戦の多くは始まる前に勝敗が決している。
予定戦場に敵より多くの兵力を如何に移動させるか?
勝負はその時点でたいがいはついている。
少数の兵力で多数の敵を破ったという例は極めて稀である。日本史では義経の一ノ谷の戦い、そして信長の桶狭間の戦いの2例ほどである。
極めて珍しいことなので、逆に歴史上有名になった。
どちらの戦いも少数の側が奇襲作戦を行っている。騎馬による高速移動性を利用し、敵の思いがけない所から攻撃を行い、勝利している。
だが、多くは戦う前にすでに勝敗は決している。敵と味方の兵力が互角の場合、例えば武田と上杉が相まみえた川中島の戦いは事実上勝負がつかないまま終わっている。
三谷幸喜の小説『清須会議』を読んだ。
日本史上初めて会議により後継ぎを決めたと言われる清須会議。
よく、天下分け目の戦いは秀吉が明智光秀を破った山崎の合戦だと言われるが、本当の天下分け目の戦いは清須会議である。この会議で秀吉は天下取りの距離をぐっと縮めるのである。
清須会議は、ずっと清洲会議と書くものだと思っていたが、清洲と表記されたのはずっと後のことで、この頃の表記は清須が正しいようである。
これは会議という戦である。
そして、弓刀の戦と同様に戦う前に勝敗は決していた。
秀吉の巧妙な根回しにより、会議の前に柴田勝家はすでに敗北していたのである。
生死をかけた戦いは今の日本ではないけれど、真剣勝負はビジネスの世界にも存在する。
そして現在の戦も昔と同じように戦う前に勝敗が決まっていることが多いのである。