わたしの子供たちが通う学校は公立の学校ですが、インディペンデント・スクール
として認可されまして、校長を始めとする教員および親が組織する日本でいう
とことのPTAの自己裁量で色んなことをすることができるようになりました。
公立だけど、ちょっと私立の要素を含んだ学校というといいでしょうかね?
そして、先日学校からビジネスプラン(事業計画書)が郵送されてきました。
教育方針、教育計画等々が述べられておりました。
違和感。
教育の質を上げ、学校の評価を高めること、それに伴った結果が生徒に還元され、
そして報償が教師に還元されるというシステム。
一見、良さそうに見えますけど。
あったり前に言い尽くされたことですが、競争は階層をつくりあげます。
親たちは「負けられない」という恐怖心に支配され、じわじわと子供を追い込めることに
なるでしょう。
闘争、および生存本能をもつ私たちですから、自然の法則に従っていけば、競争は過熱し、
親子共々、疲労困憊することでしょう。
強者(一握りの天才とか、何はともあれ、わが道を行く人)は、いいとして、競争の中で弱者、
敗者というレッテルを貼られてしまったら、競争とかけ離れたところでの本来の「自分」という
存在価値を見失い、自信を失い、果ては 居場所を見失ってしまうのではないのだろうかと、
私は心配しています。
というのは、私も、日本の競争社会に飲み込まれて、自分を見失ってしまった過去を持つ
1人だからです。
オーストラリアはもっとゆったりしていると思ったけれど。
アメリカのような社会になりつつあるような気がします。
でも、競争原理の利点もあるんですよね。
共産主義国の腐敗や崩壊を見て分かる通りです。頑張っても頑張らなくても同じ報酬ならば
人間は楽な方に流れていくのが普通ですからね。
競争主義は勝者にとってはいいでしょうが、弱者はとことん切り捨てられる。
平等主義は弱者がある程度救済されるものの、社会が淀み、怠惰と腐敗が蔓延する。
ので、どっちをとっても色々あるわけで。
ただ、教育と医療だけは聖域として守るべきなんじゃないかと。
先日オーストラリアの友人から「お茶のみにおいでー」と言われてお邪魔したときの話。
オーストラリア人の友人の娘さんはあまりスペリングが得意じゃありません。
が、すごくいい子です。(私は大好きです)
期待するほど成績がよくないので、お母さんはディスレクシア(識字障害)を心配して、
多額のお金を投資してあちこちにアドバイスを求めましたが、結果は ディスレクシアではない
とのこと。
で、その子がこんなことを言ったという話を聞いて、悲しくなりました。
「 ディスレクシアと診断されるもの嫌だけれど、でも、そう診断された方が楽になれるかもしれない。
だって、スペリングが苦手なことの理由ができるもん。もし、ディスレクシアじゃなくて
勉強ができないってことは、わたしはバカだってことになるでしょ? 」
なんと悲しいセリフ。胸が痛くなりました。まだ、10歳だというのに。
学校は勉強する場所ではありますが、勉強ができないから自分はダメなんだという
間違った認識を得る場所ではないんじゃないかと、私は思いますし、仮に学校や
社会がそういう間違った認識で子供たちを洗脳しようとしたときに、親がどこまでも
そういいったナンセンスから子供たちを守り続けていくという「戦い」が必要なんじゃ
ないかと思いました。
長くなりました。失礼いたしました。
として認可されまして、校長を始めとする教員および親が組織する日本でいう
とことのPTAの自己裁量で色んなことをすることができるようになりました。
公立だけど、ちょっと私立の要素を含んだ学校というといいでしょうかね?
そして、先日学校からビジネスプラン(事業計画書)が郵送されてきました。
教育方針、教育計画等々が述べられておりました。
違和感。
教育の質を上げ、学校の評価を高めること、それに伴った結果が生徒に還元され、
そして報償が教師に還元されるというシステム。
一見、良さそうに見えますけど。
あったり前に言い尽くされたことですが、競争は階層をつくりあげます。
親たちは「負けられない」という恐怖心に支配され、じわじわと子供を追い込めることに
なるでしょう。
闘争、および生存本能をもつ私たちですから、自然の法則に従っていけば、競争は過熱し、
親子共々、疲労困憊することでしょう。
強者(一握りの天才とか、何はともあれ、わが道を行く人)は、いいとして、競争の中で弱者、
敗者というレッテルを貼られてしまったら、競争とかけ離れたところでの本来の「自分」という
存在価値を見失い、自信を失い、果ては 居場所を見失ってしまうのではないのだろうかと、
私は心配しています。
というのは、私も、日本の競争社会に飲み込まれて、自分を見失ってしまった過去を持つ
1人だからです。
オーストラリアはもっとゆったりしていると思ったけれど。
アメリカのような社会になりつつあるような気がします。
でも、競争原理の利点もあるんですよね。
共産主義国の腐敗や崩壊を見て分かる通りです。頑張っても頑張らなくても同じ報酬ならば
人間は楽な方に流れていくのが普通ですからね。
競争主義は勝者にとってはいいでしょうが、弱者はとことん切り捨てられる。
平等主義は弱者がある程度救済されるものの、社会が淀み、怠惰と腐敗が蔓延する。
ので、どっちをとっても色々あるわけで。
ただ、教育と医療だけは聖域として守るべきなんじゃないかと。
先日オーストラリアの友人から「お茶のみにおいでー」と言われてお邪魔したときの話。
オーストラリア人の友人の娘さんはあまりスペリングが得意じゃありません。
が、すごくいい子です。(私は大好きです)
期待するほど成績がよくないので、お母さんはディスレクシア(識字障害)を心配して、
多額のお金を投資してあちこちにアドバイスを求めましたが、結果は ディスレクシアではない
とのこと。
で、その子がこんなことを言ったという話を聞いて、悲しくなりました。
「 ディスレクシアと診断されるもの嫌だけれど、でも、そう診断された方が楽になれるかもしれない。
だって、スペリングが苦手なことの理由ができるもん。もし、ディスレクシアじゃなくて
勉強ができないってことは、わたしはバカだってことになるでしょ? 」
なんと悲しいセリフ。胸が痛くなりました。まだ、10歳だというのに。
学校は勉強する場所ではありますが、勉強ができないから自分はダメなんだという
間違った認識を得る場所ではないんじゃないかと、私は思いますし、仮に学校や
社会がそういう間違った認識で子供たちを洗脳しようとしたときに、親がどこまでも
そういいったナンセンスから子供たちを守り続けていくという「戦い」が必要なんじゃ
ないかと思いました。
長くなりました。失礼いたしました。