師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

すべては自分という世界のためにー

2010年08月11日 | フィルターレベルのお話

そこまでしないといけないのかと

問うなら、あなたはそういうレベルなのだ。

「そこまで」という、限定された世界に自分をおいている。

なにかをするとは、限定をおかない。

どこまでも、在るべき自分を求めて、つきすすむ。

それを自分は、そんな、世界をよくしたいとか、だいそれたことを

思うような人間ではないから、関係ないと思うなら、

あなたは、自分自身に対しても、他人事なのだ。

自分に関心がない。そうやって、無意識に思考というものを

散財している。思考という価値を見いだせずに、

無闇やたらに撒き散らしている。

自分を考えることが、できないというなら、それで構わない。

わたしたちは強制はしない。

方法を言っている。

苦しまない方法として、思考を止めると、言っている。

それを家族があるからとか、会社勤めだから、と

できない理由をならべても、べつにわたしたちは

構わない。

わたしたちの世界において、それは、何の問題でもない。

それは、あなたの中に存在する問題だから。

しないことを選択するなら、それで、構わない。

ただ、それでは、さみしいからと、ひたむきにがんばる人の

邪魔をしたいのであれば、

それも、あなたのレベルの問題だ。

自分の中の世界でおきている。

ひたむきに生きるひとたちにとって、あなたは、あなたでしかない。

在るがまま、そうしておくだけだ。

素直で謙虚な資質なくして、進歩はありえない。

道に迷った時、尋ねる方法がわからないものには、

神ですら、導きようがない。

すべては、あなたたちのなかにある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みずからの整い

2010年08月10日 | 天意の実践

みずからを整えれば、そとはおのずと整う

トとのはぬは そとに整えを求めるからじゃ

     

自分という、内なる世界が整えられ、満ち足りたものであれば、

結果としての外の世界は、満ち足りたものとなる。

なぜ、外に求めてはいけないのか。

物事には、順番があり、内なる世界が入力場であり、

その結果としての外の世界が出力場となるのは

もちろんだが、それと、もう、ひとつ。

外をわるものとして、判断されかねないからだ。

結果が届かないのは、外の責任と、自分も思い、

これらを束ねる宇宙の広大なつながりが、そのように判断をし、

結果としての外の世界は、変わらないままなのだ。

まずは、自分を満ち足りたものとする。

静寂とは、満ち足りた思い。

しずけさの中に本来の自分を見出し、一致した在るべきものとなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこまでも伸びる青い光

2010年08月09日 | 天意の実践

2010_0805_193126cimg0052

時折、空を見上げては、こころを空っぽにする。

見上げた空では、美しいと驚嘆にも似た世界が広がる。

2010_0805_193204cimg0053

自分という限定された世界から、拡大意識へのアクセスが可能になる

一瞬。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

約束

2010年08月06日 | 天意の実践

「これ、やってくれるかなあ。お願いして、いいかい?」

「いいよ。」

「お願いね。頼んだよ。」

あなたが、誰かにお手伝いを頼んだとする。

その誰かは、こころよく、「やります。」と返事をくれたので、あなたは

他の用事をしている。自分の分の仕事に取り掛かっている。

自分の仕事がなんだか変だと気がついたあなたは、

頼んだ相手に言う。

「いいよ、って、言ったよね。やるんだよね。」

相手はこたえる。

「えっ。今じゃないと、いけないの?あとで、じゃあ、しとくよ。」

そう、言うと、また、別なことをやりはじめる。

あなたの仕事はすすまない。

そんな時、どんな気持ちになるだろうか。

「神さまにいつもお願いしているのに、神さまは聞いてくれない。」

そんな声が聞こえてきそうだ。 

あなたは、出し惜しみをしてはいないか。

誰かに、なにかに、出し惜しんではいないか。

何事もこれくらいでいいだろう、なんてことはない。           

自分だけでやる仕事ならばともかく、これは、実はそれぞれが

役割を分けてすることなのだ。

全体でひとつのことをしている。

他のひとはこれを手伝ってはいけない。

としたらー。

あなたはまわりを見渡す。

他のひとは、それぞれの役割分担に添って、仕事をしている。

一見、つながりのないようなことでも、この宇宙というものは

とてもよくできていて、誰ひとり、役割のないものはいない。

それぞれの役割にふさわしいひとが、その役を背負っている。

あなたの役割。

返事をしたこと。約束したこと。

それを忘れるのも、ひと。

守るのも、ひと。

相手になにひとつあたえないあなたでいるのなら、それはそれで

仕方ない。

それを選んだのは、あなただ。

あたえない。

あたえないものには、あたえられない。

これも、宇宙の法則だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報の選択

2010年08月05日 | 天意の実践

多かれ少なかれ、誰でも目にしたり耳にした情報を

選択している。

このやってくる情報というものは好む、好まざるに関わらず、

やってくる。

時に蝕む。

ひととの会話であれ、テレビやラジオ、インターネットからでも

一方的にそれは、やってくる。

それを好んで受け取るひとにはよくても、

受け取りたくないものには、時に、ひどい痛みをもたらす。

かつては、さとりをひらくには、山の修業より町の修業

と、思っていたが、

今の状況は、あまりにひどい。

感受性の高いものには、耐えられないこともある。

だからこそ、さらに自分の身は、自分で守る。

選択の結果、ありのままにして、流す。

とらわれずに流す。

それに対して、どう見られるだろうか、すら流す。

そうして、実は、今までの思考とは

いいわけだったと気がつく。

誰のためのー。

何のためのー。

    

ひととは関わるな そんな時間はない

と言われ続けた意味が、徐々に明らかになっていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする