たまたま、光文社信書の「会社の中はジレンマだらけ」という本を読んでいたところ、p.204に以下のような記載がありました。
「本間さんは、四つの大学院に行って、修士論文を三本書いたんですよね」
本間さんとは、この本の著者の一人でヤフー株式会社の上級執行役員とされています。その本間氏に、もう一人の著者の中原淳氏が話しかけた一言。
本間氏の言葉で首肯できるのが「ドクターを取れば?って言う人もいるんですが、僕は学者になろうと思っているわけではなくて、ビジネスで生きているから、修士で十分なんです。」というコメント。私も、博士課程に行けばと何度も何度も言われましたが、仕事の片手間に学ぶのは修士が限界。よほど根性と高いマインドと強固な意志がなければ、博士の道は厳しいです。
一方、どうしても納得できないのが「実は修士号をもらったうちの二回は修了式も行っていないんですよ(笑)」という箇所。対談者の中原氏は「本間さんは修士号そのものには一ミリの興味も感じていないところがいいですよね」と言っているのですが、それと修了式不参加は全く無関係。学びは一人ではできません。恩師や同期とのコミュニケーションの積み重ねが修士論文であり、修士号となります。その背景をリスペクトするのであれば、恩師と同期、学長先生他、大学関係者への感謝を述べる修了式を外すことはありえない・・・と私は思うから。
とはいえ、修士号6つで日本一!って戯れ言を言っていると、上には上がいて鼻で笑われているかもしれません。それに、学びの軽重は学位の数ではないので、そんな数をどうこう言っている段階で学びに対して真摯な対応ができていません。数に驕らず、生涯学習に取り組んでいければ・・・と願っています。