同志社大学のしきち(敷地)内には、
「南蛮寺の礎石」というものが あるらしく、
うちのチットは、それが見たくて 来たのですが、
ちょうど、それがある図書館前は
「工事中」で 見ることができませんでした👷
「あの辺かなあ~?👀」「🐻のぞいちゃダメチット あやしい人みたいだよ💦」
なんばんじ(南蛮寺)というのは、
キリスト教が伝わった戦国時代における・キリスト教会の名称で
のぶなが(織田信長)のころに、
なんと
ここ、宗教都市・京都に けんせつ(建設)されました。⛪
けっこう・立派だったそうですが、
サル(豊臣秀吉)🐵によって、こわされてしまったのです
(信長=新しいもの好きでキリスト教にも寛容。秀吉=途中からキリスト教は天下統一の妨げになると判断)
キリシタンたちは、
この時・必死で
南蛮寺のかけらを 守ろうとし✊
その一つが、同志社大学のキャンパス内にある「礎石」。
そして、
どういうわけだか・わからないけど、
妙心寺の春光院さんに「南蛮寺の鐘」が のこっています🔔
(通常非公開なんですけど、イエズス会の紋章が刻まれてて、まあまあ大きな釣鐘です)
←この、地図の緑色の🔲で囲ったところに、南蛮寺はあったそうで、
地図の上の方の☆の場所は、「だいうす町」と呼ばれ、
キリスト教区で教会があった、
と 伝わります🔔
もちろん、「だいうす」とは「デウス(天主)」の意味。(モロですね)
この、
京都御所から 今出川通りをまっすぐ行った
わりと近いところに、
キリスト教区が あったなんて・・
あの一角でしょうか
現在の、「上京区油小路通元誓願寺下る」っていうあたりです。
しばし、ウロウロ・・
(この辺が、「だいうす町」と呼ばれた場所でした。)
京都の奥深さを かみしめた日でしたね🐻
(つづきます)