さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

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過去の入院・検査記録はこちら。お薬の履歴はこちら
膵臓に関する記事は、あくまで素人の作った内容です。
間違いが含まれている可能性はありますので、あくまで自己責任ということで情報を利用してください。

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PSTI遺伝子変異

2008年04月30日 21時06分25秒 | 慢性膵炎経緯
女性の場合、膵炎の原因は「特発性」と言われる原因不明のものが一番多いです。
私が現在疑われているのはPSTIの遺伝子変異ですが
これは遺伝子検査を行わないと確定が出来ません。
でも、保険対象外の検査であるし、確定しても特別な治療法はないため
する必要はないだろうと言われています。
そのため、カルテ上は現在も「特発性慢性膵炎」という病名になっています。

PSTIの遺伝子変異とは。
PSTIとは膵分泌性トリプシンインヒビターのことです。
消化酵素の一つであるトリプシンがそのまま存在すると
臓器を溶かしてしまう(膵炎を起こす)ので
そういうことがないように、同時に活性を阻害する物質が存在します。
これがPSTIです。
PSTIはトリプシンの阻害物質ですから
膵炎を起こしてトリプシンが上昇した時には
防御機能としてPSTIも同時に上昇します。
言葉を変えれば、膵炎の際にはアミラーゼ、リパーゼ、トリプシン等と並んで
PSTIも上昇するのです。

ところが、トリプシンが上昇する際にPSTIが上昇しない遺伝子変異があり
これが膵炎の原因の一つとして最近注目されています。

阻害物質がないのですから、一度膵炎を起こすとなかなか炎症が治まりません。
ストレスが原因として発症した女性の場合に
PSTIの異常が見つかることが多いそうです。

私の場合、重症急性膵炎の時にもPSTIが上昇していなかったそうですが
その後もトリプシンに異常が出た際に、いつもPSTIが上昇しないので
この遺伝子変異があるのでは?と疑われました。

(過去記事『いろいろな発見』、 『トリプシンインヒビター』

現在のところ、上述のとおり特別の治療法はなく
蛋白分解酵素阻害剤(フオイパン、FOY、フサン、ミラクリッド)が
より効果的とされているそうです。
確かに、フサンはよく効きます。
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重症急性膵炎経緯

2008年04月30日 21時05分58秒 | 重症急性膵炎
慢性膵炎を発症して2年半強。
その間、投薬と食事療法で落ち着いていた期間もありましたが、
2007年春先からは強い痛みが続くことが多く、
痛みで食事が取れなくなり4月と9月に絶食入院。
それ以外の期間もフサンの点滴で誤魔化しながら仕事を続けていました。

この状態について、かかりつけ医から
『貴女のアミラーゼの値はお酒を飲む人なら良く出る程度の値です。なのにこれほど痛みが強いということは、何らかの原因があると考えられます。ですから、いつまでも対処療法を続けていないで、原因追及をしっかりやって、治療法を見つけたほうが良いです。』
とアドバイスされ、ずっと避けていたERCPをすることとなり、
2007年10月30日にいつもの総合病院に入院となりました。
かかりつけ医は先天性の膵胆管合流異常を疑っていたそうです。

入院後、主治医からERCPについての説明が家族同席でありました。
(主治医の説明)

その後、長期絶食を想定して中心静脈カテーテルが留置されました。
(中心静脈カテーテル)
このときの女医さんは私の入院生活において、唯一の天敵となりました。(笑)

私の病院では、入院すると主治医と担当医がつきます。
主治医を殿、担当医を小姓とこっそり命名。
当初は小姓のことを若いというだけで警戒してました。

11月7日、ERCP施行。
ドリミカムで撃沈したのは良かったけれど
目を覚ました瞬間から痛かった。
その数時間後には地獄のような痛みがやってきました。
検査前から予防的にレミナロン(FOYのジェネリック)を投与し
痛み止めとしてペンタジンの静注を使っていましたが
そんなもので太刀打ちできるレベルではありませんでした。
急性膵炎の痛みは「いっそ一思いに・・・」と思いつめるほどの激痛です。
検査後2時間の採血でアミラーゼ300。
翌日2900、さらにその翌日に4700までアミラーゼが跳ね上がり
重症認定されてICU送りとなりました。

(ERCPからICUまで)
(ICU生活5泊6日)
(一般病棟編その1)
(一般病棟編その2)
(近況)

ICUでの動注効果は素晴らしい効果を出したのに、
一般病棟に戻ったらアミラーゼは再上昇するし
膵頭部の腫れも治まらず、
“普通の急性膵炎の経緯とは明らかに違う。”
と主治医を随分悩ませます。
↓のような経緯でした。

       アミラーゼ   CRP
11月18日  825↑   1.18↑
11月20日  657↑   0.72↑
11月22日  578↑   0.37  
11月26日  444↑   0.09

発症16日目に水解禁。
翌日、17日目にジュース解禁。
重湯開始は発症34日目。
その間も悪化こそしなかったものの、
じわりじわりとしかアミラーゼは下がりませんでした。
年内退院目標だったけれど、数値も下がらず食事も出来ずでお流れ。
年始の採血でアミラーゼが177とようやく200をきりました。
アミラーゼさがったぁ
退院が見えたか?と思いきや、点滴で感染症を起こしてしまいます。
熱が出た
(高熱続報)

結局、入院は87日間に及びました。
胆・膵を専門とし、一人で年間100例はERCPをしている主治医でさえ
初めて診るような経緯だったらしく
PSTIの異常があったのが原因ではと後になって言われました。
いろいろな発見

詳しくはカテゴリー「重症急性膵炎の」内の記事を
古い順からご覧くださいませ。
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膵炎発症経緯

2008年04月30日 21時04分04秒 | 慢性膵炎経緯
最初に体調不良の兆しがあったのは2003年6月のことでした。
お腹から背中に抜けるような腹痛を覚え、かかりつけの内科を受診。
自分では胃潰瘍だろうと思い込んでいたのですが、
『腹痛にも色んな原因があるから。』
と、血液検査をされました。
すると、“アミラーゼが高い”との結果が出ました。
基準値の1.5倍ぐらい。
ただ、
『アミラーゼは唾液腺の病気でもあがることがあるので、もう一つ膵臓の酵素であるリパーゼを計ってみて、それでも高いなら膵臓でしょう。』
と言われて、再検査をしました。
数日後結果を聞きに行くと、リパーゼも基準値に比べ軽度の上昇。
ただ、この時は既に症状が治まっていたので、経過観察に。
それから、定期的に血液検査に行きましたが、
常にアミラーゼとリパーゼの軽度上昇が見られたため、
念のためにCTやMRIも撮ったものの異常なし。
そのまま経過観察を続けることに。

2004年10月の中頃のこと。
仕事で外出中に下痢を伴う激しい腹痛を起こしました。
仕事を早引きして、クリニックに行って検査したところ、
アミラーゼがそれまでの最高値である300(基準値は190まで)ぐらいまであがっていました。
それまでで一番高い数値を出したために
『痛い時だけ飲んでみてください。』
とフオイパンを一日3錠出され、
『脂っこいものは避けるように。』
とも言われました。
ただ、この時の痛みは一過性ですぐに治まりました。

しかし、同年の12月の中旬頃から仕事のストレスが原因なのか
鳩尾の重苦しい痛みと背中の痛みが出てきました。
Drから「背中は痛くないか?」と聞かれるので、
気にしすぎかなと当初は思っていました。
年末に向かうにつれどんどん痛みが強くなり、
全身倦怠感に食欲不振もひどくなってきました。
年始の仕事中に、耐え難いレベルの腹痛に襲われました。
クリニックを受診して採血と点滴の処置をして貰いましたが、
膵炎が増悪した場合にクリニックでは対応しきれないからと、
かつて胆石症の手術をした総合病院を紹介されました。
数日後、紹介状を手に受診すると、
当日のエコー検査で大腸の炎症所見があったため
大腸カメラをすることになりました。
(当初は潰瘍性大腸炎を疑われていたそう。)

大病院では検査に時間がかかります。
(大腸カメラ1週間後、結果1週間後。そこからMRI検査2週間後、CTは更に1ヶ月待ち・・・等)
とても体調が悪かったので、
クリニックのDrに診断書を書いて貰い自宅療養していました。
が、一向に痛みが治まりません。
痛くて食べられないので日に日に痩せていき
この段階で8~9キロは減っていました。
そこで、かかりつけ医の勧めもあって検査入院をすることになりました。

検査内容は、入院前にした検査も含めると
採血・エコー・胃カメラ・大腸カメラ・MRCP・CT・胆道シンチグラム・口唇生検等。
痛みで食事が取れなかったので、主治医の勧めで絶食してみたところ
嘘のようにぴたりと痛みが治まりました。
4日間の絶食後の血液検査ではアミラーゼが下がっていました。
検査の結果、やはり画像は異常なし。
ただし、P型アミラーゼとリパーゼが軽度異常。
また、膠原病に関係のある抗核抗体(ANA)が弱陽性で、
更にSS-A抗体が陽性、SS-B抗体は弱陽性。
この結果、膵炎の中でもシェーグレン症候群に稀に併発する
自己免疫性膵炎ではないかと言われました。
ところが顕著に上昇するはずのIgG4は正常で、
シェーグレン症候群の確定診断をおろすためにした口唇生検の結果も異常なし。
そのため自己免疫性膵炎もシェーグレン症候群もこの段階では否定されました。
結論は、画像異常はみられないものの、
『(普通の)膵炎でしょう。』ということになりました。;

退院した後は基本的に月に一回の通院で、
フオイパンを1日6錠とコスパノンを1日3錠処方されました。
しかし、時折食事も取れないほどの痛みに襲われ、
2007年9月までに3度の入院を経験。
(治療は絶食とフサンの点滴)

その後お薬は変わり、痛み止めはボルタレンとブスコパンに。
消化剤としてセブンイー・Pとパンクレアチンが処方されました。
フオイパンを処方された時よりも消化剤が追加処方された時のほうが、
効果を感じられました。

2007年9月の入院では点滴がFOYのジェネリックである
レミナロンに変わりました。
これがとんでもない薬でひどい血管炎を起こしました。
元々血管の細い私の両腕は退院する頃には刺すところがなくなっていて、
腕が腫れ上がってました。
退院後に8度近くの熱が1週間ぐらい続き、
レミナロンの薬剤漏れが原因とわかりました。
こんなひどい目にあったのに効果はフサンの半分もありません。
副作用はきつく、作用は少ない。
こういう経験から私は“ジェネリックが先発品と同じである”
という厚生労働省の宣伝には懐疑的です。

2007年はずっと膵臓の調子が悪く、
特に9月の入院以降は毎日のように点滴に行ったり、
救急外来に駆け込んだりということが続くようになりました。
そのため、長年避けてきたERCPをすることになって再入院しました。

ERCPをしてみると当初疑われた十二指腸乳頭の機能異常はなし。
ところが、造影剤を入れると膵管の中に停滞する=膵液の流れが悪いのです。
この原因は胆嚢摘出手術(2002年)の影響で胆管が太くなっていて、
胆汁の勢いが強すぎ膵胆管合流口で膵液の流れを邪魔していたことでした。
そこで膵液の流れをよくするために、
胆管を切って膵液と胆汁の出口を分けるという処置(十二指腸乳頭切開術=EST)と
ステント挿入をしました。
膵管の姿はとても綺麗だったため、
リスクの高い膵管切開を避けて胆管のほうを切開したとのこと。
この結果重症急性膵炎という合併症を引き起こしてしまったのは、
遺伝子異常が根底にあったからかもしれないと後になって言われました。

約3ヶ月の入院を経て、2008年1月に一旦退院しましたが、
その後も体調が優れず、約1ヶ月後に再入院。
痛みを緩和させるために「腹腔神経叢ブロック」をすることに。
しかし、神経を傷つけた痛みに苦しめられただけで、膵臓の痛みは緩和できず。。。
痛み止めにリン酸コデイン(麻薬)を使うことになり、
更に鎮痛効果を目的にルボックスという抗うつ剤も処方されました。
結局、2ヶ月入院しました。

同年、秋頃にまた体調悪化。
外来でトリプシン900という数字を記録し、11月に再入院。
当初は3週間ぐらいの予定が、食事を再開したら悪化。
フェンタニルのPCAポンプにフサンも離せず、年末年始の一時退院を挟んで、3ヶ月近く入院していました。
その間、コデインの使いすぎで膵炎発作がひどくなって腹水を溜めたり、
アミラーゼは200ぐらいなのにCRPがなかなか下がらなかったり、
モルヒネの使いすぎで中毒症状を起こしたり、
かと思うと食事をアップしたらアミラーゼが650(トリプシン3000over)まで跳ね上がったり
・・・と色んなことがありました。
薬剤性(ルボックスが原因)でプロラクチンが異常高値になったために、
麻薬の中毒症状でひどい嘔吐発作が出た時にも
吐き気止めを使うことができずに、とても苦しい思いをしました。

この入院中には産婦人科や脳外科も絡んだ
色んな紆余曲折がありました。
でも、そのおかげでPSTIの遺伝子異常があるのでは?
という疑いがうまれたので、何が幸いするかわかりません。
現状は、CTで膵尾部の萎縮が見られ、膵管も拡張してきているそうです。
これ以上悪化させないよう、ここが踏ん張りどきと思ってます。
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