まあどうにかなるさ

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手塚治虫没後30年

2019-02-09 21:26:24 | コラム

2019年2月9日は手塚治虫没後30年に当たる。

手塚治虫が亡くなってすぐに、こんな内容のことが朝日新聞のコラムに書かれてあった。
世界ではマンガは低俗なものとされているが、日本では文化として定着している。なぜか? それは、日本以外の国に手塚治虫がいなかったからである…と。
今日の読売新聞では、手塚治虫登場以前の漫画とそれ以降では全く違うものとして、漫画ではなく手塚治虫以降の漫画をマンガであるとしている。まさに「マンガの神様」である。
手塚治虫以前の漫画、例えば『のらくろ』の画法はページを横に4等分ほどしたコマに、背景を書いて、それぞれのコマには同じような画角の背景に登場人物が演劇のように描かれていた。手塚治虫は初めてコマを不規則に描写する演出技法を用い、人物もクローズアップなどを駆使した。実に多彩な表現で効果的な演出を展開しているのである。

子供の頃から手塚治虫は身近な存在だった。母は手塚治虫のマンガは読んでいても何も言わなかったし、中学校2年生のとき、学校でマンガを読むことは禁止されていたが手塚治虫だけは例外だった。大人も手塚治虫のマンガのレベルの高さは認めざるを得なかったのだと思う。2011年に東京国立博物館で『手塚治虫のブッダ展』が開催され、2014年には手塚治虫のマンガがセンター試験に登場した。手塚治虫で育った世代はすっかり文化として定着させたのである。

マンガは95年に販売額5864億円のピークを迎え、後は下り坂だ。2017年には電子マンガが雑誌と単行本の売り上げを上回った。それでも、コンテンツとしてのマンガは今でも人気がある。「マンガの神様」がいなければ文化として定着していたかどうかはわからなかったと思う。