日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

山から海へ、富の移ろい

2017-05-01 22:53:45 | 旅行記
製蝋による富の分配が、明治末期から大正にかけて広がり、
末期には石油製品に取って代わられながら、
伝統的建築の保護で観光資源を生み出した山あいの内子町を離れ、
南西へ車を向けるとすぐ海沿いの道へ入ります。
穏やかな水面は養殖筏を浮かべて、海もまたこの地に富をもたらしているのだと、しみじみります。



入り組んだ海岸線は天然の良港でもあります。
ただ、深い曲線の湾を囲む斜面は厳しいことこの上ありません。
ことに、奥へ行くほど。

愛南町外泊です。



見渡すと緑に囲まれた集落、
しかしほんの少し路地を入るとこうなります。







石垣の里と呼ばれていますが、これだけの急斜面に家を支えるだけの段々を作り、
大小の石を積み上げ固めていく労苦は想像するだけでも果てしない気持ちになります。



説明板を読めば、明治の時代、
隣の中泊地区で二男三男として生まれた人たちが、
地区の総意として開拓定住を求められ、石垣を積み上げていった歴史があるそうです。
ある意味、親元の地区に富があるからこそ、
次男以下の相続権を持たない子供に財を分け与え、
新天地を切り開かせることが出来たとも考えられます。



里を降りて港の水面を覗きます。



実に美しい。
深い湾に守られて、日々食べられる海の幸にも恵まれているのでしょう。

夕日を眺めつつ海岸線を北へ向かい、
今日の泊まりは宇和島市『クレメンス宇和島市』です。

夕ご飯は南伊予の名物『鯛めし』に決めています。



『穂積亭』さんは、最初に電話を入れると満席で、席が空いた15分後に連絡を貰い、
夜道をぶらりと出かけました。



右が『鯛めし』。
甘めの醤油だれにつけた鯛の身をご飯に載せるシンプル丼。
左は、私たちが鯛めし二杯を頼んだら、
一つはこちらにしたら?と勧められた『鯛さつま』。
鯛の擂り身に麦味噌の出し汁を合わせた丼です。
こちらは香ばしさが身上で、
スルスルかき込む喉ごしを楽しむ事ができました。



午前と午後に、愛媛二地区の歴史に触れて、郷土料理も一層の味わいとなりました。




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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なにしてる・舞台 (まま)
2017-05-02 13:37:04
石垣が、、初めてみました。いろんなところが、まだまだあるのですね。温泉と、坊ちゃんだけの松山じゃないのね・
食べ物も、珍しくて、ワクワクします。星空も、きれいでしょうね。次回を楽しみにしています
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踊る舞台 (ryo)
2017-05-02 20:02:40
まま様
いつもご覧頂きありがとうございます。
暖かい伊予路をあちらこちらへと楽しませて頂いています。

説明も書かなかった写真に目を向けて下さるとは、さすが!
実は、内子町にある内子座を見学に行った時の写真です。
私が枡席に降りて、『への二番』に座り、彼女に一芝居打ってもらいました。
一芸だという、文福茶釜だと言います。
あんまり嬉しそうに踊るので、話の脈絡もないのですが、今日一日の気分を表すには持って来いかと思い、はめ込んでみました。
返信する
踊る舞台 (ryo)
2017-05-02 21:16:50
まま様
いつもご覧頂きありがとうございます。
暖かい伊予路をあちらこちらへと楽しませて頂いています。

説明も書かなかった写真に目を向けて下さるとは、さすが!
実は、内子町にある内子座を見学に行った時の写真です。
私が枡席に降りて、『への二番』に座り、彼女に一芝居打ってもらいました。
一芸だという、文福茶釜だと言います。
あんまり嬉しそうに踊るので、話の脈絡もないのですが、今日一日の気分を表すには持って来いかと思い、はめ込んでみました。
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