師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

闇の中に見えるのは光のみ

2009年04月25日 | 天意の実践

自分が在るのは、本来、自分のためだ。

何かことを起こすのも、自分がやりたいからだ。

だが、自分と自分以外が存在するから、やりたいことという結果は

関わりあう化学反応により、大きく変わってくる。

その影響力をも、ちゃんと考えられる自分であれば、

その光は遠くからでも、明々と見えるのものだ。

どのように生きるかは、それぞれが決めていることだから、ここでは

あえて言及はしない。

ただ、自分という光を灯し続けたいと、思っているなら、

あなたの光に無限の力を供給しなければ、到底叶わぬ望みだ。

無限の力はどこでも在ることと、それを受け入れる用意がなければ

その灯は消えてしまうだろう。

また、それが届けられるものだと思える、信じられなければ、すぐに

闇がやってくる。

いまの中で、光を灯せる、また、輝けるものは、幸せに在る

ということだ。

この恩恵は、はかりしれない。そして、幸せで在ることができる

根幹は、この国に在るということだ。この恩恵は、さらに深い。

そして、魂から言えば、当たり前でも在る。

深い思いの魂として、光を灯すことを選び、この国での生を

選んだならば、そこには意義があり、責任もまた、ある。

この国にあって、ひかりを灯す、尊い意義を考えることが、

さらなる無限の力の供給源と深くつながることとなるのだ。

あなたの光りが灯し続けられることを深く願っている。

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白洲正子の宿題 「日本の神」とは何か

2009年04月24日 | 天意の実践

ドラマで「白洲次郎」というひとを知り、関係の本も読了。

詳細は別館

その中の奥さんの正子さんの名前を冠した本に神さまの話の本が、

ありましたので、こちらへ掲載。

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『白洲正子の宿題 「日本の神」とは何か』 

著者 白洲信哉   世界文化社 刊

作者は、白洲次郎氏の孫。

けれども、「さすがに、かっこいい。」by師匠

「家庭画報」連載分の単行本化とは、帯のことばだ。

    

『日本の神とは何か。それはきっと、あれもこれも、すべてである。』

                     ~引用

森に、海に、祭りの喧騒の中に、さやけき月の姿にまた、闇に、

気配を聞く。

そこに神は在る。

私たちとともに在り、変わらず、時に寄り添い、時に見守り、

時に変幻自在に、その有様すら変えて、神は在る。

今というときにのみ生きる、わたしたちと共に。

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高次の世界では

2009年04月23日 | 天意の実践

今まで、熊本県の幣立神宮から、宮崎県の高千穂へ抜ける道の

途中で、惑星連合の大学での講義が聞こえてくる地点があった。

最初に聞こえてきたのは、この宇宙がどのようにして、作られたのか

といった内容のものだった。

以来、時折ではあるが神からのメッセージとは違う感覚(質・存在)の

メッセージや、非言語の教えのようなビジョンを受け取ることがある。

多分、チャネリングという、フィルターレベルの人たちの話などで登場

する、ガイドと呼ばれるものに近い存在からと思われる。

以前も軽く触れたことがあるが、私に話しかけるガイド(守護者)の

言葉は、地球の言語音声として表記をするのはとても難しいが、

暖かい気のような感覚で、とても優れたヒーラーからの治癒のように

私へと流れてくる。

そんなガイドたちの仕事の現場というか、本部のようなところの

ビジョンが先日、突然降ってきた。

見慣れた服装のガイドの人たちが、彼らを束ねるガイドの長である、

これもまた、地球の言語表記が難しい名前の(何故か、私は彼の

名前を知っている。)リューシェーヒエンが激を飛ばして、次々と指示

を出していた。

「我らがマスターを導くのだぞ。

我らがマスターたちを率いているのだ。」

誰もが忙しく、立ち回っていて、目が回りそうなくらいだ。

高次の方たちが、私たち地球のまだ、目覚めきれていない存在が

迷うことのない様、一緒になって、歩き、支えてくれている。

私たち、この次元に住むものを導いてくれている。

なんと、ありがたいことだろう。

この事実を謙虚に受け止め、自分が作った闇で、孤独になることの

ないように、私たちもまた、彼らと共に進むのだ。

忘れない。彼らもまた、私たちと共に在る存在なのだ。

        

~師匠のメモ書きより

追記

車の運転中に降ってきたビジョンである。

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今年もシンビジュームが咲いた。

楽しませてくれたお礼に花が済んだら、肥料をさしあげよう。

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自然と自然でないもの

2009年04月21日 | 天意の実践

賢所で忌み言葉は使わない。

その意義が理解できたならば、極力そんな言葉は使わないほうが

賢明かと感じる。

前々から気になっていた、とんびが群れる地点のことを師匠に問うと、

ポツリと

「不自然な周波数が出ていて、それにとんびたちが反応しているのだ。

あれは、彼ら仲間内では、集まる時に発せられるのだが、それが、

あの地点から発せられている。それに反応して、彼らが集まって

しまっている。行ってみると、とてもよくわかるよ。」

と、返事。

実際、行ってみると、(この日は、近寄ることができる場所の上空で

群れていた。)団地内の一角にある電柱の上。

「あれから、出ている周波数に、彼らとんびが集まってしまっている。

彼らの自然に割り込んでいるんだ。」

指差す先に在るのは、電柱に取り付けられたトランス。

確かに今は使用量が増えていると思われる時間帯だ。

トランスからはジーという音が出ているはずである。

「自然にあるべきの彼らの生活に、人間の生活が、(不自然なものを)

割り込ませている。」

そう、師匠が言った翌日。この近くでまだ2年仔ぐらいのとんびが道路

で死んでいた。また、その上空をとんびたちが群れていた。

知らせあったのだろう。

やがて、白い羽を羽ばたかせた鳥もとんできた。

鷹か、多分この地の主なのだろう。

この数日、ミツバチが減っていることを新聞や、テレビが取り上げて

いたが、養蜂家の方の話では、レンゲが減っていることも関係して

いるらしい。

私が子供の頃は、どこの田んぼにもレンゲが咲いていた。

かつてはレンゲが肥料の役割を果たしていたが、今は化学肥料が

あるので、レンゲの種を撒く農家は少ない。

それを自然というか、不自然というのかはわからないが、

そうやって、何かを変えて得たり、失ったりして、今という世界で

私たちは生きている。

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庭に、ワイルドストロベリーの花が咲いた。

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植物さんからも、呼ばれます♪

2009年04月20日 | 花・華・お花。植物さんのお話

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少し前まで、山はうっすらとさくらのピンクに染まっていたのが、

今は、うっすら紫。ふじの花色に染まっていますね。

先日も、関崎へ行くと、山間の紫の空間では、やまふじの花の

香りがむせかえるほど漂っていました。

さて、今日は、いつもとは違う花の香りが微かにしているなあ、

と思っていたら、道中で、変わった色のふじの花があるー、と、

隣で騒ぐので(笑)、停車。

見ると、これがなんとまあ、みごとな赤紫色のふじです。

近づいてみて、この花の香りがしていたんだなと、思いつつカメラ

で、ぱしゃり、ぱしゃり。

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うーん。赤紫の色がうまく出ないなあ。

写真撮影をしたあとも、この花の香りがずーっと、車中でもしています。

師匠「ふじのお花さんが、(ブログに私の姿を)掲載してんかぁ~、て

   ゆ~てんちゃうかあ。(けらけら)」

というと、さらに、ものすごく花の香りがしています。

私 「ど・・・うやら、そのようですね・・・・・・。」

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お花さん、これで喜んでいただけたかしら。。。

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追記

師匠「こんな赤のふじの花を、下の畑に父が植えていたんだ

         けれど、手入れが行き届かなくて、花がつかないん

        だったよ。

   お花さん同士の知り合いかな。植物さんのネットワークで、

   呼び止められたんだわな。」

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