師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

おおいなる静寂を観る

2010年08月03日 | 天意の実践

どのようなすぐれたひとの話、またはすばらしい本を読むより、

あるいは、どの領域からのことばよりも、体感は饒舌だ。

体感にまさるものはない。

どのようなことば、どのような行為、どのような場所であれ、

すべては、ヒントにしかすぎない。

ここでのことも、読んで終わるだけのことだ。

だが、

会話を通じて、あなたへ流れ込むわたしとの対話は、

あなた自身を思い出す。

この思い出すことこそが、あなた自身への旅のはじまりと

終わりだ。

あとは、あなた自身の静寂を見出すのだ。

    

語りかけをきっかけに、光を体感する人がいる。

語りかけをきっかけに、閉ざした心が開く瞬間がある。

それを奇跡と呼ぼうとも、神秘と呼ぼうとも、

そのひとにとっては、帰還であり、帰宅なのだ。

自分自身を見失いたどる家路。

あたたかい声が出向かえる。

オカエリナサイ。

狭き門への旅は、まだ、はじまったばかり。

どなたさまも、ご無事で、たどり着けますように

門の入口におわす尊きお方が、今、この時も祈りをささげておられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然で在ること 自然でいること

2010年08月01日 | 天意の実践

どの願いでも叶う宇宙の法則にそっていることを望むなら、

今まで、ここで記してきたことを実践してみることだ。

これは、初期のレベルだが、

悟りであれ、成功であれ、願望成就であれ、

純粋に、そのことのみに集中する。

一切の疑念をもたないことだ。

一切の疑念を持たずにいるためには、他の思考は、はさまない。

自己を守りたいと思うなら、

思いがけないことが起きたら

などと、

自分の静けさを煩わせるような思いには囚われないことだ。

こころがしずかに在る。

その一瞬に、すべては整のう。

だから、さとりを得たものは、そのさとりを手放す。

願望が叶うことを望んだら、忘れる。

変化は、中からしか起きない。

そとに変化を求めていれば、あなたは、待つという選択を

あとから、それに付け加えることになる。

一切の妨げになるような思いを入れず、純粋であれば、

あるほど、

その訓練は、自身のものとなる。

やがて、自分のレベルが上がりはじめると、中からの変化

を自覚できるようになる。

すべてとつながっていることを意識できるようになる。

ひととだけではなく、自然からも繋がりを感じられるようになる。

自然がそのままに在ることから学ぶと、それは、忍耐ではなく

すべてが、在る

そのただ中に存在しているだけで、すべてはうまくいっていることを

知る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする