さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

永遠の別れ

2010年12月29日 09時15分57秒 | Web log
先日ブログでもお話しましたが、ベンジャミンのおともだち(Eathan)のお父さんが
闘病の末、亡くなりました。

先週の水曜日、突然連絡がきて、火曜日の朝に亡くなったことを知りました。

連絡を受けたときは、気が動転してしまい、そんな私を見てジョナサンまでもが
「どうしたの? どうしたの?」と聞く始末。

ベンジャミンのお友達は4歳になったばっかり、お姉ちゃんは6才。

まだまだ小さいです。

自分の父が亡くなったときのことを思い出してしまいます。

もう35年以上も前のことなのにね。

その家族とは、ベンジャミンが通っていたモンテッソーリスクールを通しての
お付き合いだけで、特に親しかったわけでもなく。
でも、そのお父さんとはちょっとした思い出が。

その思い出はと言いますと。

ある日、ベンジャミンを学校に連れて行くために車を走らせていたのですが、
遅刻しそうだったので、気が焦っていました。

ラウンドアバウトに進入し、最後の出口を抜けたとき、2車線道路の右側のレーンを
走っていたのですが、先の信号で左折をしなければならなかったので、左のレーンに
車線変更をしました。

焦っていたので、後方をよく確認せずにそのまま左に寄ったのですが、
そのお父さんが左車線で後ろを走っていたのでした。

で、もうすこしでぶつかるところだったのです。

お父さんが運転していた車は BMW。

もう、冷や汗ものでした。

で、学校についたら謝ろうと思って、急いで「先ほどは申し訳ございませんでした。
急いでいたので、後方を十分に確認しないで車線変更してしまって。」と言ったら、
特に怒るでもなく許してくれまして、「優しい人でよかったぁ」と思ったことを
覚えています。

ベンジャミンが学校を辞めることになった最後の日、たまたま、お父さんとEathanが
学校の前の公園で遊んでいたので、「Benjamin、今日で学校辞めるんです」と話しかけたときも
「子どもがHappyなのが一番大事だから」と言ってくれ、わたしがお母さんと色々話し込んでいた
ときも、EathanとBenjaminと遊んでいるの見てくれていたお父さんを思い出します。

そのときは、既にEathanのお父さんが癌を患っていることを知っていました。
その事実を知らされてからずっと、自分が幼いときに父をなくしたことと重なって
Eathanのこと、そしてEathanのお父さん、お母さんのことがずっと気になっていて
ベンジャミンが学校を辞めた後もそれはずっと続いていました。

なので、先日お店でばったりEathanとEathanのお姉ちゃん、そしてお母さんと会ったときに
お父さんの容態を聞かずにはいられなかったのでした。

Eathanのお母さん、そしてEathanとおねえちゃんが、これからどんな思いと向き合わなければ
ならないのか。悲しみという傷の『うずき』がいずれ落ち着いていく時がくるかとは
思いますけれど、それでもずっと心の奥深くまで刻み込まれた傷は決して消えることはないかと思います。

お父さんの思い出が消えない限り、その傷も消えることはない。

彼らがこれから向き合うだろう痛みを何とかしてあげられるとは思えないし、
お父さんを思えばこその傷であり、痛みなのであれば
その傷自体を何とかしてあげようとも思わない。

「死」という、人類が有史以来ずっと抱え続けてきた恐怖、悲しみ、そして痛みを
何とかできると思うこと自体、不遜だ。

残された家族は、それぞれにとてつもない孤独を感じるときが何度も訪れると思う。

亡くなったお父さんの代わりになれる人はでてこないだろうから。

わたしじゃ、何も補えない。

でも「ひとりぼっちだと思わないでね」ということだけは、伝えたいと思う。

今日、お葬式に参列してきます。

署名

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