読んでいて恐怖に身の毛がよだってしまった・・・
博士がホームレスになる時代、博士がコンビニで働く時代、博士がワーキングプアになる時代・・・本当にそんな世の中でいいのだろうか?
筆者自身、「2011年春以降の身分は未定」と、この本には書かれてある。心配この上なし・・・筆者の本は「高学歴ワーキングプア」「アカデミア・サバイバル」も含めて手元にあるが、読むにつれ、高学歴が幸せではないことを実感してしまう。
そもそも、学問一筋で博士まで取得し、研究員として従事していてもアカデミックな仕事がないのだ。そう、これってインフレ化している「資格」と一緒。公認会計士でも、弁護士でも食ってはいけない時代。とはいえ、この筆者が[『ホームレス博士』――まぼろしの「まえがき」に代えて]で述べているように、博士を持っていなくても大学准教授になる人もいる。あるいは、難易度の低い「資格」でも、それを活かして年収1千万円以上稼ぐ人もいる。
ようは、「運」と「本人の才覚」の方が、「地道な研究」や「必死の学習」より効果的な結果を生むこともあるのだ。例えば、立派な研究結果を残しているが、学生を教えることもできないくらいプレゼン力がなければどうだろう。国家資格を取得済でも、殿様商売みたいに頭を下げることのできない人だったらどうだろう。
無論、この本に書かれている「コンビニで働く博士」がコミュニケーションに難点があるとは言い切れない。しかし、博士を取得しても就職先のない先輩研究員が多数いるにもかかわらず、どうして修士課程で終わることなく、博士課程を全うしてしまうのか・・・公のデータでも博士の就職率は6割、そして1割弱が死亡もしくは行方不明となっている。もしくは、この本のp.43では「東大卒の博士たちでさえも平均就職率が4割程度というありさま」とされているのだ。
そのような状況で、「自分だけは職にありつける」という裏付けはどこにあるのか。それでなくても、大学教授や准教授のポストは「実務家教員」にとって代わられている。仕事の実体験に基づく話が学生に受けるし、学生の就職活動にも実務家教員の指導が活きる。産能のMBAも実務家教員が9割を占めている。あるいは、明星でも社会人からスカウトしてきている。法律上も、別に博士でなくても教授にすることができる。あるいは、本来、博士が欲しいところでも、社会人の実績があれば修士でも、場合によったら学士でもかまわない。
最高峰の博士を取得しても仕事のない世界。本当なら、私も学生の指導をしてみたいし、研究にも勤しみたいところであるが、この状況下では、家族を抱えて教育の道に踏み出すことはできないことぐらい理解している。そのように、教育への配慮が欠如している国に生まれてきてしまった以上、本業を持たずして研究ができないことを受け入れざるをえないのだ。
博士がホームレスになる時代、博士がコンビニで働く時代、博士がワーキングプアになる時代・・・本当にそんな世の中でいいのだろうか?
筆者自身、「2011年春以降の身分は未定」と、この本には書かれてある。心配この上なし・・・筆者の本は「高学歴ワーキングプア」「アカデミア・サバイバル」も含めて手元にあるが、読むにつれ、高学歴が幸せではないことを実感してしまう。
そもそも、学問一筋で博士まで取得し、研究員として従事していてもアカデミックな仕事がないのだ。そう、これってインフレ化している「資格」と一緒。公認会計士でも、弁護士でも食ってはいけない時代。とはいえ、この筆者が[『ホームレス博士』――まぼろしの「まえがき」に代えて]で述べているように、博士を持っていなくても大学准教授になる人もいる。あるいは、難易度の低い「資格」でも、それを活かして年収1千万円以上稼ぐ人もいる。
ようは、「運」と「本人の才覚」の方が、「地道な研究」や「必死の学習」より効果的な結果を生むこともあるのだ。例えば、立派な研究結果を残しているが、学生を教えることもできないくらいプレゼン力がなければどうだろう。国家資格を取得済でも、殿様商売みたいに頭を下げることのできない人だったらどうだろう。
無論、この本に書かれている「コンビニで働く博士」がコミュニケーションに難点があるとは言い切れない。しかし、博士を取得しても就職先のない先輩研究員が多数いるにもかかわらず、どうして修士課程で終わることなく、博士課程を全うしてしまうのか・・・公のデータでも博士の就職率は6割、そして1割弱が死亡もしくは行方不明となっている。もしくは、この本のp.43では「東大卒の博士たちでさえも平均就職率が4割程度というありさま」とされているのだ。
そのような状況で、「自分だけは職にありつける」という裏付けはどこにあるのか。それでなくても、大学教授や准教授のポストは「実務家教員」にとって代わられている。仕事の実体験に基づく話が学生に受けるし、学生の就職活動にも実務家教員の指導が活きる。産能のMBAも実務家教員が9割を占めている。あるいは、明星でも社会人からスカウトしてきている。法律上も、別に博士でなくても教授にすることができる。あるいは、本来、博士が欲しいところでも、社会人の実績があれば修士でも、場合によったら学士でもかまわない。
最高峰の博士を取得しても仕事のない世界。本当なら、私も学生の指導をしてみたいし、研究にも勤しみたいところであるが、この状況下では、家族を抱えて教育の道に踏み出すことはできないことぐらい理解している。そのように、教育への配慮が欠如している国に生まれてきてしまった以上、本業を持たずして研究ができないことを受け入れざるをえないのだ。