クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

切支丹(キリシタン)屋敷の行き方

2017-02-06 | クリン江戸散歩

 江戸時代初期、きんきょう(禁教)令下の日本で、キリスト教をすて、

「転びバテレン」となった

『沈黙』の 主人公・・

 そのモデルは、「ジュゼッペ=キアラ」という、実在のせんきょうし(宣教師)

です。

 えんどうしゅうさく(遠藤周作)の小説は、彼が、ききょう(棄教)を

受け入れるシーンで

まく(幕)を閉じます

が、

 このあと、キアラには、江戸での長い・「幽閉生活」が、ありました


「転びバテレン」

と呼ばれた、

外国人せんきょうし(宣教師)を

収容したしせつ(施設)、

「切支丹屋敷」

あったのが、

東京都・文京区の小日向。。


 今、そのあと(跡)地は、どうなっているのか

しらべたくて、

ミニクリンを、現地にはけん(派遣)しました 

 

 (けっこう・わかりにくいところにあるので、

もし、行こうと思っている方は、

参考になさってください


まず、

 キリシタンやしき(屋敷)への、「最寄り駅」は、東京メトロ

丸の内せん(線)の

みょうがだに(茗荷谷)駅


 改札を出たら、2番出口から左に、ちょっと行くと、

 「茗荷坂」という、くだり坂があるので、

そこを、ひたすら おりていきます

 とちゅう(途中)、右手に教会があるので、それを目印にすると

いいです

 まっすぐ・下りていくと、つきあたり・右手に、

たくしょく(拓殖)大学のキャンパスが見えます。

 一方、左手には、「滝沢馬琴」のはか(墓)がある、「深光寺」

があって、

 そこを、道なりに左折すると、せんろ(線路)があるのですが、

そこは くぐらずに

手前で、右に曲がる

 曲がったすぐのところに、「宗四郎稲荷大明神」という、

赤いはた(旗)の立つ、

小さなお社があるので、

その真横の道に

入ります

 すると、そこから、ちょっと急な、「蛙坂」っていう坂がはじまります

 たいしたきょり(距離)ではないので、がんばってのぼると

 のぼりきったところは、平坦な住宅地。そこを、左折

数十メートル先が、目的地です。 

 <文京区小日向1-24-8。都旧跡・「切支丹屋敷跡地」>


 このひ(碑)の立つ、向かいがわ(側)、

現在ブランドマンションがたつ場所が

昔、

キリシタンやしき(屋敷)があった場所です。 

 

 ここを、2014年に ほり返したさい、

3体のいたい(遺体)が

出土したそうで

 その一人は、イタリア人せんきょし(宣教師)の、シドッチ

あとの2人は、

シドッチのお世話係だった

日本人ふさい(夫妻)だろう、

ということです。


 「シドッチ」というのは、日本史では けっこう・有名な人で

ジュゼッペ=キアラよりも

だいぶ後の

江戸時代中期、

 さこく(鎖国)下の日本にせん(潜)入した、イタリア人の

司さい(祭)でした

 キリスト教が、だんあつ(弾圧)の果てに、表面上・日本から いっそう(一掃)された

時代になって、

いまさらながら!

やくしま(屋久島)に 上りく(陸)した

シドッチは、

 ローマ教会でさえ・あきらめた、日本布教を あきらめなかった

カトリックのとうし(闘士)


 すぐにつかまって、江戸のここ・キリシタンやしき(屋敷)に

つれてこられますが・・


 この時 彼をじんもん(尋問)した、ばくふ(幕府)の「最高権力者・新井白石」

をして、

その高い学しき(識)

高けつ(潔)な人格

かんぷく(感服)せしめ

助命に

ほん(奔)走させたと言います


 この時、あらいはくせきが、ききとったことは、

「西洋紀聞」と「采覧異言

という本に

まとめられたそうで、

 今は、うちの歴女・チットの、えつらん(閲覧)するところと

なってます

 「結局シドッチは、お世話係の日本人夫妻に 洗礼を授けたことで、

キリシタン屋敷の地下牢で

死ぬんだけど・・、

 あの、朱子学者・新井白石を感服させて、

幕府の礎法を

曲げさせようとするほどの

学識と人柄って、

いったい

どれだけ、優れたものだったんだろう

・・・・・

そんな、本物のキリスト者が

非業の死を遂げた場所なら、

一度、

来ないわけにはいかないよね

チットは 言っています。


 シドッチや、ジュゼッペ=キアラの苦のう(悩)を おしこめた、

江戸のキリシタンやしき(屋敷)・・


そこは、

映画『沈黙』にも出てきた

きょうふ(恐怖)のだんあつ(弾圧)者、

「井上筑後守政重」の

下やしき(屋敷)の一角でした・・。


 文京区は、ひ(碑)のある場所から、ちょっと南に行った所にある坂道を、

「キリシタン坂」

と 

名づけており、

 坂道にある、でん(電)柱には、「切支丹支」とかかれた・プレートがはられ、

いまだに、そのれきし(歴史)を伝えています 


 後世の日本人にとっては、「切支丹坂」という、あやしくも・タブー

名前の坂は、

ワクワクかん(感)を

しげき(刺激)するのか?


 山田風太郎・中山義秀・田中貢太郎・・・など、名だたる小説家が、

キリシタンやしき(屋敷)や

キリシタン坂のことを

ネタにしています

 

 うちのチットも、だいぶ前から、来てみたかった場所ですが、

 しかし・・・、

ここに

収容された

人々は、


信じるものを、全否定されたあげく、

 りかい(理解)してくれない・いこく(異国)の者に 自由をうばわれ、

死に、いたらしめられた人々・・。

 そんな・むねん(無念)を甘受した、けいけん(敬虔)なクリスチャンたちの

心きょう(境)を思うと、

沈うつ(鬱)な気もちになり、

 けっして、暗くワクワクした・きょうみ(興味)をもつなど、

できない

と、

チットは 言ってます。。


 キアラや、シドッチたち、せんきょうし(宣教師)が、命をおえた

やしき(屋敷)の庭や、土牢のかべ(壁)に、


 せめて、いやし(癒し)の花が咲き


 天国に召されるまでの間を、見守っていてくれると

いいと思う・・。

 チットは、そんなことを 言っていました


ミニクリンも、クリンも、ほんとに!そう・思います 



 (※さっきの坂を下りて、トンネルをくぐって左折→まっすぐ行くと、もとの茗荷谷駅に着きますので























 




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