未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




この先、価値が解らずの殴り書きなので、面白かった人、否定的な意見を聞きたくない人はこのまま抜けて欲しい。

従わずに読んで「いやそうじゃないんだ、わかってないな」的なコメントされても、ハイそうですかとご拝聴する気は全くない。

私のブログではあまり否定的なことは書かないようにしているのだが、その禁を破ってでも怒りをぶちまけないと、明日からの仕事に障りそうなほどの緊急事態である。

私は「A24」信者ではないが、それなりに好きであることは先に言っておく。

また「なんだか良くわからな〜い」と呆れているだけなワケでもない。

作品を大きく帰宅前と帰宅後に分けると、監督がこの映画を撮ろうと思った理由というか、動機付けというか、それは帰宅後であろう。

違うかも知れないが私はそう感じた。(以下全て私の主観なので、間違っているし偏見でもある。面倒なのでこの先ではいちいち断らない)

始まって10分か20分位で嫌な予感がした。「出ようか?」との直感に従っていれば、こんなことをグダグダ書かずに済んだのであろう。途中にも何度かそう思ったのだが、他のお客さんに迷惑だし「もうすぐ終わるだろう」と思って我慢したのも、上映時間を確めておかなかった私の落ち度なんだろうな。

結局、監督は帰宅後を描いた作品を作りたかったのだろう。
そう確信しているのは、そうでなければ帰宅後はもっと短くしたはずだ。
何度も同じような主張がクドクドと繰り返されている。
興行面でも観客の負担を考えても、監督以外の誰もが「ここはもっ短く出来る。カットしろ。」と思っていたはずだ。

監督もそれは承知の上だが譲れない何かがあり、でもそれだけではお金を払って見てくれる人に申し訳ないとの思いも強く、帰宅前を追加して商業映画の体裁を整ようとしたのだが、後半とのバランスを考えて、あれやこれやを詰め込み、後ろめたさがさらに拍車をかけ、このような事態になってしまった。

終映後に確認したら、上映時間は179分。
怒りに火を注がれた。
「3時間?そんなに長くないです。2時間台です。」との言い訳が通用するとでも思っているのか。と。

帰宅後の伏線回収的なシーンに、全く意味がなく、伏線回収っぽいの入れてみました。的になっている。
それで観客をなだめられると思うなよ。

作風からの連想もあり、ラストは映像から「未来世紀ブラジル」、構成から「カルメン」を連想させられた。

どちらも好きな作品であるので「もし意図的なものなのであれば、こんな映画のエンディングで使うんじゃねーよ。」と、それすら勝手に憤りを増していた。

家に帰ってこれ書いていたら、少し落ち着いて来たので、この辺にしておこう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )