どのようにすれば、そんなに本を読めるのか?とよく聞かれます。私もよくわからないけど読んでいます。読んだ内容は頭に入っていたり、入っていなかったり・・・。だいたい、数字やストーリーを覚えるのは苦手です。そんな、窮屈な読み方は好きではない。「心に本を読ませる」というのが、私のスタイルです。
飛ばしているわけでもない。全て目を通している。でも、逐一覚えているわけではない。いわば「鏡読み」という読み方です(私が名づけたので、用語としてないと思います)。「作家が本を仕上げるために命を削った時間を、鏡像のようにして、自分が読む時間に反映させる」という、特殊な我流読みです。
以前も述べましたが、私の大学の先生が、引退後作家として名をはせることとなりました。先生の最初の作品は凄かった。読むのに時間がかかりました。何作か後の作品は、あっという間に読めてしまった。先生にそのことを手紙で知らせると「いや~ばれてしまいましたか・・・。売れ行きはこちらのほうがいいのですが。実際、時間がなかったので、ちょっと力を抜いてしまいました・・・。××さんは騙せないですね・・・」とお詫びの手紙をいただきました。
超多作で有名な×氏の本は1分ぐらいで読めるものもありますよね・・・。
「内容」が「無いよう」(寒)。
自分でも想像がつくような内容の本は、読むだけ時間の無駄。奇をてらった表現も興ざめ。ちょっとは考えて書いてよ!と怒りすら覚える。このレベルの本に金を出して買う人が何十万人もいると思うと・・・ちょっと不思議。。。
同じ値段の本でも、命を削って書いた本については、読み応えが違う。一文考えるのに何年も温めてきた本は、やはり、それなりの読み方をしないと作家に失礼である。そんな本にであうと「人生のバランスシートで含み益が出た!」と、狂喜乱舞してしまいます。そんな本に出会えるのは、年10冊程度か・・・「100冊に1冊の奇跡」という表現がふさわしい。
どうしても、そんな作家に出会えないと嘆くのなら、古典を読むとはずれが少ない。作家の人生で多くても数作しか書けない古典。歴史の中で駄作は淘汰されてきた古典。今なら、「平家物語」などいかが。私は、確か、記憶に間違えがなければ、中学時代に読んで、「近く本朝をうかがうに・・・」あたりまで暗唱していました。
そう、ちょうど、中学の国語の教科書に「敦盛の最期」があり、暗唱していたのがきっかけでした。「ただ、とくとく首をとれ」なんか、涙なしには読めなかった・・・。
勝手気ままに書かせていただきましたが、読書は冊数ではないです。何百冊読んでも、年間に、「天晴れ」と感心する作品は10作程度。その本に出会うために多読しているのかもしれませんね。

飛ばしているわけでもない。全て目を通している。でも、逐一覚えているわけではない。いわば「鏡読み」という読み方です(私が名づけたので、用語としてないと思います)。「作家が本を仕上げるために命を削った時間を、鏡像のようにして、自分が読む時間に反映させる」という、特殊な我流読みです。

以前も述べましたが、私の大学の先生が、引退後作家として名をはせることとなりました。先生の最初の作品は凄かった。読むのに時間がかかりました。何作か後の作品は、あっという間に読めてしまった。先生にそのことを手紙で知らせると「いや~ばれてしまいましたか・・・。売れ行きはこちらのほうがいいのですが。実際、時間がなかったので、ちょっと力を抜いてしまいました・・・。××さんは騙せないですね・・・」とお詫びの手紙をいただきました。

超多作で有名な×氏の本は1分ぐらいで読めるものもありますよね・・・。
「内容」が「無いよう」(寒)。

自分でも想像がつくような内容の本は、読むだけ時間の無駄。奇をてらった表現も興ざめ。ちょっとは考えて書いてよ!と怒りすら覚える。このレベルの本に金を出して買う人が何十万人もいると思うと・・・ちょっと不思議。。。

同じ値段の本でも、命を削って書いた本については、読み応えが違う。一文考えるのに何年も温めてきた本は、やはり、それなりの読み方をしないと作家に失礼である。そんな本にであうと「人生のバランスシートで含み益が出た!」と、狂喜乱舞してしまいます。そんな本に出会えるのは、年10冊程度か・・・「100冊に1冊の奇跡」という表現がふさわしい。

どうしても、そんな作家に出会えないと嘆くのなら、古典を読むとはずれが少ない。作家の人生で多くても数作しか書けない古典。歴史の中で駄作は淘汰されてきた古典。今なら、「平家物語」などいかが。私は、確か、記憶に間違えがなければ、中学時代に読んで、「近く本朝をうかがうに・・・」あたりまで暗唱していました。

そう、ちょうど、中学の国語の教科書に「敦盛の最期」があり、暗唱していたのがきっかけでした。「ただ、とくとく首をとれ」なんか、涙なしには読めなかった・・・。

勝手気ままに書かせていただきましたが、読書は冊数ではないです。何百冊読んでも、年間に、「天晴れ」と感心する作品は10作程度。その本に出会うために多読しているのかもしれませんね。
