まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

小さな映画館

2015-07-25 22:16:15 | 怪談

仕事が早く終わり、いつもの地下鉄の駅へと下って行く。

やたら出口の多い地下鉄の乗換駅である。

仕事でイヤなことがあった帰りの足取りはいつも重い。

長いコンコースをぼんやり歩いていると、ふと、見慣れない出口を見つける。

『A9番出口』

こんな出口あったかな?

毎日通っているはずなのに、何故か見覚えがなかった。

吸い寄せられるように、その出口へと向かう。

人通りの多いコンコースから、出口までは細い通路が続く。湿っぽいコンクリートに、薄汚れた通路はやけに暗く人はいない。

しばらく歩くと階段があり、そこを登り、出口から外を眺める。そこは見慣れない夜の街だった。

再開発が進み、タワーマンションが立ち並ぶ駅に似つかわしくなく、その出口から見た景色は低層の古臭い木造の建物が並ぶ。人通りはほとんどなく、錆びた街灯がうっすらと狭い通りを照らしている。

こんな場所があったのか…

歩きはじめると、何十年も前からそのままの状態ではないかと思われる薬局などの商店の看板が並んでいる。

まだ、それほど遅い時間ではないのに、どこもシャッターが閉まっていた。

ふと、ネオンの赤い文字が輝いている。

『ギンレイ名画座劇場』

映画館のようだった。

ポスターに描かれた上映中の作品はもう20年以上前の映画だ。

たまには名画もいいな。

そう思い、チケットを買って、中へ入る。

少しかび臭い館内は、今時珍しいくらいの年代物の映画館だ。

入り口から、すぐに階段になっていて、ゆっくりと下って行く。

劇場の重いドアを開けて、開いている一番端の席に腰を下ろす。

意外に多くの客がスクリーンを見つめていた。

 

何となく夢心地のように映画に引き込まれていく。

すっかり現実社会のことは忘れて…

 

もう、どのくらい映画館にいただろう。

映画はイヤなことを忘れさせてくれる。

ずいぶんと長い間、映画を観ているようなきがするし、さっき来たばかりのような気もする。

もしかして、このままずっと映画を観ていれば、イヤな現実社会には戻らなくて済むのではないだろうか…

ふと、そんな事が頭をよぎる。

 

一人、客が入ってきた。その男は建設現場にいる作業員のような作業服を着ている。

男はすぐに座席には座らずに、劇場の端を前の方まで歩いて行き、一番端に座っていた僕の横で立ち止まった。

男はしばらくその場に立っている。暗くて空いている席が分からないのだろうか。

となりの席が空いていたので、そこへ案内するために立ち上がって小声で話しかける。

「どうぞ、となりに座って下さい」

 

古い映画館が解体されることになった。

もう何年も前に閉鎖され、建物は荒れ放題となっている。

『ギンレイ名画座劇場』

壊れたネオン管の文字が何とか読める。

スクリーンがひとつだけの小さな名画座である。

開発が進む界隈の中に、取り残されたような古い街並みの一角にその映画館はある。

かつて地下鉄の出口からすぐの場所にあったが、ずいぶん前にその『A9番出口』は閉鎖されていた。かつて映画館の経営者が、ここで心臓麻痺を起して亡くなり、そのあと天井が崩れるなどの事故が相次いだためだった。

 

解体作業の前の点検のため、作業服を来た現場監督が映画館の中へ入っていく。

20年以上前の映画の色褪せたポスターがそのままになっていた。

かなり古い映画も上映されていたのだろう。

受付の先は階段になっており、劇場の入り口は地下である。

階段を降りて行き、重い扉を開けて劇場へ足を踏み入れた。

あれ?

中へ入ると、映画が上映されている。

そんなはずはない…

しかも客席には人影もある。

どういうことだろう?

恐る恐る劇場の端の通路を進んでいく。

スクリーンの明かりが照らし出した客席を見て、彼は息をするのも忘れるほど驚いた。

座席の観客は全て白骨だったからだ。

すぐに立ち去ろうとしたが、体が動かない。

目の前の白骨が立ち上がり、声をかけて来た。

「どうぞ、となりに座って下さい」


かごめ

2014-08-03 00:47:54 | 怪談

かごめかごめ

籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った

うしろの正面だあれ?

 

「絶対に後ろを見てはいけません」

 

小さい頃、加世は姉からよくそう言われた。目をふさいでしゃがみ、歌が終わった時の自分の真後ろの子が誰か当てる。

当てられたら鬼は交代

でも、後ろをこっそり見たら、大変なことがおこる。姉にはそう言われていた。

加世はこの遊びが怖くて仕方がなかった。 歌詞の意味がよくわからない。でも、なんだか気味が悪い。

 

うしろの正面だあれ?

その日、歌が終わるとうしろで声がした。

「加世ちゃん」

誰かに呼ばれたと思って目を開けて振り返った。うしろに姉がいた。

姉は加世を睨むようにして話す。

「うしろを見たわね」

加世は泣きそうになって答えた。

「だって誰かが私を呼んだ」

「誰も呼ばないよ」

「・・・」

「知らないよ、大変なことになるわよ」

 

それから何年も経った。加世が高校生になったある日の夕方、一人部屋の机の前でうとうとしてしまった。

加世は夢を見ていた。夢の中では、白い着物を着た女の人が竹の籠に閉じ込められ、板の上に乗せられて数人の男たちが板を運んでいた。

女は手足を縛られ、口の周りも縛られている。

時代は江戸時代だろうか。みんな着物を着て、男たちは髷を結っている。

薄暗い寒村を一行は進んでいく。

はっとして目を醒ます。もう夜になっていて、灯りの点いてない部屋は真っ暗だった。

 

「加世ちゃん」

 

うしろから誰かの声がした。あの時と同じだ。子供のときのかごめのあの声…

加世はゆっくりとうしろを振り返った。

 

「今度はあなたが鬼よ」

 

一瞬にして自分の部屋にいたはずの加世は竹の籠の中に閉じ込められていた。

手足を縛られ、夢で見た寒村の中を運ばれているのだった。

加世は何故か白い着物を着ている。あの女の人が来ていた着物だった。声を出したかったが、口も堅く縛られている。

 

え!? どうして?

 

何故か夢の中の女と入れ替わっている。きっと夢だ。そう思おうとした。でも、縛られた手足から痛みが伝わってくる。

夢ではない。

 

かごめは籠女のこと

籠に入れられた罪人は人に見られないように夜明け前に処刑場に運ばれる。

鶴と亀がすべる… 

それはもっとも最も不吉なことを表す。

籠の中から鳥が出やるとき、

それは処刑するときのこと。

 

そう、かごめは処刑の歌

 

処刑場で加世は籠から出された。

目の前には刀を構えた男がいる。

抵抗したが、数人の男たちに無理やり連れていかれた。

私は違う!そう叫びたかったが声は出なかった。

 

処刑場の柵の外から女が加世を見ていた。加世の前に籠の中にいた女だ。

うす笑いを浮かべてつぶやく。

 

「うしろの正面だあれ?」

 

処刑場で加世は男たちに押さえつけられ、地面に座らされた。

刀が振り下ろされる。

首が胴体を離れて地面に転がり落ちる。首を刎ねられた加世が薄れいく意識の中で最後に見たうしろの正面、それは首のない自分の胴体だった。


だるまさんがころんだ

2014-07-27 14:23:43 | 怪談

小学生低学年の由香ちゃんは放課後、公園で友達4,5人と『だるまさんがころんだ』をして遊んでいた。

そこは大きな木のある公園。その木には横に太い枝が張り出していた。

じゃんけんで負けた由香ちゃんが鬼になり、大きな木にもたれかかって目をつむる。

「だるまさんがころんだ」

そう言っている間にみんなは由香ちゃんに近づき、言い終わると動きを止める。

由香ちゃんは言い終わってすぐに目を開けて振り返る。

 由香ちゃんは言う速さを上手に工夫するので、みんなはなかなか動きを止めることが出来ない。

一人、二人、動きを止められないで、由香ちゃんに見つかり、少し離れた場所に移動していった。

やがて、男の子一人だけになる。

「だるまさんがころんだ」

由香ちゃんが振り返ると、最後の男の子も動きを止められず、由香ちゃんは名前を呼ぶ。

全員の動くのを見つけたので由香ちゃんの勝ち。

次は最初に見つかった子が鬼になる。

「鬼は舞ちゃんだね」

由香ちゃんが言うとみんなは意外なことを言う。

「まだ、しんちゃんがいるよ」

「え? しんちゃん?」

でも、誰もいない。

「誰もいないよ、わたしの勝ちだよ」由香ちゃんは言う。

「いるよ」みんなが言う。

由香ちゃんは少し混乱して尋ねる

「しんちゃんて?」

「秋元伸二くんだよ」

「もう忘れたの?」

秋元伸二、その子は1か月ほど前に交通事故で死んだはずだった。ひどい事故だったと聞いている。

みんな、私をからかっているのかしら?

「誰もいないよ」由香ちゃんは繰り返して言った。

「しんちゃんがいるよ、早く目を閉じて続けなよ」

男の子の一人がそういうと、みんなが「そうだよ」と口を揃える。

あまりみんなが強く言うので、由香ちゃんは仕方なくゲームを続けることにした。

「だるまさんがころんだ」

目を開けて振り返る。

やっぱり誰もいない。

「しんちゃん、ちゃんと止まったね」

誰かがそう言った。

みんなが意地悪をしている。由香ちゃんはそう思って泣きそうになった。

死んだしんちゃんがいるはずがない。

それでもゲームを続けるしかなかった。

「だるまさんがころんだ」

何度か続けると、誰かの手が由香ちゃんの肩をぽんと叩いた。

「タッチ」

その声は死んだはずのしんちゃんだった。

由香ちゃんは目を開けてゆっくりと振り返る。

しんちゃんは大きな枝の下をぶら下がるようにさかさまに枝を歩いていた。

だから、みんなには見えて由香ちゃんだけには見えなかったのだ。

由香ちゃんのすぐ目の前にしんちゃんの逆さになった顔があった。

「由香ちゃんの負けだよ、また由香ちゃんが鬼だよ」

しんちゃんはそう言って目を大きく開き、にやりと笑った。

青白い顔をして、交通事故で頭が半分無くなっていた。


雨宿り

2013-08-11 14:08:36 | 怪談

雷が近くで鳴っていた。
家から少し歩いたところにある図書館からの帰り道、小高い丘の公園に差し掛かったところで真っ黒な雲が空を覆った。
足を速めたが、人気のない公園をしばらく進んだところで大粒の雨が勢いよく落ちて来た。
自宅までは走れば数分だが、借りてきた本を濡らすわけにはいかなかった。
とっさに木の下に身を寄せるが、しばらくすると雨は葉の間からも落ちて来る。
分厚い雲で太陽の光が遮られた公園を雷の強い光が風景を明るく照らし出していた。
公園の近くにはコンビニなどの避難できそうな店はない。
ふと、公園の先に空き家を見つけた。
雨が止むまで、空き家の軒下で雨宿りすることにした。
僕は全速で走り出した。
家の門は壊れており、敷地には自由に入ることができた。
この空き家は一年ほど前にご主人が自殺し、奥さんは小さな一人息子を連れて実家へ帰ったと聞いている。家は売りに出されているそうだが、事故物件のため、なかなか買い手がつかないとの事だった。
僕は玄関の軒下へと駆け込んだ。
庭は雑草が生い茂り、ガレージのシャッターには錆びが浮いていた。
雨はすぐに止むだろう。
しばらく、その場で雨宿りをすることにした。
しかし、雨は増々強くなっていく。最近の夕立は凄まじい。大量の雨粒が屋根に当たり、豪快な音をたてていた。視界も、雨に遮られ数軒先の家がやっと見える程度だ。まだそれほど遅い時間ではないのに、分厚い雲のため、夕暮れのように暗かった。
風が出てきたのか、雨は軒下にも降り込んできていた。
その場にいても、下半身は雨にさらされるようになってきた。
もしかして家の中に入れないかと思い、ノブを回すと何と鍵は掛かっていない。
空き家とはいえ他人の家なので黙って入ることはよくないが、しばらく玄関を借りることにした。
中は薄暗く、ドアを閉めると雨音もずいぶん遠くで聞こえる感じだ。
「どなたですか?」
奥から女性の声がした。
あ、まずい、人がいた。
「空き家だと思ったものですから雨宿りをさせてもらっていました」
奥に向かって声をかける。
「すぐに出て行きます、どうもすいませんでした」
ノブに手を掛けると、再び声がした。
「どうぞお入り下さい」
「いえ、失礼します」
ドアを開けようとすると、後ろからTシャツを掴まれた。
「おじちゃん、遊ぼう」
見ると、5歳くらいの男の子がにっこり笑っていた。
いつの間にここまで来たのだろう。
奥から女性も顔を出す。
「どうぞお上がり下さい」
この家の奥さんだろう、子供と戻って来ていたのだろう。
奥さんの招くままに上り込み、リビングへ入る。
そこには以前のままだと思われる家具が置かれてあったが、細々した日用雑貨は見当たらなかった。
男の子がトランプを持ってきてくれた。
人懐っこい男の子の哀願するような顔に負けて、ソファに腰かけて3人でババ抜きを始めた。

 

しばらくするとドアが開き、人が入って来た。
男の子が立ち上がってドアを開け、玄関の方を見て満面の笑顔を作る。
「パパお帰りなさい」
「ただいま」
男の声がした。
男はゆっくりリビングへと歩いてくる。
この家のご主人?
どういうことだろう。
ご主人は自殺したはずである。それとも、別の家族が最近越して来たのだろうか。
男はリビングへ入って来た。
「このおじちゃんに遊んでもらってたの」男の子は笑顔のまま父親に話しかけた。
「そう、それはよかったね」男も笑顔でそう答えた。
「あなた、おかえりなさい」
「ああ」
男は奥さんに笑顔を向け、それからゆっくりと僕に顔を向けた。
「ゆっくりしていって下さい」
「い、いえ、雨宿りさせてもらっているだけです。すぐに失礼しますから」
男の子が父親に向かって言う。「パパもトランプやろうよ」
「あのう」
僕が男に話しかけると、男は笑顔のまま僕の方を見る。
「何でしょうか」
「最近、こちらへ越してこられたのですか」
「いいえ、ずっと前から住んでいますよ」
訳が判らなくなっていた。
僕の表情を見たのか、男から笑顔が消えていた。
男の子も奥さんも僕の方を不思議そうに見ている。
「あの、たしか一年ほど前に…」
思い切って僕は言った。
すると、男は少し苦笑いを浮かべてから答える。
「そうですよ、一年前に僕は自殺しました」
僕は少し顔を強張らせながら、次の言葉を言い出せずにいた。
立ち上がって、3人から少し距離を置いた。
「おっしゃっている意味がよくわかりません、自殺した方がどうしてここに…」
3人はじっとこちらを見ている。
「ま、まさか」
僕はそうつぶやくと、後ずさりしながら玄関へと近づいて行った。
男は不気味に笑いながら、平然と話す。
「そうですよ、僕は死んだ人間ですよ」
「う、うわ!」
僕は悲鳴を上げ、転がるようにリビングを出て廊下を走り、玄関から外へと飛び出していた。
雨はまだ少し降っていたが、構わずに走って門を出る。

 

公園の横の道路に、パトカーと救急車が止まっていた。
そういえば、さっきサイレンの音がしていた。
何があったのだろう。
公園の中には消防署の職員数人が男を担架に乗せているところだった。
その周りには何人かの警察官もいる。
少し離れたところには野次馬が数人、様子を伺っていた。

 

担架に乗せられている人物を見て、僕は息を飲む。
その男は僕と同じTシャツを着て同じジーンズを履いていた。
少し取り乱しながら、僕は近くに走り寄る。警官に遮断されることもなく、担架まで近づくことが出来た。
担架に乗せられた男は、半身にやけどを負っていた。
その男の顔を見て、僕は驚愕した。
男は僕自身だったからだ。
消防署員により、白い布が担架の僕に被せられ、救急車へと運び入れられた。
だが、消防署員たちも、警官たちも横に立っている僕には誰一人気付かないようだった。
ふと見ると、いつの間にか空き家の3人の家族が横に立っていた。
「あなたは雷に打たれて死んだのですよ」
ご主人がそういいながら、横の木をあごで示す。
木の幹の上から下にかけて黒い焦げ跡が残っていた。
木に落ちた雷が、雨を避けて立っていた僕にも直撃したのだ。
一瞬のことだったので、自分が死んだことにも気付かなかった。
「私もこの子も、もう死んでいるんですよ」
奥さんも僕に話しかけてきた。
「実家へこの子を連れて帰ったのですけど、心の病に罹ってしまって、この子と無理心中してしまったんです。1か月ほど前のことです」
警官たちは忙しく現場検証を続けていたが、誰も4人には気が付かない。いや、見えていないのだ。
僕も幽霊だったのか…
木から少し離れたところには、焦げた本が雨に濡れていた。
それは僕が先ほど図書館から借りてきた本だった。


心臓手術

2012-08-06 18:53:08 | 怪談

同僚が、心臓手術のため、入院した。
オフィスでは、僕の向かいにデスクがあり、僕より二つ上の先輩社員である。母親と二人暮しの独身で、腕時計のコレクションを趣味に持つ。
普通、心臓は四つの部屋に分かれているが、彼は生れつき三つの部屋しかない。それでも、いままでは何とか無事に過ごしてきたけど、年齢と共に上手く機能しなくなってきており、手術をしないと数年の命だと言われていた。
手術は、一度体内から心臓を取り出し、部屋を四つにするために、人工の壁を作る。そのあと、再び心臓を体内に戻すという手順だそうだ。
心臓を取り出している間は人工心臓によって体内に血液を送る。かなり大変な手術である。
入院は術前の検査などもあり、一ヶ月に及ぶということだった。


先輩が入院して、しばらくしたある日、残業がなかなか片付かず、遅くまで、仕事をしていた。
オフィスには僕ともう一人、後輩社員が仕事をしている。
二人のいるブロックだけに蛍光灯が点り、周りは薄暗い。


トイレに行くため、席を立ち、用をすませてオフィスに戻ると、いつの間に来たのか、入院しているはずの先輩が後輩と話している。
「あれ? もう退院したんですか?」
近寄って彼に話しかけると、彼はニッコリ笑い、「あとは自宅療養だよ」と、答えてくれた。
オフィスは病院と自宅の途中にあるので、立ち寄ったのだろう。
「腕時計もらったんですよ」
後輩は嬉しそうに手にした時計を見せてくれた。
「ヒロくんにもあげるよ、入院して迷惑かけたから」
先輩も笑って見せたが、さすがに顔色はあまりよくない。
「いいんですよ、そんなこと」
僕も笑って答えた。


そこまで話したとき、オフィスの電話が鳴った。
「僕が出ます」そう言って、素早く自分のデスクに戻り、二人を背後に、受話器を取る。


電話は、先輩のお母さんからだった。
「大森の母です。もしかしたらみなさんお帰りかと思ったのですが・・・」
か細い小さな声でゆっくりとした話し方だった。
「息子さんならここにいらっしゃいますよ」
そう言ったが返事はない。
しばらくの沈黙あと、しぼり出すように話し始めた。
「あの・・・」
気のせいだろうか、かすかに泣いているようにも思える。
「息子は、手術が失敗して、先程、息を引きとりました」
一瞬、言葉の意味が理解できない。
「何をおっしゃってるんですか?息子さん、ここにいらっしゃいますよ」
お母さんは明らかに泣き始めた。
「冗談はやめて下さい・・・」
そう言ってから背筋に寒いものを感じ、ゆっくりと振り返る。


さっきまで二人がいた場所には誰もいない。
受話器を静かに置き、二人を目で探すが何処にもいない。


しばらくして、薄暗いオフィスの一角にあるパーテーションの陰から先輩らしき人影が現れた。
視線をそちらに移すが、後輩の姿は見えない。
僕は声をかけた。
「松田くんは?」
ちょうど肩から上は光が当たらないため、表情はよくわからない。
「ソファーで寝てるよ」
先輩はそう答えた。彼が立っている横のパーテーションの中には応接セットが置かれてある。
かすかに胸騒ぎがして、パーテーションのところまで歩いて行き、中を覗きこんだ。
その横で、先輩は無表情に立っている。
ソファーでは、後輩が横向きに倒れている。
先輩がゆっくり近づいて来て、先程とは別人のような低い声で話し始める。
「病院に心臓を置き忘れてきたから、松田くんのをもらったんだよ」
手術の途中、心臓を取り出したまま、息絶えてしまったのだろうか。
暗がりの中で、ソファーに横たわった後輩をよく見てみると、心臓がえぐり取られていた。
僕は悲鳴を抑えこむため、手で口を押さえた。
「時計と交換したんだよ」
心臓のあった場所に腕時計が収められていた。


「君の心臓も欲しいな」


横顔を照らす蛍光灯の光がかすかに笑みを浮かべる青白い顔を浮かび上がらせている。
「この時計あげるからさ」
ゆっくりと近づく彼の左手には、腕時計が握られていた。
僕の額は汗で濡れ、口はからからに乾いていた。


逃げないと・・・


そう、思ったが、金縛りにあったように身体が動かない。


先輩は、すぐ近くで立ち止まり、不気味な笑みを浮かべながら、視線を顔から胸のあたりに移してきた。


「もらうよ」


やがて、彼の赤く染まった右手がゆっくりと、僕にのびてきた・・・