クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

五百羅漢寺のお鯉さん

2025-01-21 | クリン江戸散歩

 目黒川を渡り、下目黒にある、

ごひゃくらかんじ(五百羅漢寺)を 目指しました。🐻

 らかん(羅漢)とは、お釈迦さまの弟子。

修行の末に、最高の境地にたっした

半ほとけ(仏)・半人間みたいな、仏教のえらい人です

←この人は、松雲さんといって、江戸時代に「560体の羅漢像」を 生涯かけてほりあげた⤴

めちゃ技巧派の仏師です

 五百羅漢寺には、松雲さんが彫った・らかん(羅漢)像が300以上も 安置されており、

(それを見なければ

って クリンは思いました🐻。

というのも、

今回同行したジェマちゃん(画家)は、羅漢像を自作したことがあるし、

親友チットも「黄檗彫に興味がある」って 言ってたからです。

でも・・

 ジェマちゃんは、制作中、羅漢と向き合い過ぎてしまったためか

「昔のオトコはもうたくさん」と言わんばかりに とおい目をしていたし🌈

チットも、

羅漢堂の中で一体の羅漢像(無量光尊者)と 目が合ったのですが👀、

その像に付せられていた言葉「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」に、

「冗談じゃないわこれ以上私に何しろって言うのよ🔥」

勝手に怒っていました。(※苦労人なのです)

 しかし、松雲さんが彫り上げた「羅漢さん」たちは、

まるで、生きているような眼光👀、表情、そして、オーラをたたえていて

息苦しいほどの迫力・・

(すごいものを見たな🐻

クリンは かんしん(感心)しました。🌊

その境内に、、

 ふと、「お鯉観音」の案内文字を発見。

(これはもしや・・?🐻)と 思ったら・・

やはり、それは、クリンがかつて「明治三美人」に私撰した、美女・お鯉さんをまつる観音さま

だったのです

(※その観音様の写真は撮りませんでした💦クリンたち仏教徒なもので、お堂や御厨司の中の像を直接撮影したりはできないのですっ)

おこいさん(お鯉さん)とは・・

明治から大正にかけての宰相・桂太郎の愛人で、超売れっ子新橋芸者だった、

若い女性です。

おえらいさんの口利きで、権力者の晩年に寄り添い、

そのために、国民からは憎まれた美女・・

彼女が桂太郎の死後、どういう人生を歩んだのか?

気になりながらも、クリン、調べませんでした。

そしたらば⚡

 お鯉さんは、50代になってから、この五百羅漢寺の尼さんに なっていたのです

「👩へえ~~桂太郎と死に別れた後、桂の子どもたちの世話をして、カフェーや待合の女将にもなってるわ。・・・

でもって、帝人事件に連座して、頭山満のすすめで出家 なんだそりゃ

と、

Wikipediaを読み上げたチットが 言いました。

・・・・・

もちろん、桂太郎みたいな総理大臣の めかけ(妾)になって、

ぎごく(疑獄)事件の証人台に立つような女性は、

観音さまのような人ではない、と思います。

でも・・

 生まれてから頼れる人もなく、ただ自らの美ぼう(貌)によって

人生を切り拓いたお鯉さん・・

彼女の生き方を、今の時代の尺度で計って 断じてはならない。

苦労した末に、悔い改めて、仏の道に入ったのならば 

それで良いのではないか?

って 

思いました。

(お寺の年譜によれば、関東大震災で大破した羅漢寺を、

妙照尼となったお鯉さんが 再建したそうです

 お寺の羅漢堂で見た・らかんさん(羅漢像)たち・・

クリンたちにとっては、生々しいオトコたちが何百体もいる

ってかんじで、

(うっ・・)ってなるほど 圧迫かん(感)があったけど・・

お鯉さんみたいに、

海千山千のギラついた男たち(政治家とか)とつきあってきた

花柳界の姐さんからしてみれば、

あれしきの羅漢像、かわいらしく見えちゃっていたのかな

な~んて 思いましたね🐻

※長くなっちゃった💦 次回は、そのお鯉さんも きっとおまいりしているにちがいない、近くの「おしろい地蔵」を見に行きます

コメント (30)
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