今朝は、石垣の修復、お堅い石の仕事のお話です。
写真は、常陸太田市町屋町の歴史遺産、龍城碑と呼ばれる記念碑です。
記念碑の本体は無事でしたが、基壇の後ろの高さ2メートルの石垣が震災で崩れました。
地元産の玉石で積み上げられた石垣でした。
写真の左側のあたり無事でしたが、メインの部分は、崩れたりゆがんだり。
笠間からは、稲田の玉石を運び、元の石もすべて再利用して、修復しました。
大きくて重い稲田石を使用することにより、根元を安定させます。
人目には触れない、後ろの下部は、美観よりも力が第一。
強度と費用面で最も喜ばれる資材・工法を優先するという、前例不在工法を選択しました。
普段、めったにコンクリートを使用しない青葉ですが、今回は例外です。
基壇の上部は、雑草防止のご要望もあり、舗装しました。
やや低めにした、コーナーの排水部分の下も、滝つぼにならないように、補強。
一つ残った稲田石を、滝に相当するあたりに据えました。
残りのものには、福の滝です。
秋空の下で修復し、今は落ち着いて、早春の日なたぼっこをする石垣さんです。
石を積むスピードは、かなり速いですが、手抜きはせずに、心をしっかり込めました。
一刀三礼の心で仏さんを彫るという、仏師さんの心を思います。
石も礼が大事です。
但し、一石三礼では日が暮れてしまいます。
修復現場と致しましては、仕事の流れに沿った十石三礼くらいが、ベストです。
表側は無事でしたので、目地の補修だけを実施。
碑をささえる元々の台座の裾が狭く不安定でしたので、もう一段、余った石で補強しました。
画面がぼやけていますが、これはオカルトではなく、デジカメさんのレンズ表面の、ただのホコリです。
お天道様は、小さなホコリさんも見逃さずに、今日も有難く照らします。
すべての石を使い切りました。
トラック一台の稲田石を追加したものの、もとの石はそれほど余りません。
同じ施工面積でも、石をたくさん使いました。
それは、石垣の表面から隠れる、いわゆる控えを長くとる安全工法を徹底したためです。
この石垣が崩落した原因は、石垣の裏側の石の構成にありました。
裏に込める石が小さく、大きさもそろいすぎていて、動きやすい状態でした。
理想の裏込めとは、大中小の石が程よく混じり、互いに組み合い、よく締まっているものです。
石垣も世の中も自然生態系も、理想の姿とは、とても似ているものです。
それでも、当時の思いの深さは伝わります。
機械も無いあの時代に、短い時間に記念碑を立ち上げた形跡が認められます。
ただただ、頭が下がりました。
記念碑の向こうには、地域のご皆様のご先祖様の墓所もあります。
修復に合わせて、皆さん総出で、樹木の枝おろしと大掃除も行われました。
この碑は、これまでも、おりおり保全活動が行われてきました。
歴史遺産を伝える心と力。
私たちは、技能面でのサポーターとして、歴史と未来を想像しながら、最善を尽くすのみです。
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写真は、常陸太田市町屋町の歴史遺産、龍城碑と呼ばれる記念碑です。
記念碑の本体は無事でしたが、基壇の後ろの高さ2メートルの石垣が震災で崩れました。
地元産の玉石で積み上げられた石垣でした。
写真の左側のあたり無事でしたが、メインの部分は、崩れたりゆがんだり。
笠間からは、稲田の玉石を運び、元の石もすべて再利用して、修復しました。
大きくて重い稲田石を使用することにより、根元を安定させます。
人目には触れない、後ろの下部は、美観よりも力が第一。
強度と費用面で最も喜ばれる資材・工法を優先するという、前例不在工法を選択しました。
普段、めったにコンクリートを使用しない青葉ですが、今回は例外です。
基壇の上部は、雑草防止のご要望もあり、舗装しました。
やや低めにした、コーナーの排水部分の下も、滝つぼにならないように、補強。
一つ残った稲田石を、滝に相当するあたりに据えました。
残りのものには、福の滝です。
秋空の下で修復し、今は落ち着いて、早春の日なたぼっこをする石垣さんです。
石を積むスピードは、かなり速いですが、手抜きはせずに、心をしっかり込めました。
一刀三礼の心で仏さんを彫るという、仏師さんの心を思います。
石も礼が大事です。
但し、一石三礼では日が暮れてしまいます。
修復現場と致しましては、仕事の流れに沿った十石三礼くらいが、ベストです。
表側は無事でしたので、目地の補修だけを実施。
碑をささえる元々の台座の裾が狭く不安定でしたので、もう一段、余った石で補強しました。
画面がぼやけていますが、これはオカルトではなく、デジカメさんのレンズ表面の、ただのホコリです。
お天道様は、小さなホコリさんも見逃さずに、今日も有難く照らします。
すべての石を使い切りました。
トラック一台の稲田石を追加したものの、もとの石はそれほど余りません。
同じ施工面積でも、石をたくさん使いました。
それは、石垣の表面から隠れる、いわゆる控えを長くとる安全工法を徹底したためです。
この石垣が崩落した原因は、石垣の裏側の石の構成にありました。
裏に込める石が小さく、大きさもそろいすぎていて、動きやすい状態でした。
理想の裏込めとは、大中小の石が程よく混じり、互いに組み合い、よく締まっているものです。
石垣も世の中も自然生態系も、理想の姿とは、とても似ているものです。
それでも、当時の思いの深さは伝わります。
機械も無いあの時代に、短い時間に記念碑を立ち上げた形跡が認められます。
ただただ、頭が下がりました。
記念碑の向こうには、地域のご皆様のご先祖様の墓所もあります。
修復に合わせて、皆さん総出で、樹木の枝おろしと大掃除も行われました。
この碑は、これまでも、おりおり保全活動が行われてきました。
歴史遺産を伝える心と力。
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