7月6日(水)
道の駅かづのでの朝。

▲ 空を見上げると、やはり晴れ間は出ているが厚い雲が多い。
今日は八幡平散策はやめよう。
明日のほうが確実に晴れる。
他のところへ行こう。

▲ で、来たのが大湯環状列石というところ。
鹿角市の北のほうにあり、30分ほどで来れた。

▲ まずはビジターセンターの大湯ストーンサークル館で事前知識を得よう。

▲ 石柱を環状に配置した古代の遺跡、ストーンサークルは世界各地にある。
最も有名なのは、英国のストーンヘンジの遺跡だろう。
しかし、何のために、誰が石を同心円状に配置したのかは、実はよく分かっていない。
ここの環状列石は縄文時代後期(約4000年前)のものだそうだ。

▲ それは同時に発掘されている土器から推定される。
いわゆる縄文土器が出土されるのだ。
縄文土器とは、縄目の文様が付いているからとは理解していたが、手で描いたのだろうと思っていた。
正確ではない。色んな結び方をした縄を土器に押し付けて文様を残したということだ。
それによって、きまった縄を用いてきまった文様が可能なのだ。なるほどだ。

▲ 天体ドームを用いて、ここの環状列石と太陽の運行との関係を説明していた。
実例はのちほどに。

▲ それでは、環状列石を見に行こう。

▲ お、南洋タヒチみたいな家が。
ではない。
環状列石の周りに立っていた家屋の復元だ。

▲ 二つある環状列石のうちの一つ、野中堂環状列石を先に見た。
二つの円を同心円状に描くように石が配列されている。
外側の石は墓石だったと考えられている。その下には穴があったからだ。
内側の円と外側の円の間に、一本の石柱が立つ小さい円がある。日時計だったと推定されている。
野中堂環状列石に隣接する万座環状列石も日時計が配されており、二つの日時計を結んだ赤線が夏至の太陽の運行線と一致する!

▲ これは、日時計にもなっている。
二つある環状列石は、単に石が環状に置かれたのではなく、太陽の運行を極めて意識して配列されているのだ。

▲ 先ほどのセンターでの推定画。
真ん中に祭司が座って、その周りを集落民が取り囲むように座って、夏至のときになにかの儀式を行ったのではと推定している。
単に推定。誰も見たことはない。証拠もない。

▲ 隣の万座環状列石の周りには、家屋の柱の跡が残っている。
で、こんな家が建っていたのではと家を復元した。
しかし、生活の跡が無く、儀式のときに使用した建物だったのではと推定されている。
最大の謎は、多くの石をここへ運ぶのには大勢の労力を必要としただろうが、その人たちがどこに住んでいたのか、全く遺跡が近辺に残っていないということだ。

▲ 少し離れて、五本柱を用いた建物の推定跡。
これも、跡だけで何のためにとかは分からない。
4000年前の石の遺跡だけが今もこの地に消滅せずに、残っている。

▲ 太古の先祖は、ここで何をしていたのだろうか・・・
結局、確かなのはオトコとオンナがいて、子孫を残し、生と死を繰り返していることだけ。
遺跡を眺めながら、しばし悠久の昔に思いを馳せ、風に吹かれたたずむSoraであった。
道の駅かづのに戻ったときは昼時。

▲ 実はここ、秋田県鹿角市はかの「きりたんぽ」の発祥地なのだ。
したがって、道の駅でも当然きりたんぽ鍋を売っていた。
500円で一人分を目の前で作ってくれるのだ。
チョーダイ。

▲ 醤油味だね。美味しかった。
さてさて、次はどこへ。
明日は、いよいよ八幡平を登り散策するから、近くまで今日中に行っていよう!
ということで、再度、八幡平アスピーテラインを上っていった。

▲ で、着いたのが八幡平の頂上にも近いところに位置するこの温泉宿。
「蒸の湯温泉(ふけの湯)」 八幡平最古の秘湯とガイドに書いてある。
きのう後生掛温泉で、一緒に入っていた奈良からのおじさんが、
ふけの湯はいい、オープンでいいと繰り返していたので心を動かされてきたのだ。
しかし木造の建物は、外観が廃校舎みたいでボロボロ状。
が、中に入ってみると廊下もピカピカに磨いてある。
トイレもキレイ。多分、ボロを着てても心は錦♪のポリシーがあるのだろう。

▲ 内湯には小さい露天風呂のほか、こんなちゃんと洗髪もできる浴槽がある。
総ヒバ造りと謳っている。
ここで、一応体を全部洗ってから、もう一人のおじさんに、外の露天風呂はどうやって行くのか尋ねた。
そのおじさんは、いやあバスタオルで体を巻いて行ったらいいんや、みたいなことを言ってたが、そうもいかないだろう。

▲ 一応服はもう一度着て、サンダルを借りて、「野天風呂」との標識が立つ坂を下りていった。
坂の下は、硫黄の臭いとともに湯煙が上がっているのが見える。

▲ まず、男湯。
夫婦で先に混浴風呂のほうから戻ってきたオジサンと一緒に。
ボクの写真を撮りましょうか、と親切にも尋ねられたが、自分がどうポーズをとっていいのかわからないので、お断りした。
そのオジサン、混浴風呂にはもうだれもいませんよ、と言うので、混浴風呂も探訪することにした。
混浴風呂は、初体験。
ウレシ、ハズカシのSora。

▲ やっぱり誰もいなかった混浴風呂。
落胆と安堵のSora。
枡風呂が二つと、樽風呂が四つ、同じ箇所に配置されていた。

▲ はじめ樽風呂に浸かる。
これは、結構熱いので、ほうほうの体で出る。

▲ 次は枡風呂に。
これは具合がよろし。
野趣満点のこの野天風呂、しばらくゆっくりと風に吹かれながら満喫してました。
(結局、誰もこなかった)
さあ、お風呂にも入った。
今日の野営地へ行こう。

▲ 八幡平頂上入り口の無料駐車場に設営。
4時ごろにここに入った時は10台ほど車が停まっていた。
しかし、三々五々に下山してみなさん去っていった。
そしていつものごとく、ボクだけ広い駐車場に残った。
今晩はこの山の中で車中前泊だ。
怖いという方もおられるが、ボクはこういう静寂が好きだ。
8時前には寝た。
9時過ぎに目が覚めた。
水を飲みに起きた。
外が明るい。
出てみた。

▲ 月が煌々と光っていた。星もいっぱい出ていた。
ヨシッ、明日は晴れ、間違いない!

▲ 明るいので、Harmonyも白く浮かんでいたので、パシャと撮ってみた。
しかし、コンデジの悲しさ。光不足で何も映っていなかった。
おやすみなさい。
道の駅かづのでの朝。

▲ 空を見上げると、やはり晴れ間は出ているが厚い雲が多い。
今日は八幡平散策はやめよう。
明日のほうが確実に晴れる。
他のところへ行こう。

▲ で、来たのが大湯環状列石というところ。
鹿角市の北のほうにあり、30分ほどで来れた。

▲ まずはビジターセンターの大湯ストーンサークル館で事前知識を得よう。

▲ 石柱を環状に配置した古代の遺跡、ストーンサークルは世界各地にある。
最も有名なのは、英国のストーンヘンジの遺跡だろう。
しかし、何のために、誰が石を同心円状に配置したのかは、実はよく分かっていない。
ここの環状列石は縄文時代後期(約4000年前)のものだそうだ。

▲ それは同時に発掘されている土器から推定される。
いわゆる縄文土器が出土されるのだ。
縄文土器とは、縄目の文様が付いているからとは理解していたが、手で描いたのだろうと思っていた。
正確ではない。色んな結び方をした縄を土器に押し付けて文様を残したということだ。
それによって、きまった縄を用いてきまった文様が可能なのだ。なるほどだ。

▲ 天体ドームを用いて、ここの環状列石と太陽の運行との関係を説明していた。
実例はのちほどに。

▲ それでは、環状列石を見に行こう。

▲ お、南洋タヒチみたいな家が。
ではない。
環状列石の周りに立っていた家屋の復元だ。

▲ 二つある環状列石のうちの一つ、野中堂環状列石を先に見た。
二つの円を同心円状に描くように石が配列されている。
外側の石は墓石だったと考えられている。その下には穴があったからだ。
内側の円と外側の円の間に、一本の石柱が立つ小さい円がある。日時計だったと推定されている。
野中堂環状列石に隣接する万座環状列石も日時計が配されており、二つの日時計を結んだ赤線が夏至の太陽の運行線と一致する!

▲ これは、日時計にもなっている。
二つある環状列石は、単に石が環状に置かれたのではなく、太陽の運行を極めて意識して配列されているのだ。

▲ 先ほどのセンターでの推定画。
真ん中に祭司が座って、その周りを集落民が取り囲むように座って、夏至のときになにかの儀式を行ったのではと推定している。
単に推定。誰も見たことはない。証拠もない。

▲ 隣の万座環状列石の周りには、家屋の柱の跡が残っている。
で、こんな家が建っていたのではと家を復元した。
しかし、生活の跡が無く、儀式のときに使用した建物だったのではと推定されている。
最大の謎は、多くの石をここへ運ぶのには大勢の労力を必要としただろうが、その人たちがどこに住んでいたのか、全く遺跡が近辺に残っていないということだ。

▲ 少し離れて、五本柱を用いた建物の推定跡。
これも、跡だけで何のためにとかは分からない。
4000年前の石の遺跡だけが今もこの地に消滅せずに、残っている。

▲ 太古の先祖は、ここで何をしていたのだろうか・・・
結局、確かなのはオトコとオンナがいて、子孫を残し、生と死を繰り返していることだけ。
遺跡を眺めながら、しばし悠久の昔に思いを馳せ、風に吹かれたたずむSoraであった。
道の駅かづのに戻ったときは昼時。

▲ 実はここ、秋田県鹿角市はかの「きりたんぽ」の発祥地なのだ。
したがって、道の駅でも当然きりたんぽ鍋を売っていた。
500円で一人分を目の前で作ってくれるのだ。
チョーダイ。

▲ 醤油味だね。美味しかった。
さてさて、次はどこへ。
明日は、いよいよ八幡平を登り散策するから、近くまで今日中に行っていよう!
ということで、再度、八幡平アスピーテラインを上っていった。

▲ で、着いたのが八幡平の頂上にも近いところに位置するこの温泉宿。
「蒸の湯温泉(ふけの湯)」 八幡平最古の秘湯とガイドに書いてある。
きのう後生掛温泉で、一緒に入っていた奈良からのおじさんが、
ふけの湯はいい、オープンでいいと繰り返していたので心を動かされてきたのだ。
しかし木造の建物は、外観が廃校舎みたいでボロボロ状。
が、中に入ってみると廊下もピカピカに磨いてある。
トイレもキレイ。多分、ボロを着てても心は錦♪のポリシーがあるのだろう。

▲ 内湯には小さい露天風呂のほか、こんなちゃんと洗髪もできる浴槽がある。
総ヒバ造りと謳っている。
ここで、一応体を全部洗ってから、もう一人のおじさんに、外の露天風呂はどうやって行くのか尋ねた。
そのおじさんは、いやあバスタオルで体を巻いて行ったらいいんや、みたいなことを言ってたが、そうもいかないだろう。

▲ 一応服はもう一度着て、サンダルを借りて、「野天風呂」との標識が立つ坂を下りていった。
坂の下は、硫黄の臭いとともに湯煙が上がっているのが見える。

▲ まず、男湯。
夫婦で先に混浴風呂のほうから戻ってきたオジサンと一緒に。
ボクの写真を撮りましょうか、と親切にも尋ねられたが、自分がどうポーズをとっていいのかわからないので、お断りした。
そのオジサン、混浴風呂にはもうだれもいませんよ、と言うので、混浴風呂も探訪することにした。
混浴風呂は、初体験。
ウレシ、ハズカシのSora。

▲ やっぱり誰もいなかった混浴風呂。
落胆と安堵のSora。
枡風呂が二つと、樽風呂が四つ、同じ箇所に配置されていた。

▲ はじめ樽風呂に浸かる。
これは、結構熱いので、ほうほうの体で出る。

▲ 次は枡風呂に。
これは具合がよろし。
野趣満点のこの野天風呂、しばらくゆっくりと風に吹かれながら満喫してました。
(結局、誰もこなかった)
さあ、お風呂にも入った。
今日の野営地へ行こう。

▲ 八幡平頂上入り口の無料駐車場に設営。
4時ごろにここに入った時は10台ほど車が停まっていた。
しかし、三々五々に下山してみなさん去っていった。
そしていつものごとく、ボクだけ広い駐車場に残った。
今晩はこの山の中で車中前泊だ。
怖いという方もおられるが、ボクはこういう静寂が好きだ。
8時前には寝た。
9時過ぎに目が覚めた。
水を飲みに起きた。
外が明るい。
出てみた。

▲ 月が煌々と光っていた。星もいっぱい出ていた。
ヨシッ、明日は晴れ、間違いない!

▲ 明るいので、Harmonyも白く浮かんでいたので、パシャと撮ってみた。
しかし、コンデジの悲しさ。光不足で何も映っていなかった。
おやすみなさい。