あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

アルベール・カミュ「正義の人々」のお芝居を見てきたです

2022-07-05 | from:sachiaki
コロナ禍になってからカミュの残した「ペスト」が再読されるようになり
割と最近の人々にもその名に触れた人は多いのではないでしょうか?
私はまだ「ペスト」を読み終えていないので
述べられることはほぼないものの
本日見てきたお芝居の内容から察するに
おそらくフランスにいた橋本治さん、もしくは小田嶋隆さんのような人
だったのではないかな?なんてことを思ったsachiakiです。

カミュは1913年生まれということで第一次世界大戦の最中生まれ。
フランス領のアルジェリア生まれとのことなので
きっと最貧民と支配する側というものを
嫌というほど見てこられた人でもあるのでしょう。

まぁこの辺の話は私よりもずっとずっと詳しい人たちが書を出されているので
気になる人は本を求めて読んでくださいってことで。

今回こんな前書きを入れないと「正義の人々」の感想が
モヤ〜っとしたものになるかな?と思ったので
面倒な前書きにて失礼いたしました。

今回のお芝居も私が勝手にファンである
あべあゆみさんが出演されるということで見てきたものですが
劇団「オフィス再生」さんのものだというので
それもまた期待を爆上げしていったんですよね。
こちらの劇団さんの演目はいつも内容が胃もたれするほど重く
そして演出的にアンダーグラウンドなものが多く(緊縛だったり)
見た後半日は余韻に浸れるので大好きな劇団さんなのです。

そして今回の演目「正義の人々」は帝政ロシア時代の
皇帝暗殺事件を背景に、革命を起こす組織の実行組員の物語となっていました。
「子供たちが飢えて死んでいくことのない世界に」
「誰もが平和に安心して暮らせるように」
「不正や汚職がはびこる世を変えなくてはならない」
このへんの言葉は今でも政治的な背景を持つ語として
よく使われる言葉たちだと思いますが
改めて革命軍が言っていることを考えてみると
「万人が死なずに済むために、今いる皇帝を、たった一人を殺す」
なんてことはあまりにもずさんでバカバカしいものだと感じてしまいます。
それは今のロシアがウクライナやその他の国を攻めていることや
国民に重圧がかかっていることに対して
「プーチンは狂っている!あいつを殺せ!!」
って叫んだところで、なんの意味も持たないのと似ています。
なぜなら、国家なんていうでっっっかい組織を運営するのに
たかが皇族、たかが一人の独裁者とて、
それを支えるものたちがいなかったら何の意味ももたないからです。
皇族やら独裁者という分かり易い旗を掲げて
その下で甘い汁を吸っている人たち、
また吸いたいと考えている人たちがいる限り
結局首をすげかえるだけで「革命」なんてものがもたらすのは
ただの人殺しをする大義名分でしかありません。

たしかにナチス、ヒットラーは独裁者で冷酷な人間ではあったろうけれど、
むしろその下にいた凡百の部下たちが考えることを放棄してしまった
そういうシステムを構築してしまったことの方が恐ろしく
またそのようなシステムの利便性をみつける者こそ恐ろしいと思います。
群れのボスに逆らうと恐ろしいという話はよくあるし、
実際そうなのだと思いますが
その群れのボスが自ら制裁を加える労力なんてものはほとんど最初だけで
そのボスの顔色を見るためだけに酷いことを厭わなくなっていく
神経が焼ききれていってしまうストレス環境が一番あかんのだと思います。
だからこそ「君主論」なんてものが生まれてきたりしたのでしょうけどね。

なんにしてもどんなに綺麗な言葉で飾っても
人殺しは人殺しだし、革命という言葉の後ろにいる
万人の人生を救うだの言ってる暇があるなら
武器を作るよりもよりよい農具を作ったり、
もっと良い経済経路を見つけた方が何億倍もマシだと思いました。
そんなことを言えるのも私が圧政を受けていなくて
なんだかんだでのんびりと暮らせていること
一刻を争うような「激変」を望まずに済んでいるからってこともあるのでしょうが……。

今も行われている戦争や内戦などを振り返っても
蹂躙された祖国がどんなことになるのか?
という今までの暴虐の歴史が語り継がれているので
それで必死の抵抗をしているのも理解できるし
「国」ってものを大事にしないと
富裕層以外は生き残るのが難しいってことも理解しているので
ある程度の正当性はうなづいてしまったりもします。

とはいえ…とはいえ。
本当に武器を持つ人の裁たなさについては
昨日今日の銃乱射事件(デンマークの首都コペンハーゲンと、アメリカのシカゴで起きた)や
日本の各種路線やビルに立てこもっての火災事件などを見るにつけ
ど〜してそういう方を選んじゃうかな……という気持ちにもなったりします。
目障りなものを消せばどうにかなるってものではないことを
本人も理解しているのかもしれないけどね……。
そういったことを考えられる力も根こそぎ奪われるほど
シンドイ思いをさせられているのかもしれないし。

こういうものを考えるのは難しいですね。
文字通りの「力=軍事力」という側面も一つの正義だし
そういったものを行使させない力も一つの正義でしょうから。

ものごとには両義性( 対立する二つの解釈が、その事柄についてともに成り立つこと。)
を持っているのは様々な場面で明白ですしね。
例えば「人殺しはよくないが、その人殺しのおかげで損切りができる」
というような時代が長く続いていた頃には
姥捨山だったり、子供の間引きであったり、人柱という文化が成り立ち
それを切って捨てるにはあまりにも社会が脆弱であったってことでもありますからなぁ。

そんなことをツラツラと考えておりました。

さて、眠くて仕方ないけれど
ハリネズミ様のクッションを作らないとなのでこのへんにて。
そんじゃまた、モイモイ。
コメント
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