放送大学大学院の合格が決まっているのですが・・・
もう一つ、放送大学教養学部に全科履修生として入学するか、機構の学位を目指すか、ちょっと悩んでいるところ。放送大学に入学して、2年間で修士・学士のダブル学位を目指すか、これまた、機構で学士(社会学/社会福祉学分野)に挑戦するか?機構の学位を目指す場合、大学入学はできません。それがルールなので、ルールを準拠しなければなりません。
裏付けはとれていませんが、きっと、私が機構の学士を一番多く取得しているはず。その数12学士。そんな中、ルールを逸脱して学士を取得したなら、叩かれる上に、失格にもなりかねません。そもそも、学位マニアではないので、ルール違反をしてまで、学士の積み増しを目指す必要もありませんし。
それにしても、機構の学位をいくつも取得する人って、社会的な価値は概ね同値の「学士の学位」を、どうして複数取得するのでしょうね?
私は、自分の学びを「PDCAのサイクル」に乗せているだけ。ある程度、単位が溜まったら、機構の学位を狙える分野を見極めて、足りない学習を「PLAN」し単位取得を目指して出願する。選科履修生や科目履修生として出願した大学で学習を「DO」して単位を取得する。積み上げた単位や学びの現状を「CHECK」して学位を目指せるか確認する。そして、機構に必要書類を提出して「ACTION」する。このPDCAを回した結果として、機構から学位記が届くわけです。
日本の社会は結構シビア。自分が身に着けたスキルは「見える化」しておかないと信用してもらえません。コンテストで受賞したり、論文を出したりしている人は別格として、英語もTOEICのスコアを示せとか目に見えた成果を求めます。そんなの抜きで、「じゃあ、英語で面接をしましょうか?」っていうシーンは、外資系企業でもないと、そうそうないんじゃないかな・・・
逆に、私のように「見える化」できるものがある場合、それを維持する努力が必要になります。その顕著な例が「産業カウンセラー」。メンタル方面の知識はあると思っていても、知識をブラッシュアップしておかないと、法令の改正やら、新しい知見やら、技法等に追いつけず、メンタルヘルスマネジメント検定2級すら合格できないレベルに落ちぶれてしまいます。並みのホラー映画よりも恐怖です。こんな状況で、「メンタル面の知識はまかせて下さい!」なんて言ってしまったなら、どんなにクズ野郎と蔑まれてしまうでしょう?
取得しても、第三者に開示せず封印するような資格や学位やスキルならいいのでしょうが、オープンにして、ましてや「活用」してしまうのなら、それなりのメンテナンスをしておかないと「看板に偽りあり」となってしまいます。
私が学び続けるのも、まさに、その恐怖心。人に「生涯学習に取り組んで欲しい」とか言っておいて、自分は何もしないって、それはキャリア・コンサルタントとして正解なのか?人に言うなら、まず自分が、その姿勢を示すべきではないか?そんな疑問に苛まれます。
人生は短い。私も、あとどれくらい生きられるかわからない。そんな中、どれだけ学べるかが気になってしまいます。特に、私は「自分に甘い」という特技があるので、追い詰めないと何もできません。「ムリして学習するのは生涯学習ではない」と言われそうですが、欧米の感覚からすれば、自分への投資として捉えるのが生涯学習。日本のように消費型の生涯学習ではなく、投資型の生涯学習で、生涯学習に沿ってキャリアアップし、結果、収入もアップしていくもの。当然、苦しいです。
とはいえ、私は人生の正午をとっくに超えた存在。明日死ぬかもしれない、来年死ぬかもしれない、5年後、10年後、いつ自分の寿命が尽きるかわかりませんが、その「生」の轍の終着点である「死」の段階において、自分の感情として「よく学びました」と言えるか、言えないかが「生涯学習」のポイントだと思っています。ゆえに、できるだけ貪欲果敢に挑戦を続けたい。
「修士論文に全集中すれば」って言うのも一つの正解。でも、自分でも飽きっぽいし、追い込まれて、ピンチになればなるほど強くなれると思っているので。まだ時間があるので、ちょっと考えてみます。