首塚は、東首塚だけでなく、西首塚もあります。
不破関から関ケ原に向かう途中、その首塚はありました。
こちらが看板。
多くの人々が、東西首塚に葬られたそうです。
首塚は、東首塚だけでなく、西首塚もあります。
不破関から関ケ原に向かう途中、その首塚はありました。
こちらが看板。
多くの人々が、東西首塚に葬られたそうです。
関ケ原で行きたかったのは、もちろん、関ケ原古戦場なのですが、もう一つ、不破関にも行きたかったのです。
不破関について、資料館等もあるのですが、残念ながら、かなり雨も降っていたため、この石碑の写真のみで撤収することとしました・・・
とはいえ、不破関に行けてよかったです。
決戦地があるなら、開戦地もあります。
こちらが、その関ケ原の戦いの開戦地!
ちょっと離れて見てみるとこんな感じ。
看板もあります。
かなり離れて見たところ、このような風景となります。
関ケ原は町中が古戦場!
その中でも、行っておきたかったのが決戦地。
看板もあります。
でも、その場所を見渡すと、あたりは田んぼ・・・
反対側もこんな感じ。
まさに、「兵どもの夢のあと」ですね。
東首塚から5分ほど歩くと、徳川家康最後陣地があります。
こちらが看板。
このあたりに陣を張っていたのでしょうね。
そして、ここで、家康が首検分を行い、その首を東西の首塚に葬ったそうです。
関ケ原駅から5分ほどのところにあるのが「東首塚」。
東首塚には「史跡 関ケ原古戦場 東首塚」の石碑がありました。
豪華な案内板も設置されています。
そして、こちらが東首塚。
おどろおどろしいものを感じずにはおられません・・・
大垣駅から2駅先の関ケ原に行ってみました!
駅のホームから主な西軍・東軍の武将が見えます。
関ケ原の駅はこんな感じ。
駅前には「古戦場のまち関ケ原」の横断幕が!
あるいは、こんな看板も!
案内図もあります。
道路には武将の家紋が並びます。
こちらが、石田三成の家紋。
樽見から大垣に戻る途中の織部駅。
織部駅には「山口城跡」について書かれた看板があります。
織部駅の北東ということなので、この方向に山口城跡があるのでしょうか?
美江寺から再び樽見鉄道に乗り込んで、一路、終点樽見へ!
まっすぐな線路が続きます・・・
時には鉄橋を越えることもあります。
あるいは、トンネルにも遭遇します。
こちらがトンネル。
そして、終点樽見駅に到着!
そう、ここが樽見駅。樽見鉄道を制覇したこととなります。
長良川鉄道のときもそうですが、この先、もう少し直進すると、福井県となります。まあ、列車はここまでですので、この先は、車か、歩きで行くしかないのですが。
それにしても、カラフルな列車ですね!
美江寺宿から美江寺駅に戻る途中の中小学校に「美江寺城跡」があると、駅前の案内板に書かれていました。
学校はすぐに見つかったのですが、どこにも美江寺城跡の石碑がありません・・・学校の校庭まできたところ・・・
写真の真ん中あたりにある白い看板らしきものを望遠で拡大すると・・・
なんと、学校の校庭に城跡が!
これは、ちょっとわかりませんよね・・・