クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

だいうす町(京都教会巡り・4)

2024-01-13 | 仏教・神道・キリスト教

同志社大学のしきち(敷地)内には、

「南蛮寺の礎石というものが あるらしく、

うちのチットは、それが見たくて 来たのですが

ちょうど、それがある図書館前は

「工事中」で 見ることができませんでした👷

「あの辺かなあ~?👀」「🐻のぞいちゃダメチット あやしい人みたいだよ💦」

 なんばんじ(南蛮寺)というのは、

キリスト教が伝わった戦国時代における・キリスト教会の名称

のぶなが(織田信長)のころに、

なんと

ここ、宗教都市・京都に けんせつ(建設)されました。⛪

けっこう・立派だったそうですが、

 サル(豊臣秀吉)🐵によって、こわされてしまったのです

(信長=新しいもの好きでキリスト教にも寛容。秀吉=途中からキリスト教は天下統一の妨げになると判断

 

キリシタンたちは、

この時・必死で

南蛮寺のかけらを 守ろうとし✊

その一つが、同志社大学のキャンパス内にある「礎石」

そして、

どういうわけだか・わからないけど、

妙心寺の春光院さんに「南蛮寺の鐘」が のこっています🔔

(通常非公開なんですけど、イエズス会の紋章が刻まれてて、まあまあ大きな釣鐘です

 

 ←この、地図の緑色の🔲で囲ったところに、南蛮寺はあったそうで、

地図の上の方のの場所は、「だいうす町」と呼ばれ、

キリスト教区で教会があった、

と 伝わります🔔

 もちろん、「だいうす」とは「デウス(天主)」の意味。モロですね

この、

京都御所から 今出川通りをまっすぐ行った

わりと近いところに、

キリスト教区が あったなんて・・

 あの一角でしょうか

現在の、「上京区油小路通元誓願寺下る」っていうあたりです。

しばし、ウロウロ・・

(この辺が、「だいうす町」と呼ばれた場所でした。)

 

京都の奥深さを かみしめた日でしたね🐻

 

(つづきます)

 

コメント (6)
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