次男の都立高校受験は「桜散る・・・」という結果に終わりました。
競争率も高かったので、残念としかいいようがありません。併願した私立高校には合格しているので、そちらの方にご厄介になります。
第一志望の高校に合格できなかった次男の心境を思うと、自分まで悲しくなってしまいます。しかし、これが現実。四苦八苦の「八苦」の一つに、「求不得苦」というものがあります。「求める物が得られないこと」が八苦の一つとして数えられているのです。合格を求めても、それが常に手に入れることができるとは限らない。諦めという観念・・・いわゆる、諦観というものを持ち合わせないことには、永遠に苦しみから逃れることはできないのです。
私も、一度、大学受験に失敗しています。不合格通知をもらい、残念な気持ちになった記憶があります。とはいえ、それは、共通一次試験に失敗した末に、ランクを落とした、いわば、第三志望ともいえる大学だったので、「その大学にすら合格しなったこと」が残念だったわけです。しかし、欠員補充で合格・・・複雑な気持ちとともに入学し卒業しましたが、それはそれ、「住めば都」のことわざのとおり、幸せな大学生生活だったと思います。
次男も不合格となり、私が最初で最後に掛けた言葉はたった一言「お疲れさん」というものでした。きっと次男なりに大変だったことでしょう。私も、現役の受験生。ここ10年間で5回も大学院を受験しており、常に「不合格」と隣り合わせの人生を送ってきたので共感することができます。
このブログでも書き綴っているように、「合格」はたまたま運がよかっただけなのです。その幸運に慢心してはいけないですし、逆に「不合格」だからといって、妙に自分を卑下する必要もないわけです。
加えて、高校とは単なる通過点。無論、充実した高校生生活を送って欲しいのは当然ですが、真に大切なのは大学です。どこの高校を出ようが、あるいは高校に行かず、高認試験で大学受験資格を得ようが、今の日本の学歴社会としては、入社前に卒業した大学がもっとも影響力があるものとなっています。
そして、その大学という学歴ですら、万能ではなくなりつつあります。優秀な人材は、どの大学を卒業していたとしても、その有能性において、えらくなっていくのです。
とはいえ、何が生きる喜びなのか・・・そう考えると、諸行無常であり、大学の学歴も、社会的ステータスも、名誉も、お金も、その他ありとあらゆるものが、それほど、大切なものというわけではありません。
そこまで悟りの境地に至ることができたのが、私ですら、つい最近のことです。まだ、15歳の次男には難しいことでしょう。とはいえ、次男には、そうやすやすと悟って欲しいわけではなく、とりあえず今は、与えられた学びの場で、充実した生活を送って欲しいと願うばかりです。
競争率も高かったので、残念としかいいようがありません。併願した私立高校には合格しているので、そちらの方にご厄介になります。
第一志望の高校に合格できなかった次男の心境を思うと、自分まで悲しくなってしまいます。しかし、これが現実。四苦八苦の「八苦」の一つに、「求不得苦」というものがあります。「求める物が得られないこと」が八苦の一つとして数えられているのです。合格を求めても、それが常に手に入れることができるとは限らない。諦めという観念・・・いわゆる、諦観というものを持ち合わせないことには、永遠に苦しみから逃れることはできないのです。
私も、一度、大学受験に失敗しています。不合格通知をもらい、残念な気持ちになった記憶があります。とはいえ、それは、共通一次試験に失敗した末に、ランクを落とした、いわば、第三志望ともいえる大学だったので、「その大学にすら合格しなったこと」が残念だったわけです。しかし、欠員補充で合格・・・複雑な気持ちとともに入学し卒業しましたが、それはそれ、「住めば都」のことわざのとおり、幸せな大学生生活だったと思います。
次男も不合格となり、私が最初で最後に掛けた言葉はたった一言「お疲れさん」というものでした。きっと次男なりに大変だったことでしょう。私も、現役の受験生。ここ10年間で5回も大学院を受験しており、常に「不合格」と隣り合わせの人生を送ってきたので共感することができます。
このブログでも書き綴っているように、「合格」はたまたま運がよかっただけなのです。その幸運に慢心してはいけないですし、逆に「不合格」だからといって、妙に自分を卑下する必要もないわけです。
加えて、高校とは単なる通過点。無論、充実した高校生生活を送って欲しいのは当然ですが、真に大切なのは大学です。どこの高校を出ようが、あるいは高校に行かず、高認試験で大学受験資格を得ようが、今の日本の学歴社会としては、入社前に卒業した大学がもっとも影響力があるものとなっています。
そして、その大学という学歴ですら、万能ではなくなりつつあります。優秀な人材は、どの大学を卒業していたとしても、その有能性において、えらくなっていくのです。
とはいえ、何が生きる喜びなのか・・・そう考えると、諸行無常であり、大学の学歴も、社会的ステータスも、名誉も、お金も、その他ありとあらゆるものが、それほど、大切なものというわけではありません。
そこまで悟りの境地に至ることができたのが、私ですら、つい最近のことです。まだ、15歳の次男には難しいことでしょう。とはいえ、次男には、そうやすやすと悟って欲しいわけではなく、とりあえず今は、与えられた学びの場で、充実した生活を送って欲しいと願うばかりです。