クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

寿福寺の見どころ~クリン鎌倉五山紀行・7

2014-10-25 | まち歩き

 かまくら五山・三位の じゅふくじ(寿福寺)は、

ほうじょうまさこ(北条政子)

たてた寺。

かの女の夫・「源頼朝」が

馬からおちて

亡くなった のち、

つまの まさ子が

たてた寺です。

 そう(総)門を くぐると、

みどりの 参道が うつくしい、

ひっそりとした

お寺であり、

おとずれる人も まばらな

しずかな 

けいだい(境内)です

 あまりに しずかすぎて、

すぐ・かえりたくなる

くらいですが、

こちらのお寺、

北条政子と、

その子・「源実朝」の

おはか(墓)が

奥のぼち(墓地)に あるらしく、

 うちのチットが 「行きたい」と、さわぎ出しました

 ほうじょう・まさ子 というと、

「尼将軍」、とかいって

女だてらに

かまくら・ばくふ(幕府)を

支えつづけた、

男まさりの

「姉さん女房」の イメージがあります。

 ですが、れきし(歴史)にくわしい チットの話では、

かの女は

家ぞくの不幸と

苦なん(難)に みまわれ、

たいへんな 人生を送った、

かなしい女性であった

そうです。

 夫・よりとも(源頼朝)との間に生まれた「長女」は、

いいなずけを

父に殺され、

じへいしょう(自閉症)になり

若くして死に・・、

 翌年、夫・よりともが、らくば(落馬)で急死

その直後に

次女が病死・・

4年後に、

長男・よりいえ(源頼家)が

父・北条時政の

手にかかって死に

 たった一人、のこった次男・さねとも(実朝)も、

ころされてしまいます

しかも

その下手人は、

まさ子の孫

かれも

討ち取られて 死にました。。

 家ぞく・みんなが 死んでなお、

実家・北条氏と

折り合いをつけながら

ばくふ(幕府)を

支えなければ ならなかった、

まさ子・・

 (安らかに ねむってほしいな。)

クリンは 思いました。


コメント
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