97年作品。東京近郊の工場に勤めるミツ(酒井美紀)は、恋人の吉岡(渡部篤郎)と幸せな日々を送っていたが、手首のアザを医者に見せたところハンセン病と診断される。北アルプスの療養所に送られ、吉岡とも会えなくなった失意のミツを療養所の患者たちは温かく迎えるのであった。やがて精密検査の結果、誤診だったと分かり、愕然とするミツだったが・・・・。遠藤周作「わたしが棄てた女」からの映画化で、監督は熊井啓。その年のモントリオール国際映画祭にも出品されている。
結論から先に言おう。最低だ。娯楽性も芸術性も無視し、“ハンセン病患者を差別してはいけません”“らい予防法は改正されました”というスローガンを伝えるため「だけ」に作られた映画である。要するにテーマが映画の外にあり、観客のことを何も考えていない映画である。こういう映画は徹底的に罵倒して二度と作らせないようにしなければならない(← 暴言 ^^;)。
こういうヒロイン像は勘弁してほしい。見るからにドン臭く、何かというとすぐ“ごめんなさい”と伏し目がちに謝っているだけの、暗くて頭悪そうで、実に鬱陶しい女がスクリーンの真ん中にいるだけで気分が悪くなる。デビュー当時に岩井俊二監督の「Love Letter」で瑞々しい演技を見せた女優と同一人物とは思えず、福岡銀行の昔のCMにも及ばない演技を平気でさせる監督の神経にはついていけない。そういえば出てくる連中がどれもこれも判で押したような教条映画的ステレオタイプで、俳優の演技も思いっきりクサく、特に若者の描写なんてヒドいものだ。主演二人が森の中で手をとりあうシーンなんぞ、感覚として50年は遅れているね。
ハンセン病を誤診することなんてあるのかどうか疑問だが、それが判明する中盤以降の展開はご都合主義の最たるものだ。“患者さんたちはみんないい人です”“ミツは療養所に残り、患者さんたちの世話をしました”“ところが長野オリンピックの建設現場で不幸に遭いました”“みんな悲しみました”“いったい誰が悪いのでしょうか”“らい予防法を改正しなかった政府です”“差別をした世間の人です”“長野五輪を誘致したお偉い人たちです”“これを観た良い子のみんなはそんな大人になっちゃダメよ”(書いてて気持ち悪くなってきた ^^;)。こういう実にお道徳な----それも小学校の道徳の授業に使ったら子供から笑われるような----ストーリーが延々と続く。
それにしても、熊井啓ってこの頃から“終わって”しまっていたのに、その後も映画を撮り続けることが出来たのは、彼が昔から邦画界に積み上げてきたコネが相当なものだったことを意味していよう。確かに全盛時の熊井監督は、誰しも知り合いに成りたがるほどに才気走っていたことは事実ではある。
結論から先に言おう。最低だ。娯楽性も芸術性も無視し、“ハンセン病患者を差別してはいけません”“らい予防法は改正されました”というスローガンを伝えるため「だけ」に作られた映画である。要するにテーマが映画の外にあり、観客のことを何も考えていない映画である。こういう映画は徹底的に罵倒して二度と作らせないようにしなければならない(← 暴言 ^^;)。
こういうヒロイン像は勘弁してほしい。見るからにドン臭く、何かというとすぐ“ごめんなさい”と伏し目がちに謝っているだけの、暗くて頭悪そうで、実に鬱陶しい女がスクリーンの真ん中にいるだけで気分が悪くなる。デビュー当時に岩井俊二監督の「Love Letter」で瑞々しい演技を見せた女優と同一人物とは思えず、福岡銀行の昔のCMにも及ばない演技を平気でさせる監督の神経にはついていけない。そういえば出てくる連中がどれもこれも判で押したような教条映画的ステレオタイプで、俳優の演技も思いっきりクサく、特に若者の描写なんてヒドいものだ。主演二人が森の中で手をとりあうシーンなんぞ、感覚として50年は遅れているね。
ハンセン病を誤診することなんてあるのかどうか疑問だが、それが判明する中盤以降の展開はご都合主義の最たるものだ。“患者さんたちはみんないい人です”“ミツは療養所に残り、患者さんたちの世話をしました”“ところが長野オリンピックの建設現場で不幸に遭いました”“みんな悲しみました”“いったい誰が悪いのでしょうか”“らい予防法を改正しなかった政府です”“差別をした世間の人です”“長野五輪を誘致したお偉い人たちです”“これを観た良い子のみんなはそんな大人になっちゃダメよ”(書いてて気持ち悪くなってきた ^^;)。こういう実にお道徳な----それも小学校の道徳の授業に使ったら子供から笑われるような----ストーリーが延々と続く。
それにしても、熊井啓ってこの頃から“終わって”しまっていたのに、その後も映画を撮り続けることが出来たのは、彼が昔から邦画界に積み上げてきたコネが相当なものだったことを意味していよう。確かに全盛時の熊井監督は、誰しも知り合いに成りたがるほどに才気走っていたことは事実ではある。


