『スケープゴーティング』の著者釘原直樹氏がラジオで著作について話していた。
AとBの二人がコイントスをしたとする。
両者が同じ面を出したら報酬がもらえ、不一致の場合は罰金を支払うというような状況があったとする。
Aが最初にコイントスをした結果が表。
次にBが裏を出したとすると、何と86パーセントの人がBに責任があると回答する。
Bが責を負うべきだとした割合は92パーセントにもなった。実際には統計学的に原因となる割合はAもBも同じであるにも関わらず調査の結果上記のようになったのである。つまり、2番目にコイントスをした人が外した場合、2番目にコイントスをした人が悪いと考えてしまう傾向がある。
リレーで最も速い選手をアンカーにするのもこのような現象と関係する。アンカーは結果に責任があると考えられやすい。考えてみれば、リレーはメンバーのタイムの合計で争われるため、結果の責任はメンバー全員にあるはずである。
このようなことから事件や事故が発生した場合、マスメディアで最初に非難攻撃のターゲットになった者よりも時間経過後にターゲットとして浮かび上がった者に対しての方が責任追及の程度は激しいものになると考えられる。
後に出てきた人の方が実際にはそうでなくても一連の流れの結果を変えることができるだろうと思われることを可変性知覚と呼ぶ。
いじめなども、最初にターゲットにされた者をかばい、後にターゲットにされた者の方がよりバイアスがかかる傾向がある。
非難攻撃のターゲットにされた者は最近の者の方がより記憶に残りスケープゴートにされやすいのである。
ヘイトスピーチ、それは本当は自分にコンプレックスをもっている人がヘイトスピーチを行うことによって優越感に変えたいという心理がある。それは錯覚であるにも関わらずである。ヘイトスピーチを無くすためには他のスケープゴートを見つけることが手っ取り早いがそれは基本的な問題解決にはならない。
人の心理にコンプレックスがある限りヘイトスピーチは無くならないのかもしれないが、錯覚であると自覚することによって減らすことは可能かもしれない。
スケープゴートに対して攻撃をする人は複数である。数が多ければ多いほど罪悪感から解放されてしまう。それだけ責任感が薄れてしまう。
それに関連して、面白い実験結果を紹介していた。
綱引きで個人の引っ張る力を測定すると8人ほどで1人の時の半分の力になってしまうそうである。