さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

クリスマス、その後

2011年12月27日 09時46分48秒 | Web log
前も愚痴りましたが、オーストラリアでは12月に全てが爆発します。(ちょっと、大袈裟ですが)

学校では、学年末と卒業式があり
クリスマス商戦が加熱し、その後もボクシングデーのセールがあるし、
クリスマス休暇を使って、遠くにホリデーに行く人もいるし、
とにかくお金を使う時期なのです。

裏話ですが、どうやらクリスマスの後に、鬱になったり、命を絶つ率が年間で一番高いそうです。

そういう私も、ベンジャミンがどうしても欲しいというおもちゃがあると言うので、セール見込んで
お店に連れて行きましたが、すごい混雑。

私たちは欲しいものを買って早々に退散。

クリスマスで、色んなものを買ったりもらったりするだろうに、まだまだ欲しいんですねぇ。
と、思ってしまうのは、私が貧乏人だからでしょうかね?

交換したプレゼントゼントも、一部お蔵入り。で、処分決定。
気持ちはありがたくいただきますが、必要ないですから。
子供達も見向きもしませんですし。

本当に好きで、自分が欲しいと思うものに対して簡単に妥協してしまうのは好ましくないと思います。
時間をかけても、欲しいものを手に入れようとすることは、私はいいことだと思います。

中途半端な代価物で自分を満足させ続けていると、最終的に自分の価値観とか、
センスが鈍ってくると思うからです。

あるものに価値を見出し、それを追い求めるというのは、ある種の自己表現だと思うし、
自分の価値観の意志表明だったりすると思うので。

買わないことも、買うことも、結局は、自分にとって何が大事かということを
間接的に表現していると思います。

何も買わずに、お金を貯め続けているような人は、人生を楽しむよりも安心感が必要なんだろうし
目的もなく安物ばかり買い漁る人、お金があるからという理由だけで散財する人も、
究極的には『買う』という行為のみを楽しんでるに過ぎない。

対象物に価値を見出すからこそ、そこに時間とお金を投じるのだろうし、そこにある種の『深い喜び』が
伴うはずです。

それは誰かを愛するのと似ているんじゃないかと、思ったり。
それって、多様な人間関係を表現する『愛』ですよ。エロスじゃなくて。
夫婦だったり、親子だったり、友人だったり、師弟だったり。

買い物も、人間関係の構築も、価値も愛情もほとんど見出せないのに、ただ闇雲に対象を獲得、利用しようと
しているのだとしたら、それはただ自分の空虚感を満たすためだけのものでしかなく、結局、その満たされない感は
次から次へと終わることなく続いて行くということを、忘れてはいけないと思うのでした。

勝手なつぶやきでした。

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