林檎の唄 ~ アップルビデオ高津店オフィシャルブログ

アコースティック・バンド「アップルビデオ高津店」
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夜光は由緒正しい地名2

2016年02月03日 06時51分53秒 | つっか


つっかです。

今、私が住んでいる夜光という場所は、
まさしく京浜工業地帯のど真ん中みたいな場所でして、
歴史なんて感じさせないのですが、
実は由緒正しいかったりするっていうのが、
前回の話でした。

川崎大師の起源かかわる場所だったんです。

んで、
川崎大師の起源には、こんな話もあります。


空海上人の生涯には、
空白の約7年間と言われる23~29歳の時期の足跡が解っていないそうです。

その時期には、こんなことが…。
空海上人23歳の時、
武蔵の国・橘郡(たちばなごおり)平間村、
今の神奈川県川崎に来た時、
名主の源左衛門宅に宿をとって布教をしました。

しだいに、
美しく学徳もあり、若い空海には信者も増えていきました。

そんな折、
村きっての美人の宿屋の娘「おもよ」さんが、
最近痩せてきました。

婆やさんが話を聞いてみると、
「御上人(空海上人)様のことが好きで・・・」と
恋の病をうち明けました。

そこで、宿屋のご主人の源左衛門が、
空海上人に掛け合って当家に入って欲しいと懇願しました。

しかし、
仏道の修行中の身だからと言って断られてしまいました。

この事を娘に言う訳にもゆかないので、
おもよさんに、
「若い僧なので今夜、彼の寝床に忍び込んできなさい」とけしかけました。

おもよさんが寝室に忍び込むと、
部屋の中はもぬけの殻。

布団に手を入れてみると、
餅つきの杵(きね)が置いてありました。

一人娘と出家の身だから「想い杵(キレ)」ということか、
はたまた、
「(もちだけに)ついてこい。(付いて来い)」ということか、
おもよさんには解りませんでした。

しかし惚れた弱み、おもよさんは上人を追いかけました。

六郷の渡しに来てみると、
一刻前には船頭が上人を渡したらしい。

今の時間で2時間前。
女の身では追いつく事も出来ません。

おもよさんは悲観のあまり多摩川に身を投げてしまいました。

空海上人は、何やら変な胸騒ぎがするので、
引き返してみると、
夜も白々と明ける頃、
村人に囲まれた冷たいおもよさんの骸(むくろ)に対面しました。

上人は、
その死を悲しみ、名主の源左衛門宅に戻り、おもよさんの菩提を毎日弔いました。

近隣の人がそれを見て庵を造り、その名を「おもよ堂」といい。
それが徐々に大きくなって、今の川崎大師になった。

伝説では、川崎大師の大師堂の奥には
今も「弘法身代わりの杵」が安置されているそうです。

しかし、
その真偽を確かめに川崎大師で尋ねると、「その話は臼(うす)だ!」。

お後がよろしいようで(笑)


落語 大師の杵 春風亭小朝