その途中にあったのが収塚古墳!
雨が降っている上、阪和線の時間も迫っていたのですが、やはり写真は撮ってしまうわけで・・・
で、収塚古墳を最後に撤収。
銅亀山古墳。
「どうがめやま」と入力すると、どうしても「動画目山」となってしまう。。。
仁徳天皇陵周辺で唯一残っている方墳だそうです。
ようやく仁徳天皇陵の正面に到着しました。
こちらが仁徳天皇陵の説明書き。
当然のことながら、仁徳天皇陵に入ることはできません。
ここまでです。
陵を回る中でも仁徳天皇陵って表示はあったし・・・
ところどころで仁徳天皇陵は眺めることができるのですが・・・
こんなの、どうしたって全体像はわかりません。
堺市役所から全体像を見られるとの話もありますが、やはり、外周を回る方が古墳マニアとしての在り方を具現化していると思うわけで・・・というか、見るだけなら、パンフレットでええやん!と思うのです。
全周とはいきませんでしたが、半周以上、あと、残りの百舌鳥から三国ヶ丘までは電車で走破することができてよかったと思っています。
仁徳天皇陵の外周を歩いていると、いたるところで世界遺産に遭遇します。
まあ、仁徳天皇陵自体が世界遺産だし。で、茶山古墳。
こちらが古墳。
仁徳天皇陵と一体化しているのでわかりづらいです。
三国ヶ丘駅から仁徳天皇陵正面まで行くのですが・・・
早々に、「古代ロマン 仁徳陵周遊路案内」とう案内板がでてきます。でも、「古代ロマン」って・・・多くの労働力を投下し、苦渋の中、ひょっとしたら、労役を被った民衆の怨讐の念がこもっているかもしれないみささぎ。というのも、仁徳天皇陵は、大林組が資産したデータだと、完成までに15年8ヶ月、必要人員が延べ796万人というお墓ですので。。。
ですので、いつまで行っても外周通路。
こんな感じで通路が続きます。
あと、ところどころで正面までの距離が出てきます。1,600mに逆回りの距離1,250mを足して、2,850mが仁徳天皇陵の外周と思われます。
で、歩けばその分距離は短くなります。
それはそうと、仁徳天皇陵は立入禁止!
そして・・・魚釣禁止。立入禁止なら魚釣りもできないと思うのですが・・・