一見正しいと思われるものが晩年から見ると野蛮なことって多分にあり、
だからこそ「正しさ」というものに潜む危うさについて
常に考え続けていかないといけないわけだけど
「優生思想」ってやつの根深さには頭を抱えてしまうなぁ
なんてことを思っていたsachiakiです。
なんでそんなことを思ったかといえば、
先日流れてきたツイートで学習塾で講師をされている方が
炎上覚悟でされた内容が「遺伝」=「血統」的なことを
支えるような話だったのでウ〜ンってなってしまっていたのです。
その内容というのは、学習塾に来ている生徒さんを教えていると
学習の壁のようなものがあって、
その知識に関して、どうも子供は親の1.2倍にしかならない
というような旨の話をされていたんですね。
って書いておいてハタと気づいたけれど…
親の知識をどこで算出したんだろうか。
子供の知識については学習塾の人だからそれはまだ分かるけれど
親にもテストをさせたのか?
だとすると、この話の前提が間違っていることになるな。
これだから数字マジックの話は騙されやすくて厄介だよなぁ。
まぁツイート主さんの他のものから読んでいても
要は知能を見ているというよりも
親と面談をしたりしている時に子供の成績が伸びない時というのは
親の知性が足りないと感じていて
1.2倍という論を出してきたって話みたいやな。
さて、こういった遺伝の話を持ち出すと
当然環境の話も持ち出さなくてはならないわけで
遺伝VS環境が幕を開けるわけなんですけれど
私は当たり前に「環境」の方が圧倒的に
その人の人格や能力に大きな原因を持つだろうって思っているものの
やはり蓄積されている「遺伝」というメカニズムも無視できないのよなぁ
って思ったりするし、実際「才能(遺伝子)」と「努力(環境)」というものは
実は半々の要因であるという研究結果もあるのですよね。
こういったことの研究に「双子」はよく対象になるけれど
たしかに「同じ遺伝子」を持っているものだから
「環境」の変化で違いが出るなら
これほど成果の分かり易いものもないだろうなぁ。
倫理的にどうかってのはある気もするけれど。
「遺伝」というものを比較的強く感じてしまうのは
おそらく社会がそういった背景を持ってきたからなんだろうけれど
(→優生思想の歴史)
自分の中でもやっぱり「才能には敵わない」って思ってしまうところがあるし
それが努力で覆せるものではないと
謎の敗北感を持ってしまうんですよね。
実際には「才能」であることよりも「良いものに囲まれて育った」
という方(むしろその方がギフトだし、SSR環境だろうって思うけれど)で
考えるのなら、遅れを取り戻すようインプットを膨大に積み
毎日の反復練習をすれば良いだけということでもあるのよね。
ただそれが面倒臭いから「才能」って言葉でお茶を濁しているのかもしれない。
それが諦めるのに一番楽な言い訳だからね。
と、他にもツラツラと思っていたことがあった気がするんだけれど、
最後の話に絡んでいるやつの参考記事がどこにあるか忘れてしまって
う〜んってなってしまっているんだけど、
要は「才能」ってやつをタカにくくっていると「努力」するやつに負け、
「努力」を至上にしていると「才能」に負ける、みたいな話でもあり、
自分がなにを壁に思っているかどうか知らんけれど、
意外と勝ち負けの要因は半々らしいよっていう締めだったんですよね。
ドイツ人はもっと「才能」を言い訳にしていいし、
イギリス人は「努力」すればどうにかなることを考えろ
みたいなやつだったような…おぼろげ。
まぁそんなことを昨日お目当の画材屋に行ったら
日曜祝日が定休日とあって凹み、
奮起してユザワヤに行ったら画材が一掃されていて、
その他周辺の画材屋さんがなくなっていることに気づいて
心が折れてた時にボンヤリと考えていたことでした。
人が珍しくアナログで絵を描こうとしたらこれだよ……ンモゥ。
やる気ってやつは壁が出てきた時に失われるので
奮い起こしたやる気がそれると
なーんもしたくないってなるんですよね。
はぁヤレヤレ。
とりあえずわけあって手離れてしまったiPadをもう一度手にしたいし
いろいろと頑張りましょうってことで。
そんじゃまた。モイモイ。
だからこそ「正しさ」というものに潜む危うさについて
常に考え続けていかないといけないわけだけど
「優生思想」ってやつの根深さには頭を抱えてしまうなぁ
なんてことを思っていたsachiakiです。
なんでそんなことを思ったかといえば、
先日流れてきたツイートで学習塾で講師をされている方が
炎上覚悟でされた内容が「遺伝」=「血統」的なことを
支えるような話だったのでウ〜ンってなってしまっていたのです。
その内容というのは、学習塾に来ている生徒さんを教えていると
学習の壁のようなものがあって、
その知識に関して、どうも子供は親の1.2倍にしかならない
というような旨の話をされていたんですね。
って書いておいてハタと気づいたけれど…
親の知識をどこで算出したんだろうか。
子供の知識については学習塾の人だからそれはまだ分かるけれど
親にもテストをさせたのか?
だとすると、この話の前提が間違っていることになるな。
これだから数字マジックの話は騙されやすくて厄介だよなぁ。
まぁツイート主さんの他のものから読んでいても
要は知能を見ているというよりも
親と面談をしたりしている時に子供の成績が伸びない時というのは
親の知性が足りないと感じていて
1.2倍という論を出してきたって話みたいやな。
さて、こういった遺伝の話を持ち出すと
当然環境の話も持ち出さなくてはならないわけで
遺伝VS環境が幕を開けるわけなんですけれど
私は当たり前に「環境」の方が圧倒的に
その人の人格や能力に大きな原因を持つだろうって思っているものの
やはり蓄積されている「遺伝」というメカニズムも無視できないのよなぁ
って思ったりするし、実際「才能(遺伝子)」と「努力(環境)」というものは
実は半々の要因であるという研究結果もあるのですよね。
こういったことの研究に「双子」はよく対象になるけれど
たしかに「同じ遺伝子」を持っているものだから
「環境」の変化で違いが出るなら
これほど成果の分かり易いものもないだろうなぁ。
倫理的にどうかってのはある気もするけれど。
「遺伝」というものを比較的強く感じてしまうのは
おそらく社会がそういった背景を持ってきたからなんだろうけれど
(→優生思想の歴史)
自分の中でもやっぱり「才能には敵わない」って思ってしまうところがあるし
それが努力で覆せるものではないと
謎の敗北感を持ってしまうんですよね。
実際には「才能」であることよりも「良いものに囲まれて育った」
という方(むしろその方がギフトだし、SSR環境だろうって思うけれど)で
考えるのなら、遅れを取り戻すようインプットを膨大に積み
毎日の反復練習をすれば良いだけということでもあるのよね。
ただそれが面倒臭いから「才能」って言葉でお茶を濁しているのかもしれない。
それが諦めるのに一番楽な言い訳だからね。
と、他にもツラツラと思っていたことがあった気がするんだけれど、
最後の話に絡んでいるやつの参考記事がどこにあるか忘れてしまって
う〜んってなってしまっているんだけど、
要は「才能」ってやつをタカにくくっていると「努力」するやつに負け、
「努力」を至上にしていると「才能」に負ける、みたいな話でもあり、
自分がなにを壁に思っているかどうか知らんけれど、
意外と勝ち負けの要因は半々らしいよっていう締めだったんですよね。
ドイツ人はもっと「才能」を言い訳にしていいし、
イギリス人は「努力」すればどうにかなることを考えろ
みたいなやつだったような…おぼろげ。
まぁそんなことを昨日お目当の画材屋に行ったら
日曜祝日が定休日とあって凹み、
奮起してユザワヤに行ったら画材が一掃されていて、
その他周辺の画材屋さんがなくなっていることに気づいて
心が折れてた時にボンヤリと考えていたことでした。
人が珍しくアナログで絵を描こうとしたらこれだよ……ンモゥ。
やる気ってやつは壁が出てきた時に失われるので
奮い起こしたやる気がそれると
なーんもしたくないってなるんですよね。
はぁヤレヤレ。
とりあえずわけあって手離れてしまったiPadをもう一度手にしたいし
いろいろと頑張りましょうってことで。
そんじゃまた。モイモイ。