日本通信教育学会報の2022年12月号の「会員の声」の欄に書かれていたことなのですが・・・
『「働きながら学ぶ」「学びながら働く」』という記事。「「働きながら学ぶ」という表現には、本当は働きたくないのに経済的理由(貧困)のため働かざるをえない苦学のイメージがある。しかしこれを逆にして「学びながら働く」と表現したら、イメージは反転する」という記載がありました。なるほどね。確かに、「働きながら学ぶ」には、なんとなく学ぶために働かざるを得ない印象はあります。
しかし、私としては、生涯学習を続けたいから、やむなく仕事をしている一面もあるので、「働きながら学ぶ」でもいいかな~って気もします。
逆に、解釈の仕方次第では「学びながら働く」は「本当は学びたくないのに社会的理由(仕事)のため学ばざるをえない」となってしまいます。
確かに、今まで西欧式の生涯学習は投資型であり、成果の代償として学ぶこと自体が苦しいものと言い続けてきました。しかし、上記のように「本当は学びたくないのに・・・」って言い切ってしまうことには、かなり躊躇してしまいます。
学習は苦しいけど、「学びたくない」んじゃない。それを言ってしまったら、生涯学習を志す者とはおしまいです。「苦しいけど学べ!」って言うのが私の思い。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いたからこそ、見えてくる風景もあるのだから。
きっと、血反吐を吐いたことがなければ、わからない景色なんだろうな・・・。でも、そこまで学ぶことができたなら、学ぶこと自体が日常と一体化すると思っています。