あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

許すとか許さないとか

2022-07-15 | from:sachiaki
今日のニュースを見ていたら、
イランの核保有について「イランによる核兵器保有は決して許さない」と
アメリカが明言したとあって、
よしんばイスラエル側がそれをいうのは
隣り合っている脅威なので舌戦とキチッと釘をささないと
っていう意味でありだと思うんですけれど、
アメリカさんはなんなの?とかつい思ってしまったsachiakiです。

外交なんだからそりゃそう言うだろうよ。
って思うんだけど、保有している側が「許さない」っていうのは
なんなんだろうな〜ってつい冷めた気持ちで見てしまいました。

まぁこれに限らず、ブン殴ってはいけません。
って現状の倫理として正しいことを言ったとして
そいつが銃をちらつかせながら、やっとの思い出反撃した側に対して
それを言っていいのか?っていうのはかなり疑問だったりする。
過去にさんざん弱いものたちをブン殴って、
今は新しい重量級の兵器を銭の力で持って、
それで上品なことを言われてもなぁ…というのは人間の心理よね。
過去に悪いことをしてきたので反省として
今は「過去の自分みたいになるなよ」って牽制に入っている
っていうような意味でも、過去は積み重ねだから
トレースされていくだけなのでは?
なんてことも思ったりする。
当然古い時代から現代に至るまで
常にトレースされてきたわけじゃなく、
トレースする時につどつど改修されているから
後追いの方が良いルートを辿りやすいわけですわな。

ほんでもって、こういう国と国って話じゃなくても
人と人っていうものであっても
「許す」とか「許さない」っていうのは
当事者のものであることが多いし、
社会にまで広げて「許さない」っていうのは
その人の中での主張でしかなくて
「許諾」とはちょっと違うよな〜って思ったりしてました。

人間社会ではとりあえず集団を束ねるためのルールがあって
そのルールを反した時用の罰則が設けられていて
その罰則以上を振るったり甘くしたりっていうのは
根拠が別の曖昧なものになってしまうために
集団を維持するのは難しいと思うんですわ。
泣いて馬謖を切る、じゃないけれど
どんだけ目にかけた仲間であっても
ルールを犯していたなら罰を与えなかったら
他の人が「あの人におもねっておこう」なんていう腐敗の始まりだし、
罰則以上のものを与えるとしたら、それもやっぱり
その権限を振るう立場の人に対して「あの人に逆らうのはやめよう」
ってことになって、権限をもつものの暴走を止められなくなっちゃう。

というようなことを思うので、
何か大きな事件が起こった時に、その事件のことの大きさ
与えたインパクトの大きさで量刑を変えてはいけないと思うのですわ。

なんて社会派ぶってみたけれど、ただの寝言です。
なんとなく思うことがあったのでダラダラ書いてみただけ。
そんなことよりも度がほとんど合わなくなってきているメガネを直したり
伸ばしっぱなしでかったるいな〜と思っている
髪を切ることを考えた方がいいんですよ。

自分の幸せについて、マジメに考えて
そのための努力をする方がマシな生活になりますからな。

というわけで今日はこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。
コメント
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