体調が悪くてずっと寝ていたときに色々考えました。
暇なのに体が動かせないので、頭はフル回転という感じ
でした。
「治ると思うから1週間かそこらの苦痛も耐えられる
けれども、もし治る見込みが少ないといわれたら、
一体、どんな気持ちになるんだろう。」
腰が痛くて、咳するたびに腰に激痛が走ったときには
本当にその苦痛から逃れたくて、早く治って欲しいと
毎晩「次の日には少しでも良くなってます様に」って
願って寝たもんです。
人間、誰しもが苦痛から逃れたい。
苦痛・・・小さいものから、大きなものまで。
例えば病気や怪我などの肉体的な苦痛から
精神的な苦痛まで。
精神的な苦痛の例をあげれば
思い通りにならないこと全般でしょうか。
住んでるところが嫌だとか
だんなが気がきかないとか
義理両親、実の両親が嫌だとか
仕事が嫌だとか
まぁ色々あります。
『苦痛』というと大げさですが。
で、色々してみるわけです。
環境を変えようと努力したり。
思い切って、環境を変えたり。
対象に怒りをぶつけることで、
わずかの自己満足に浸ったり。
自己正当化してみたり。
逃れの方法はいろいろありますです。
最終的にどうにもならなかったら、言うも言われぬ
感情を抱えたまま、諦めたり。
それが悲しみだったり、怒りだったり、
ひらきなおりだったり、色々です。
諦めというのは、根本原因の解決ではないけれど
それをそのまま受け入れるという方法のような気がします。
諦めっていうと、逃げのように聞こえなくもないですが
勝つ見込みがあるかどうかもわからないのに、
いつまでも戦わなければいけないとしたら、それも痛々しい
ものがあります。
『戦っている』という事実に一番の価値を置くならば
それもいいのでしょうが、どこまでも現実に『逆らって』戦い続ける
ことが本当にいいのかどうか。
ま、それはその人次第なのでしょうけれど。
色んなことに当てはまると思いますが、現実を変えていく努力(戦うこと)
と、受け入れていく努力(諦めること)というのは同じ心の努力であって、
結局は、結果に自分が満足できれば、戦うことも、そして諦める
ことも等しく尊いことのような気がします。
もし、自分が治るのが難しい病気にでもなったら
どう考えるかなぁ。
なってみないとわかりませんね。
暇なのに体が動かせないので、頭はフル回転という感じ
でした。
「治ると思うから1週間かそこらの苦痛も耐えられる
けれども、もし治る見込みが少ないといわれたら、
一体、どんな気持ちになるんだろう。」
腰が痛くて、咳するたびに腰に激痛が走ったときには
本当にその苦痛から逃れたくて、早く治って欲しいと
毎晩「次の日には少しでも良くなってます様に」って
願って寝たもんです。
人間、誰しもが苦痛から逃れたい。
苦痛・・・小さいものから、大きなものまで。
例えば病気や怪我などの肉体的な苦痛から
精神的な苦痛まで。
精神的な苦痛の例をあげれば
思い通りにならないこと全般でしょうか。
住んでるところが嫌だとか
だんなが気がきかないとか
義理両親、実の両親が嫌だとか
仕事が嫌だとか
まぁ色々あります。
『苦痛』というと大げさですが。
で、色々してみるわけです。
環境を変えようと努力したり。
思い切って、環境を変えたり。
対象に怒りをぶつけることで、
わずかの自己満足に浸ったり。
自己正当化してみたり。
逃れの方法はいろいろありますです。
最終的にどうにもならなかったら、言うも言われぬ
感情を抱えたまま、諦めたり。
それが悲しみだったり、怒りだったり、
ひらきなおりだったり、色々です。
諦めというのは、根本原因の解決ではないけれど
それをそのまま受け入れるという方法のような気がします。
諦めっていうと、逃げのように聞こえなくもないですが
勝つ見込みがあるかどうかもわからないのに、
いつまでも戦わなければいけないとしたら、それも痛々しい
ものがあります。
『戦っている』という事実に一番の価値を置くならば
それもいいのでしょうが、どこまでも現実に『逆らって』戦い続ける
ことが本当にいいのかどうか。
ま、それはその人次第なのでしょうけれど。
色んなことに当てはまると思いますが、現実を変えていく努力(戦うこと)
と、受け入れていく努力(諦めること)というのは同じ心の努力であって、
結局は、結果に自分が満足できれば、戦うことも、そして諦める
ことも等しく尊いことのような気がします。
もし、自分が治るのが難しい病気にでもなったら
どう考えるかなぁ。
なってみないとわかりませんね。