にしつけが悪いから、こうなっているわけでもない。
奥様に性的な不満があるから、こうなっているわけでもないと感じます。

 奥様に不満があるというより、まだ、家庭人としては納まらない段階なのです。でも、怪我をしたばかりの夫を捨てては、あなたの評判が悪くなるので、少し時間をお待ちなさいませ。 

 あなたの方は、『日本一のモテ男と結婚をした』という思い出を勲章にして生きていらっしゃれば良い。それは、ひとつの勲章ですが、今度は勲章ではないご結婚をされた方がよい。勝ち負けとは関係の無い、ご結婚をされた方がよい。

 海老蔵の方も、精神的な苦難の時期には『勲章などは、何の役にも立たない』ことに気がつかれているでしょう。いや、これから、気がつくということかな。

 そして周囲は、彼に自由をあげなさい。誰だって、幸せになる権利はある。だけど、豪華な結婚式を挙げて、大勢の人から注目をされる事が、即ち、最大の幸せに繋がるというわけではないのです。その典型的な例だと思います。どちらか一方に責任があるわけでもないです。しいて言えば、「結婚をして身を固めた方がよい」というお膳立てをした周囲と、芸能マスコミに罪があると感じます。

 若いので、回復力もあるでしょうし、信濃町の慶応病院らしい映像も見ましたので、名医が執刀したのでしょう。早く回復をなさるのをお祈りしています。
                      2010年12月1日、雨宮 舜

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