写真1 原城の空濠の案内板
写真2 原城の空濠
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2012年8月1日にJICA集団研修「農業普及企画管理者」コースの研修員3名といっしょにお世話になった南島原市南有馬町「農林漁業体験民宿第十七号 白玄」さん。
ご先祖は、香川県小豆島からの移住者と教えていただく。
それは、1637年12月11日~1638年4月12日に勃発した「島原の乱」に関係する。
乱の際、原城に籠城していた37,000人ほどの老若男女は惨殺された。
その結果、島原半島南部、現南島原市、現雲仙市の多くの村に住民・農民はいなくなり亡地と化した。
したがって、幕府は各藩に移住農民数を割り当て農業・農村の再興を図った。
この過程で「白玄」さんのご先祖が移住。
さて、「白玄」さんの住所には甲がつく。
甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干である。
かねて私は、甲・乙など十干がつくのは栃木県那須野ヶ原にもあり、
開拓地・フロンティアに関係すると考えていた。
この考えは、「白玄」さんの住所の甲、ご先祖は小豆島からの移住者と聞き、傍証された。
さらに島原半島の住所を調べると十干がつくのは次のようである。
1.南島原市 口之津町:甲・乙・丙・丁
加津佐町:甲・乙・丙・丁・戊・己
南有馬町:甲・乙・丙・丁・戊・己
北有馬町:甲・乙・丙・丁・戊・己
布津町:甲・乙・丙
深江町:甲・乙・丙・丁・戊
有家町:なし。乱の初めに襲われた代官所があった。
西有家町:なし
2.雲仙市 国見町:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛
瑞穂町:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛
南串山町:甲・乙・丙
愛野町:甲・乙
千々石町:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚
小浜町:なし
吾妻町:なし
3.島原市 有明町:甲・乙・丙・丁・戊
旧島原市:なし。酷政領主松倉氏の島原城がある。
旧島原市街にある武家の町は「・・・丁」、
町人の町は「・・・町」に分かれると教える人がいる。
以上のような住所表記からも、17世紀、「島原の乱」後に大規模な移住による農業・農村の再興があったことを知る。
ちなみに、当地の特産品島原素麺は小豆島から製法が伝わった、と南串山町出身者に教えていただく。
引用・参考文献等:当ブログ2012年08月07日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年018月01日 撮影地:長崎県南島原市南有馬町