今日は10月に控えている「やってみるんだ展」の実行委員会ミーティングだったので
朝から頑張って起きてお出かけしていたsachiakiです。
オンラインでも参加できるんですけどね。
なんだかんだで人と対面で会うことの意義ってあるよねぇ
ってことを顔をあわせる度に感じているところです。
だからといって、必ず顔を合わせないやつは縁遠くなるから
つまはじきにしてしまえ!だなんて思わないし、
よく会う人だから優遇しよう!なんてことも思わないけれど、
よく顔をあわせる人は安心するなって感じです。
それは別に会っていなくても、
しょっちゅうTwitterでやり取りをしていても同じことがいえて
ただその安心するための材料みたいなものが
会ったことのある人の方がちょっぴり大きいねってことなのです。
まぁそんな話の延長上のことなんですけれど、
福祉施設や教育関連の方はアナログに頼りきりで
なかなかデジタルに切り替わらず、
連絡ツールがバラけているだけでなく、
使うツールが違うなら当然使う言葉や
コミュケーション方法も違うので
「意思疎通って難しいよね〜」って話になりました。
それは私も常日頃から思っていることでもあるので
難しいなぁ〜なんて考えてしまいました。
私は言葉を重んじるけれど、
弟なんかは言葉は舌戦のためのものではあっても
人と交わるためには言葉はいらぬってタイプで
アフリカやらベトナムやらあらゆるところに行って
現地の人と一緒のご飯を食べて釣りしてお酒飲んで……って感じで
馴染んでしまって意味がわからんってところがあったりします。
しかしながら、じゃぁ弟がすべての人たちとうまくいっているかといえば
やっぱりそうではなく、例えば父と母やケアマネージャーさんなど
細やかな調整が必要な話をする時は
私の方が得意分野だったりするので意思疎通とはなんなのだろうか。
って思ったりします。
いわゆる原始的なコミュニケーション、
子供同士だったり、異文化同士であったりという
手探りのコミュニケーションは弟のように
「通じなくても通じるものがある」という信念で進めた方が良いし、
もう少し高度なコミュニケーション、
一つの言葉を使ったとして、その言葉が持つ意味の背景や文脈まで拾って
控える言葉などを考えたりする
「通じないかもしれないけれど、通じて欲しい」という懐疑的な
コミュニケーションもコミュニケーションなんですよね。
だから私と弟が喧嘩になる原因はだいたいいつも同じで
あまりに雑に言葉を使う弟に対して
その物言いはないだろうという私。
そうすると、そうやって言葉を神経質に使うから通じないんだ
みたいに言いだすのが弟って感じで
まーーーーーーーー、話がすれ違いまくることが多いです。
でも結果として出る答えは案外同じものだったりするので
プロセスについて大きな違いがあるのだろうなって思ったりもしています。
でもなー、やっぱ使って良い言葉と悪い言葉
タイミングなどなど、けっこうあるんよなぁ。
そういった意味では言葉以上の背景が必要と思っている私と
背景は取っ払っても通じるって考えている弟と
「言葉以外のもの」を大事にしているってことで
同じようなもんなんですよね。
そんなことを考えていました。
とりあえずそんな難しい話だけでなく、
連絡手段さえも統一できないのって
かなりストレスになるよね〜ってことでした。
さてお仕事に戻らねば。
そんじゃまた。モイモイ。
朝から頑張って起きてお出かけしていたsachiakiです。
オンラインでも参加できるんですけどね。
なんだかんだで人と対面で会うことの意義ってあるよねぇ
ってことを顔をあわせる度に感じているところです。
だからといって、必ず顔を合わせないやつは縁遠くなるから
つまはじきにしてしまえ!だなんて思わないし、
よく会う人だから優遇しよう!なんてことも思わないけれど、
よく顔をあわせる人は安心するなって感じです。
それは別に会っていなくても、
しょっちゅうTwitterでやり取りをしていても同じことがいえて
ただその安心するための材料みたいなものが
会ったことのある人の方がちょっぴり大きいねってことなのです。
まぁそんな話の延長上のことなんですけれど、
福祉施設や教育関連の方はアナログに頼りきりで
なかなかデジタルに切り替わらず、
連絡ツールがバラけているだけでなく、
使うツールが違うなら当然使う言葉や
コミュケーション方法も違うので
「意思疎通って難しいよね〜」って話になりました。
それは私も常日頃から思っていることでもあるので
難しいなぁ〜なんて考えてしまいました。
私は言葉を重んじるけれど、
弟なんかは言葉は舌戦のためのものではあっても
人と交わるためには言葉はいらぬってタイプで
アフリカやらベトナムやらあらゆるところに行って
現地の人と一緒のご飯を食べて釣りしてお酒飲んで……って感じで
馴染んでしまって意味がわからんってところがあったりします。
しかしながら、じゃぁ弟がすべての人たちとうまくいっているかといえば
やっぱりそうではなく、例えば父と母やケアマネージャーさんなど
細やかな調整が必要な話をする時は
私の方が得意分野だったりするので意思疎通とはなんなのだろうか。
って思ったりします。
いわゆる原始的なコミュニケーション、
子供同士だったり、異文化同士であったりという
手探りのコミュニケーションは弟のように
「通じなくても通じるものがある」という信念で進めた方が良いし、
もう少し高度なコミュニケーション、
一つの言葉を使ったとして、その言葉が持つ意味の背景や文脈まで拾って
控える言葉などを考えたりする
「通じないかもしれないけれど、通じて欲しい」という懐疑的な
コミュニケーションもコミュニケーションなんですよね。
だから私と弟が喧嘩になる原因はだいたいいつも同じで
あまりに雑に言葉を使う弟に対して
その物言いはないだろうという私。
そうすると、そうやって言葉を神経質に使うから通じないんだ
みたいに言いだすのが弟って感じで
まーーーーーーーー、話がすれ違いまくることが多いです。
でも結果として出る答えは案外同じものだったりするので
プロセスについて大きな違いがあるのだろうなって思ったりもしています。
でもなー、やっぱ使って良い言葉と悪い言葉
タイミングなどなど、けっこうあるんよなぁ。
そういった意味では言葉以上の背景が必要と思っている私と
背景は取っ払っても通じるって考えている弟と
「言葉以外のもの」を大事にしているってことで
同じようなもんなんですよね。
そんなことを考えていました。
とりあえずそんな難しい話だけでなく、
連絡手段さえも統一できないのって
かなりストレスになるよね〜ってことでした。
さてお仕事に戻らねば。
そんじゃまた。モイモイ。