梅雨の長雨に篭っています。夕方、突然陽が射しました。ベランダへ出ます。
玄関へも出ます。
夕焼けですが、天気予報は明日も雨です。
顎関節症になってもう2ヶ月になります。ものが食べられないので外出が億劫になります。顎関節症は食事が不自由である以上に顎を動かす会話までも億劫になって、週一の外出で1週間分のネタを仕入れては、家に篭っています。更にコロナ禍の梅雨入りがその篭りに拍車を掛けています。大雨が降っていたのですが、お昼頃にピタリと上がりました。一念発起して出掛けることにしました。まだ道路が濡れているので自転車は避けます。途中雨が降っても良いように傘を持って遊歩道を歩きます。
公園の隅に古民家が移築されています。
「旧大石家住宅 旧大石家住宅は、平入り寄棟造りで、木造茅葺きの区内最古の民家です。規模は、梁行が三間半、桁行が五間半です。江戸時代後期、舟入川(四十丁川)南端の堀留に面して建てられた、半農半漁の典型的な住宅建築です。 大石家の伝えによれば、安政二年(1855)の大地震でも倒壊しなかったといわれています。その後も大正六年(1917)の大津波、関東大震災、戦災をまぬかれました。戦後増改築が行われましたが、基本的な構造に変化はありません。
区内で戦後取り壊しを行っていない木造茅葺きの民家は、旧大石家住宅が唯一の例であり、江戸時代の関東南部ないしは江戸近郊農村における農業の母屋の姿を残す、たいへん貴重な住宅といえます。その文化的・歴史的価値を守り伝えるため、平成六年三月に区の有形文化財(建築物)に指定するとともに、解体工事を行い、平成八年九月、当地に移設復元しました。」
とのことですが、その舟入川(四十丁川)を知りません。従って区のどの辺りの景色を想像したら良いやら、困ってしまいます。
今日は公開日ではないので、フェンスのこちら側から眺めます。
そこにこんな植物の実がありました。棘があるので薔薇の実か?
こんな木です。世事にも植物にも疎いです。
フェンスから覗きます。おやっ!?
そうか、今日は七夕か! しょぼい笹ですが、旧民家に似合っています。
そうか、七夕か・・・、
と呟いて再びフェンスを巡ります。
旧大石家住宅の裏は団地です。
堀を渡ってタチアオイ越しに旧大石家住宅を眺めます。タチアオイの花が頂上まで咲くと、梅雨が終わるといわれています。
百日紅が咲き始めています。
こんな場所に居ます。ビッグコミックオリジナルの読者はお分かりになると思います。「善人長屋」7/5号「40話ぬすっと地蔵」、7/20号「41話よみがえる村」の舞台がこの地図の左下方「砂村新田」です。
まだ片づけられていませんが、東京都知事選挙が終わりました。夏を待つばかりです。
顎関節症はだいぶん良化しています。そろそろ蕎麦をしっかり食べられそうです。ママチャリ散策再開です。晴れろ!!
かっぱ寺を出たらこんなかっぱが居ました。左側もかっぱかな? 写真を見ていたら貼り紙の文字が気になりました。「みなぎる若さあら素敵!」ここ何屋さんだったのだろう? かっぱを追うのに夢中で、店など見ていません。
可愛いかっぱと案内板がありました。
旧町名由来を読みます。ここにも「合羽川太郎=合羽屋喜八」が登場しています。この界隈の大恩人です。
こちらにも何か書かれています。
「へ~そう」なんて言って、「おやぢ」と言われたことがあります。
可愛くて色っぽいかっぱです。頭に持っているのは何だろう? お皿が乾かないようにしている?
振り返るとスカイツリーがある街です。
縛られています。
以前これを見て「正法寺」を探したことがありますが、見つかりませんでした。まあ、気にかけていればそのうち出逢えます。
この通りは「かっぱ通り商和会」です。七夕飾りで有名ですが・・・
最後に、「動物はいくつ描かれているか?」
1,2,3,4,5、ん? かっぱは動物? 妖怪?
かっぱ寺曹源寺の門前です。右手に石碑が見えます。
門を入ると祠がありました。これもかっぱでしょうか? 「かっぱのぎーちゃん」らしいです。お寺の由来書きとはちょっと違和感があります。これは「かっぱの川太郎」じゃないです。
インバウンドを意識した案内柱です。
で、これがそのかっぱです。
奥へ行きます。墓地は左奥です。
右手にこんなお堂が在りました。
「波乗福河童大明神」とあります。「河童連邦共和国」ともあります。こちらがかっぱ寺でしょうか?
階段の下には男女のかっぱが鎮座しています。夫婦でしょうか?
その隣にはお墓が見えます。
「てっぺんへ手向けの水や川太郎」の文字が見えます。ここが伝合羽屋喜八(合羽川太郎)の墓ようです。一般の墓地とは全く離れた位置にあります。
「てっぺんへ手向けの水」が気になります。階段を上がって見ます。なるほど。墓石の頂上が窪んで、梅雨時の雨水が溜まって、おさい銭も溜まっています。
2匹のかっぱにもお皿があって、おさい銭が入っています。
かっぱ寺はこんなお寺です。
商店街のかっぱを探しています。スカイツリーとかっぱ橋と色っぽいかっぱです。昔、清酒黄桜のキャラクターに色っぽいかっぱが居たのを思い出しました。
これは、、違います。狸とフクロウとめんどりです。
「かっぱ橋本通り」と交差する「かっぱ橋道具街」の看板です。アーケードにはかっぱのバナーが揺れます。
「かっぱ橋道具街通り」を西に渡った所に、こんなスペースが在りました。「かっぱ河太郎」って幟があります。立ち寄ります。
正面に黄金像があります。彼が河太郎のようです。竿を持って、釣り上げた魚を小脇に抱えています。
左右を見ます。合羽屋喜八から始まって、彼を助けた河童達と共に商売繁盛して90年。ざっとこんな話です。はい、ざっと過ぎます。気になった方は読んで下さい。
こんなのもあります。
「かっぱ橋の由来」です。黄金像の「合羽川太郎」は、本名「合羽屋喜八」と言うんですね。それで繋がりました。そして、故郷伊予の新谷藩(この藩は愛媛県人でも知らない人が多く居るくらい地味で小さな藩で、こうして公共の場に出てくること自体珍しい存在です)が登場しました。うん、うん、なるほど。楽しいです。
かっぱ橋本通りに戻ったら、そこに彼が居ました。散策の最初に出逢った彼と同じ木彫です。
これもかっぱですかね?女性の頭部と足元にあるのがかっぱみたいです。
商店街の道端にこんな案内板がありました。ここでも「合羽屋喜八」が登場します。
入ってみます。
かっぱ橋本通りは浅草と上野を東西に繋ぐ路です。名前のとおりかっぱのキャラクターが多い商店街です。かっぱを探しにやって来ました。東の入り口近くにあった、先ずはこれ。
そこにあった説明板がこの街の理解に役立ちました。
足元を見ます。
これは道路工事の現場によくある、立ち入り禁止場所を隔離する「単管パイプの支柱」にも見えます。
これは植木鉢入れですね。
そして、とぼけた顔の木彫です。好いです!
ここはスカイツリーのビューポイント商店街でもあります。
これは? 緑色だけど、ケロヨンですね。懐かしい!
あっ、かっぱ発見!
変な格好で座っています。
かっぱ商品が沢山ある店です。飴、麺、ラーメン等々、一度覗いてみたい店です。
あっ! かっぱじゃないです。かわいいです。
こんな風に散策が始まりました。この話、長くなりそうです。
数年ぶりに「ラッキー通り商店街」に出くわしました。この商店街は良く覚えています。
前回遭遇時に「商店の様子はラッキーじゃない」とコメントしたことも覚えています。心の底で再訪したいと思っていたようです。
こんな街です。堀切菖蒲園へ続く商店街です。右手へ行きます。「あれ」があるはずです。
こんな物が在りました。前回には気付かなかったのでしょうか? いや、無かったのだと思います。
人工の滝の奥にちょっと好い感じの建物が在りました。でも、滝の後ろには段ボールの荷物やコード類、奥にはパイプの様な物も置かれています。ちょっと違和感があります。
滝の横を見ると、「堀切ラッキー通りのパワースポット○3」と書いています。他のパワースポットも探がそうか?と思いましたが、止めます。この商店街を行って、あれば眺めることにします。地図もないし・・・、商店街を行って、運が良ければあるでしょう。
パワースポットなんて在りそうにありません。前回訪問時よりもっとラッキーじゃなさそうです。
公園が在りました。前回は無かったものです。「堀切公園」のダジャレですね。
商店街の終点に来ました。右は「京成堀切菖蒲園駅」で、左に行けば「堀切菖蒲園」です。
標識の下には「魚道橋」とあります。ラッキー通り商店街は今は暗きょで元は川だったのか、それともこの標識の部分が川の跡で、ラッキー通りに橋が架かっていたのでしょう。沢山の魚が泳いでいたそうな名前です。この道標は良く覚えています。私はずっとここへ来たかったのだと思います。
真っすぐ行くと三叉路の突き当たりです。
振り返ったら、警察が捜査中です。でも緊張感はありません。
で、これです。ずっと深層心理で再訪したかった景色です。七福神の石像です。この景色は記憶の景色と変わっていません。
七福神の隣は「しょうぶ七福神」です。
鳥居前から振り返ります。
数年ぶりに見る「あれ」の景色です。
下町の人は花を咲かせるのが上手です。アガパンサスの咲く路地の突き当たりに煙突が見えました。
銭湯富士の湯です。歴史ある風情です。おめでたい名前は老舗の証です。
まだ開店前です。一般的に銭湯は午後2~3時に開店します。
ここ富士の湯は3時半の開店で、終了時間が午後9時です。ちょっと短かめの営業です。利用客が減っているのでしょう。「両さん」は葛飾区のキャラクターです。
まだ煙は出ていません。
まだボイラーが焚かれていません。
風呂屋にツキモノの自販機です。赤色が目立ちます。
大型タイプではありません。売上が少ないのでしょうか?ここでも価格破壊が起こっていて、単価は安いです。
私がやって来た路地です。
富士の湯前の路地です。
殆ど人も車も通らない路地です。
今にも降りそうな梅雨の空です。
梅雨の晴れ間です。半分になった呑んべ横丁を覗きます。
週末は工事も休みです。
京成立石の駅が見えます。高架化工事を行っています。
呑んべ横丁は商店会員なんですね。工事業者さん、「呑んべい」じゃないですよ。
横丁に入ります。
半分になったのですぐに出口です。
半分になってもこの横丁は変わりません。
今日も営業中です。
横丁の北側です。
この雰囲気が好きです。
もう一方の横丁を覗きます。工事フェンスが見えます。
変わらない看板です。
いつまでこの風景が残るのだろうか?
アーケードに装飾がありません。益々寂しい商店街です。
工事中です。こんな商店街に新しい店ができるようです。
スタンドバーでしょうか? 私のような、この雰囲気を好む少数の人種が居るようです。
昼時の仲見世です。ここが今、一番店頭が賑やかな店です。
アーケードの枝道は狭い路地です。この商店街の主な客です。
店名からして週末にやっている雰囲気の蕎麦屋です。事実平日は閉まっています。
アーケードの中央部です。ここから先に少数の店が営業しています。総菜屋さんです。向かいの総菜屋さんは2年くらい前に閉店しました。
居酒屋です。満員です。分かります、吞兵衛だったら休日はこれが面倒臭くなくて良いですね。
居酒屋の隣の餃子屋が人気です。
刺身屋にも客がいます。
もつ焼き屋です。開店すればいつも満席です。平日の開店は14時からですが、週末はお昼時に開店します。おかずを買って帰っても、ご飯を炊くのが面倒だし、ウチに籠りたくないですよね。分かります。
商店街の終点です。正面は京成立石の駅です。左右の店はいつも賑わっている総菜屋さんですが、このお昼のタイミングに客がいません。珍しいです。
もう一本のアーケードに在る立ち食い寿司屋です。今日も並んでいます。
ここにも行列ができています。肉の愛知屋です。
コロッケを買っています。
・・・商店街に見るそれぞれのお昼風景です。
アーケードの中央に戻りました。来るたびに人通りが少なくなるように感じます。
閉店した八百屋に貼り出されていました。コロナの影響は下町に大きいです。
一所懸命頑張っているのに、ささやかな楽しみまで奪います。
ずっと隅田川が濁っています。梅雨時の色です。移動が再開されましたが、外国人が居ない東京は活気がありません。外国人にも日本人にも人気の水上バスヒミコです。
・・・あんなに賑わっていたヒミコなのに、見たところ一人しか客が乗っていません。こんな日々がいつまで続くのでしょうか? それより、このまま人の移動を制限しなくて良いの? 東京が村八分にされそうです。
クチナシが咲いています。
曇り空の下の根津神社です。
待つほどに陽が射してきました。西参道に影を落とします。
乙女稲荷にも陽が射します。
陽射しが強くなってきます。
梅雨の晴れ間の木漏れ日です。
乙女稲荷にも光量が増します。
池に映ります。
遠慮がちな陽に映えます。
正面から見ます。
透かし塀にも遠慮がちです。
本殿を覗きます。庭の木漏れ日が涼しげです。
光が増します。
鯉が水面を揺らせます。
陽に当たる乙女稲荷です。
梅雨の晴れ間の根津神社です。
JR中央線の、御茶ノ水と神田の間のカーブのところです。
ガード下の店舗の個性に惹かれました。
神田方面です。
ゴーっと音がして見上げます。御茶ノ水方面へ電車が行きます。
振り返ります。ずいぶん長いです。
静寂が戻って煉瓦の壁沿いに行きます。
この景色好いです。
今度ゆっくり散策します。晩秋が似合いそうです。
最近できたのでしょうか? 記憶にありません。寿司屋さんです。好い感じの店頭です。
その隣に、甘味処の老舗が在ります。
この佇まいは、好い感じの建物が多いここ神田須田町でも存在感があります。
店頭を覗きます。
「おしるこ」の看板が歴史を語ります。
メニュー看板も歴史を感じます。白い麻(?)の暖簾がシンプルな「和」を醸します。
見上げる提灯看板が好いです。夕暮れに灯が点ったら素敵だと思わせます。
そして、あんこう鍋の「いせ源」から観る竹むらの景色も好きです。
この街角が好きです。
梅雨の晴れ間の陽射しです。
この界隈は好い感じの建物が多く在ります。その一つがこの店です。
あんこう鍋の老舗です。
閉まっています。商品があんこう鍋なので、夜の開店です。
あんこうは冬の食べ物ですが、この冬後半はコロナの影響が大だったと思います。
建物の角の看板です。
好い雰囲気です。
私はあんこう鍋が苦手なので、この店には入ったことはありません。
あんこう鍋は無くなっても困りませんが、この姿は無くなっては困ります。
神田須田町散策の愉しみが減ります。