新川の三日月橋を渡って下之一色城跡へ行く途中・・・
「大東亜戦争殉国霊園」という場所を見つけてしまいました。そこには、思いもよらないものがありました。。。
何なのだ、これは!
後ろから撮影すると、御名前や、戦死した年月日が。。。
いったい、これらの石像はなんなのでしょう?車で城跡を回っていたら、絶対に発見できなかった場所。自分の足で巡らないとダメですね。
新川の三日月橋を渡って下之一色城跡へ行く途中・・・
「大東亜戦争殉国霊園」という場所を見つけてしまいました。そこには、思いもよらないものがありました。。。
何なのだ、これは!
後ろから撮影すると、御名前や、戦死した年月日が。。。
いったい、これらの石像はなんなのでしょう?車で城跡を回っていたら、絶対に発見できなかった場所。自分の足で巡らないとダメですね。
榎津城跡から下之一色城跡に向かって、テクテク歩きます。
でも、再度、新川を渡らなければならず、その距離はかなりのもの・・・橋が遠~くに見えます。
ようやく、橋に着きましたが、川幅も結構あります。
そこから更に歩くと、正色小学校があり、そこに、下之一色城跡の石碑があります。でも、本当にお城があった場所は、もっと川に近いところだったらしく、この辺りではないかと。
昔は、河川敷にも城跡を示す表示があったらしいのですが、20分以上探しても見つかりませんでした。残念!
助光城から結構歩いて榎津城跡へむかいます。
途中、新川を渡りました。
後程、この川の向こうに見える東海道の橋を渡りなおすのですが、とりあえず、この川を左から右へ渡り切って、相応の距離を歩かなければならないので。
榎津城後は神社でした。加えて、城を示す石碑等は何もありませんでした。
「仏の教とは 苦を正しく見つめ 今を生きぬく智慧である」
前田速念寺の門前に掲げられたありがたい御言葉。人の世は、当に、この言葉の通り。「一切皆苦」が人生なのです。苦しみの中でしか人は生きることができません。故に、苦を正しく見つめなければならないのです。
「四苦八苦」という言葉が示すように、人生苦しみ以外のなにものでもありません。四苦=生老病死はわかりやすい苦しみなのですが、残りの四つの苦しみは知らない人の方が多いのではないでしょうか。WIKIから引用すると・・・
拙ブログの常連さんなら既にご存知のことだと思いますが。苦から逃れることはできません。だからこそ、これを見極め、八正道に基づく実践が必要なのです。
これが、今を生き抜く智慧というものなのでしょうね。
前田速念寺。
浄土真宗の寺とされていますが、真宗大谷派の寺院らしいです。普通、大谷派の寺院なら、「浄土真宗」ではなく「真宗」とするはずなのですが・・・「浄土真宗」といえば、原則「本願寺派」になるのが一般的。
寺の中には、読めない巨大なオブジェクトがありました。
長さからして「三帰依文」でも書いてあるのかと思ったのですが、ちょっと違うかな・・・
名古屋から東山線を乗って高畑に行き、そこからバスで向かった先が前田城跡。
一説では、前田城のある前田の地で、前田利家公が生まれたとされます。というか・・・「前田利家公生誕の地」が多くて大変です。
まあ、もともと前田村だったそうなので、前田利家公生誕の地でもおかしくはないのですが・・・