なぜ木曽路の味が記憶に残っているのか。
それは、子供時代に祖父母をはじめとして、親戚一同が集まる場所で、
夏休みになると毎年のように来ていたからです。
おそばの『くるまや 本店』は、祖父のたいそうなお気に入りで、
ここが休みだったりして支店に行くことになると、
めったに無駄話をしない明治の男が、『どうも支店はいかん』などとクチグチ言っていたのを覚えています。
木曽で食べるのは、ざるそばを始め、普段家では食べないものばかりでした。
だから彼女にも食べてもらいたかった。
と、木曽義仲は巴御前に語るのでした。
高原のスイートコーン、いえ、そんな呼び方はしてなかったですね。
甘い甘い、朝採りトウモロコシのゆでた奴です。
道の駅『木曽福島 日義村』で買いました。
そして同じく道の駅のスタンドで。
クルミ味噌かな、こちらの甘味はコクとともに。
最後は今日のお宿、木曽駒高原ホテルで見つけたスイーツです。
こちらは、子供時代に食べた物ではありません。
開田高原の牛乳を原料にしていますが、いわゆるご当地物としてブランド付けする事はなかった時代です。
それに、親戚が集まりますから、
お菓子はそれそれの住む土地からの持ち寄りです。
兵庫、愛知、東京。
特に、東京の叔母が持ってきてくれるヨックモックは、
当時の私の生活には全くクロスすることのないお菓子でした。
夢のスイーツを口にできるのも、
木曽路の記憶です。
それは、子供時代に祖父母をはじめとして、親戚一同が集まる場所で、
夏休みになると毎年のように来ていたからです。
おそばの『くるまや 本店』は、祖父のたいそうなお気に入りで、
ここが休みだったりして支店に行くことになると、
めったに無駄話をしない明治の男が、『どうも支店はいかん』などとクチグチ言っていたのを覚えています。
木曽で食べるのは、ざるそばを始め、普段家では食べないものばかりでした。
だから彼女にも食べてもらいたかった。
と、木曽義仲は巴御前に語るのでした。
高原のスイートコーン、いえ、そんな呼び方はしてなかったですね。
甘い甘い、朝採りトウモロコシのゆでた奴です。
道の駅『木曽福島 日義村』で買いました。
そして同じく道の駅のスタンドで。
クルミ味噌かな、こちらの甘味はコクとともに。
最後は今日のお宿、木曽駒高原ホテルで見つけたスイーツです。
こちらは、子供時代に食べた物ではありません。
開田高原の牛乳を原料にしていますが、いわゆるご当地物としてブランド付けする事はなかった時代です。
それに、親戚が集まりますから、
お菓子はそれそれの住む土地からの持ち寄りです。
兵庫、愛知、東京。
特に、東京の叔母が持ってきてくれるヨックモックは、
当時の私の生活には全くクロスすることのないお菓子でした。
夢のスイーツを口にできるのも、
木曽路の記憶です。