元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」

2006-05-07 07:30:21 | 映画の感想(あ行)

 (原題:WALK THE LINE)大した感銘も受けなかったのは、まずホアキン・フェニックスの役作りがピンと来なかったせいだ。

 私はジョニー・キャッシュというミュージシャンを名前しか知らなかった。ラスト近くに本人の歌声が流れるが、それほど歌は上手くない。たぶんパフォーマンス技術よりも、過激な歌詞と独特な存在感が醸し出すカリスマ性で売った人なのだと思う。だからホアキンが必死にキャッシュに似せて彼の人生をなぞろうとしても(歌も吹き替えなしだ)、真から成り切っているようには見えず、単なる“物まねショー”にしかならない。

 映画の内容については、別に言及すべきこともない。底辺から成り上がって、お決まりのドラッグ三昧、無茶苦茶な私生活を送った後、晩年には落ち着いたと・・・・まるで絵に描いたような話だ。

 「レイ/Ray」もそうだが、ハリウッド製の音楽関係の伝記映画ではどうしてこうも在り来たりのネタしか示せないのだろうか。もっと思い切った独創的な切り口を期待したいところである。

 本作でオスカーを取ってしまったリーズ・ウィザースプーン(彼女も吹き替えなしで歌っている)は熱演だが、あの御面相では共感は呼べない(爆)。鑑賞に耐えうるルックスの女優を起用すべし。

 なお、小さい頃に兄を亡くした主人公の生い立ちに、ホアキンの兄リバーに対する想いをオーバーラップさせてしまったのは、私だけだろうか。
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「SF/サムライ・フィクション」

2006-05-06 18:50:03 | 映画の感想(英数)
 98年作品。江戸・寛永年間。地方の某藩で将軍家から預かった宝刀が浪人者(布袋寅泰)に盗まれるという事件が発生。若い家臣(吹越満)らは討伐に出るが、あえなく返り討ちに遭いそうになる。そこに割って入ったのが腕は立つが平和主義者の田舎侍。ケガをした家臣たちを助けるが、好戦的な浪人は田舎侍の娘(緒川たまき)を誘拐し、果たし合いを強要しようとする・・・・。プロモーション・ビデオ界の風雲児と言われていた(私はよく知らない)中野裕之の監督デビュー作。

 「SF」とタイトルにあるから、てっきり「ジパング」とか「戦国自衛隊」みたいに“超時空活劇”(?)だと思ったら違った。シネスコのワイド画面でしかもモノクロ、ケレン味たっぷりのカメラワークといった意匠を除けば、設定も展開もフツーの時代劇である。ならばその線で批評せねばならないが、出した結果は“奇をてらっただけの駄作”ということになろう。とにかくドラマ作りが下手。どこがどうと指摘するのも面倒臭くなるほど全体として幼稚で粗雑でいいかげんである。

 殺陣がなっていない。チャンバラ映画は殺陣がすべてだ。これではママゴトだ。テレビの時代劇よりヒドい。黒澤明の諸作を観て時代劇を撮ろうと思ったという中野監督、だったら殺陣に目いっぱいこだわるべきだが、それに手を抜いているところを見ると、チョンマゲと着物だけで時代劇を作れる思っているらしい。何より映画をナメているのだろう。

 どうして「SF」にしなかったのか。下手な殺陣も安手のSFXでごまかせるし、そういう設定なら大目に見るかもしれない。また、どうしてコメディにしなかったのか。谷啓扮するロートル忍者と頭のキレた浪人のアホ合戦を延々と流せば、ギャグのセンスをどうこう言う観客はいても、殺陣に難癖つける奴は少なかったろう。布袋が刀の代わりにギターを抜いて一曲歌うなんてのも愉快ではなかったかな。

 とにかく、布袋の筋金入りの悪役面以外には何ら見るべきものがない映画。海のものとも山のものともつかないシロートに映画を撮らせるヒマがあれば、実力ある中堅・若手にもっと作品発表の機会を与えるべきだったね・・・・などと、聞き飽きた「正論」を書き連ねてしまう私である(^_^;)。

 なお、中野監督は後年「RED SHADOW 赤影」などという珍作を撮って以来音沙汰なし。まあ、“その程度”の奴だったんだろう。
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「好男好女」

2006-05-05 20:47:00 | 映画の感想(か行)
 (原題:Good Man, Good Woman 好男好女)映画「好男好女」(劇中劇)がクランクインしようとしている。台北に住む主演女優リャンジン(伊能静)は3年前に死んだ恋人アウェイ(リン・チャン)のことを書いた日記が何者かによって盗まれ、それを毎朝FAXで送り付けて来られるのと、同時にかかってくる無言電話に悩まされている。映画は40年代の抗日戦から50年代の大陸人と内省人との抗争(白色テロ)にかけて数奇な運命をたどった女性(伊能静・二役)を描いているが、愛する者を亡くしたという共通の立場から、リャンジンはいつの間にか映画(劇中劇)のヒロインと意識がシンクロしていくのを感じる。台湾の有名監督・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の95年の作品。

 現代の場面と、リャンジンとアウェイの関係を描く3年前の場面はカラーで、劇中劇の昔の場面はモノクロで撮られているが、終盤に近くなるにつれ劇中劇もカラーになっていくところがミソ。つまり、歴史に翻弄された劇中劇のヒロインと同じ意識が現代に生きる台湾人にも流れているということ、そして強い歴史の渦の中にあっても負けない普遍的な愛があるということを表現したかったのだろう。

 さて、テーマはいいとして、肝心の作劇はどうか。これが万全の出来とは言い難いのがつらい。何より劇中劇が簡潔に物語を形成しているのに比べて、現代を描く部分はひどくわざとらしいし、演出のキレも悪い。ヒロインが朝起きてFAXを読む冒頭のシーンは、日本のトレンディドラマを真似したかのような気取りが鼻につき、延々続くワンシーン・ワンカット場面はケレン味しか感じられないし、話のテンポが不必要に遅いのである。

 場末のキャバレーのホステスに過ぎなかったヒロインが、いきなりマジメな映画で主演を張る女優になってしまう展開からして無理がある。私は「恋恋風塵」や「冬々の夏休み」あたりのこの監督のタッチが好きなのだが、現代劇をフィーチャーし始めた同監督の90年代半ば以降の作品はアピール度が不足していると思う。
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趣味的オーディオのすすめ。

2006-05-04 07:23:09 | プア・オーディオへの招待
 このブログを読んでくれている人は数として微々たるものだが(しかも、たぶんその半数ぐらいは私の知り合い ^^;)、もしも読者諸氏諸嬢の中でCD等を100枚以上所有する音楽好きで、しかしミニコンポかラジカセでしか聴いていない人がいるとすれば、是非とも趣味としてのオーディオを始めることをオススメしたい。

 よく“高い機器ばっかり買って、ソフトの数が少ないオーディオマニアなんて、お笑いぐさだ”と言う人がいる。私も同感だ。でも、ソフトをたくさん持っているのに、貧弱な機器でしか聴いていないのも、どうかと思うのだ。

 あまりにも使っている機器が安物だと、好きなCDの“本当の良さ”が分からないのではないか。音として得られる情報量が少なすぎるのではないか。そもそも、それじゃソフトが可哀想ではないか。

 “趣味のオーディオ”と言っても、そんなにカネをかける必要はない。たとえプレーヤーとアンプとスピーカーの基本3点入手するにあたって定価ベースで10万円程度しか出せなくても、十分良い音の機器が揃うのだ(状態の良い中古品や展示品処分等のアウトレット品を狙えば、もっと安く手に入る)。少なくとも、ミニコンポやラジカセとはまったく別の世界が広がることは保証する。

 “でも、10万円以上するミニコンポだってあるじゃん。それじゃダメなのか?”という意見もあろう。それに対し、私はあえてこう答えよう。“ミニコンポは、少々高くても、しょせんミニコンポだ”とね。ミニコンポは掃除機や冷蔵庫と同じレベルの“家電品(≒実用品)”だ。趣味としてのオーディオ用に使われる機器は“嗜好品”である。つまりは方向性が違うのだ。私が社宅で使用しているシステムなんて、今年やっとスピーカーを買い替えたけど、それでも定価の総額では高めのミニコンポとほぼ同じ。しかし、(機能的には負けていても)音自体は高級ミニコンポに大きく差を付けてリードしている。これが“実用品”と“趣味の製品”との完全な違いなのだ。

 趣味として音楽が好きなら、それを再生する機器が単なる“実用品”だったら物足りない。ソフトに興味があるなら、ハードにも趣味性を求めた方が数段楽しい。

 5月5日~7日に福岡国際会議場で「九州ハイエンドオーディオフェア&ホームシアターフェア」なんてものが開催され、私も足を運ぶ予定だが、あそこで展示されている高級機だけが“趣味のオーディオ”ではない。安価でも、自分なりのこだわりを持って機器を選ぶと、ミニコンポとは別次元の“趣味の世界”が開ける。音が良くなると、音楽を聴くのがますます楽しくなり、生活にも張りが出てくるというものだ。ちょうど、今の私がその状態である(爆)。
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「クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ踊れ!アミーゴ!」

2006-05-03 22:10:49 | 映画の感想(か行)

 シリーズ最新作はホラー仕立ての前半部分が印象的。春日部の街の住民が、次々と“そっくりさん”に乗っ取られてゆくというモチーフは、言うまでもなく「SF/ボディ・スナッチャー」のパロディである。しかも、子供向けの番組でこれをやられると、その違和感も相まってけっこう怖かったりする。

 乗っ取られた人間は性格が一変し、しかもサンバを聴くと身体が勝手に動き出すという設定も不気味。特にしんのすけの友人・風間くんの母親がいつの間にか別人になっていて、何気ない日常の中で一瞬おぞましい正体を見せるくだりは、小さい子が見たら引きつけを起こすほどのインパクトがある(そして母親が乗っ取られたことを信じたくない風間くんの純情も泣かせる)。

 野原ひろしの同僚をはじめ、満員電車に乗り合わせた人間がすべて“そっくりさん”になっていたというシークエンスの衝撃度も相当なものだ。

 しかし、後半は「クレしん」らしい脱力的おちゃらけ劇になるのは安心できるというか、拍子抜けというか、まあ“これでいいんじゃないの”と自分に言い聞かせるしかない展開になる(爆)。

 前作「3分ポッキリ大進撃」に続いての登板になるムトウユージ監督は相変わらずアクション場面の作り方がヘタで、活劇場面は隙間風が吹きまくっているが、子供が見るにはちょうど良いのかもしれない。というか、本来子供向けのシリーズに「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」とか「アッパレ!戦国大合戦」とか「夕陽のカスカベボーイズ」みたいな、恐ろしくレベルが高く大人の鑑賞にも十分耐えうる作品が存在したこと自体が“イレギュラー”なことかもしれない(まあ、原作は青年マンガ誌に連載されているし、元々厳密な意味での「子供向け」とは言えないのかもしれないが)。今後この水準でシリーズを続けるということになれば、わざわざ劇場で観る必要もなくなるだろう。

 キャラクター面ではいつもの野原一家やカスカベ防衛隊の面々に加え、事件を追うジャクリーン・フィニー女性捜査官の造型がケッ作。ジャージーの胸のあたりに“ツンデレ”と書いてあるあたりは大笑いだ。彼女の属する組織の名前が“SRI”(注)というのも嬉しい。

 ただし“ぶりぶりざえもん”の活躍の場が今回なかったことは実に残念。次作に期待しよう(とは言っても、観るかどうかは分からないけど ^^;)。

注)SRI・・・・往年の特撮ドラマ「怪奇大作戦」(円谷プロ製作)に出てくる怪奇現象を解決するエージェント集団の名前。そういえば、この映画の前半は「怪奇大作戦」に出てきてもおかしくない展開ではある(笑)。
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憲法論議は冷静に。

2006-05-03 09:46:16 | 時事ネタ
 今日は憲法記念日だ。マスコミでは毎年のごとく護憲派と改憲派それぞれの言い分を取り上げているが、最近は改憲が実現性を帯びてきたことから、例年になく盛り上がっているように感じる。

 私のスタンスを明らかにしておくと、憲法改正賛成である。とにかく、あの意味不明の「前文」をはじめとして、浮世離れした空文を排除し、現実に合うように徹底的に作り直して欲しいというのが本音。

 ただし、昨今の改憲論議には諸手をあげて賛成できないというのも、また事実。何やら“憲法を改正すればすべてオッケー”みたいな風潮ではないか。自民党の某有名H議員がテレビで“拉致問題を解決できないのも、不審艦艇が近海をウヨウヨしているのに手を拱いて見ているしかないのも、すべて憲法が原因。だから改正だ”なんてことを言っていたが、そもそも憲法に周辺海域をどうこうしろなんて条文があるわけがないし、今後も入る予定もないだろう。

 我が国には刑法があるし、破防法もある。現行法で出来る限りのことを、やろうと思えばやれる。憲法には“他国に経済制裁をしてはならない”という条文はない。だからその気になれば経済面で北朝鮮を締め上げることも出来る。では、どうしてそれをやらないのか。つまりは政府の怠慢ではないか。だいたい、あのオウム真理教に対して破防法の適用さえ出来なかったほどなのだ。

 私は今の“憲法改正マンセー”という声は、先の選挙の“郵政民営化すればすべてヨシ”といったシュプレヒコールに通じるような気がしてならない。現行法でかなりのところまで追い込めるのに、責任をすべて憲法になすりつけて、責任逃れをしているのではないか。

 “平和憲法を死守しよう。憲法が変われば戦争への道まっしぐら”と唱える左傾政党の主張は世迷い言である。でも、同時に“憲法さえ変われば全部上手くゆく”という物言いも眉唾物であると思う。我々は将来具体的に示されるであろう改正案の一文一文を、そして政府の過去の対応ひとつひとつを冷静に考察し、是々非々で対応すべきだと思う。

 間違っても“護憲VS改憲”の“(中身の精査抜きの)単純二者択一”にしてしまってはならないと思う。そういうのは脳天気に過ぎる。
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「ホテル・ルワンダ」

2006-05-02 06:57:56 | 映画の感想(は行)

 (原題:Hotel Rwanda )94年のルワンダ動乱に巻き込まれたホテル支配人のサバイバルをスリリングに描くテリー・ジョージ監督作品で、実話を元にしている。

 大上段に振りかぶったような社会派映画ではなく、極限状態におかれた人間が必死の脱出を試みる様子をサスペンスフルに捉えた娯楽作であるところが天晴れだ。我々は映画館に“お勉強”のために行くのではない。楽しむために足を運ぶのである。小難しいウンチクは後回しだ。まずは観客を最後まで引きつけるような魅力を持たないと、どんなに御立派なテーマ設定も無駄骨である。

 ドン・チードル扮する主人公は腕っぷしも強くなく、武器の扱いに長けているわけでもない。ビジネス的に厳しい状況の中、周りの連中や顧客をなだめすかして何とか日々を乗り越えている“普通の人間”である。その彼がなけなしの人脈と小金をフルに活用し、またホテルマンとしての矜持も失わず、次から次と襲ってくる絶体絶命のピンチを紙一重で切り抜ける様子は、大いに共感を呼ぶ。それが上手く描けているからこそ、当時のルワンダが置かれた惨状をも観る者に印象づけられるのだ。

 よく“第三世界での内紛は武器を供与する先進国側に責任がある”などという小利口なセリフを口にする者がいるが、あいにく、最新兵器がなくても彼らは弓矢や槍で虐殺をおこなうに決まっているのだ。この映画でも家庭にある鉈が簡単に大量殺戮の道具になっているではないか。

 要するに“どうしようもない”のである。ニック・ノルティ演じる国連軍将校も(そして私達も)、理不尽な先進国上部の決定に歯噛みしながらも、このロクでもない現実を受け入れるしかない。それが世界の現状なのだ。
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「トゥー・デイズ」

2006-05-01 20:52:57 | 映画の感想(た行)
 (原題:2 Days in the Valley )96年作品。ロスアンジェルスのサン・フェルナンド・バレーを舞台に、ひとクセありそうな男女10人がある殺人事件をきっかけに微妙に交錯し、それぞれの人生のタイミングに遭遇する2日間の人間模様を描く・・・・と書けばえらくマジメな人間ドラマかと思われるが、これは良くできたブラック・コメディである。

 非情な殺し屋(ジェームズ・スペイダー)とその相棒(ダニー・アイエロ)が、深夜民家に押し入り、首尾良く“仕事”を終えたと思ったら、それは被害者の妻(テリー・ハッチャー)の手引きであり、密かに彼女とデキていた殺し屋は口封じのため相棒を殺した・・・・と思いきや、実は生きていて、嫌みな美術商(グレッグ・クラットウェル)の家に乱入して家人を人質に取り、殺し屋への復讐のチャンスを窺っていると、エリック・ストルツとジェフ・ダニエルズの刑事コンビがそれを嗅ぎつけ・・・・という感じで次々と雪崩式にドラマが拡散していき、やがてラストに向かって収束していく。

 散らばっていたキャラクターが映画が進むにつれジグソー・パズルのように収斂していくという作りはロバート・アルトマンなどが得意とするところだが、この映画はロケーションを限定し、もっと娯楽の側に振られている。観客に展開を読む楽しみを与えてくれるあたり「ユージュアル・サスペクツ」を連想させるが、あれほど硬派の犯罪ドラマっぽくはない。かなり笑えるシーンが多い。もっとも、キャラクター設定の非凡さがそれを支えているのは言うまでもないが・・・・。

 特に冷血な犯罪者を楽しそうに演じるスペイダーと、尿路結石の発作に苦しみながらも口八丁手八丁で殺し屋と渡り合うクラットウェルの存在感は際だっている。売れない脚本家兼監督の役でポール・マザースキーが出演しているのには笑った。マーシャ・メースンやキース・キャラダインなどがオイシイ役どころで出演しているのも嬉しい。

 監督はテレビ出身でこれがデビュー作のジョン・ハーツフェルド(後に「15ミニッツ」等を撮っている)。混み入った脚本をテンポ良くさばいて見せる。劇中に登場する奇抜なデザインの現代アートも、この映画をスマートに演出している。
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ツバメが巣をかけた。

2006-05-01 06:42:41 | その他

 私が住む社宅の部屋の玄関上方に、ツバメが巣を作り始めた。まあ、我が家も2月に越してきたばかりだし(至近距離だけど)、新しい部屋の入り口付近にツバメが巣をかけるというのは、縁起が良いのかもしれない。

 ただし、朝起きたらドアの外に泥やら藁くずやらフンやらがいっぱい溜まっており、掃除をするのが大変である。もうすぐするとヒナが生まれてピーチクパーチク賑やかになるんだろうな(笑)。

 それと、写真で見ても分かるとおり、巣をかけているのは火災警報用のベルの上である。もしも警報が鳴るようなことがあれば、たぶん巣は地震時の姉歯系マンションのごとく倒壊してしまうだろう。かといって他に移すわけにもいかないし・・・・。

 そういえば、私の知人の庭に、キジバトが巣をかけたことがあったとか。鳥が好きではないその知人のカミさんは、とっさに福岡市動物園に電話を掛け、

“すみません。ハトの殺し方を教えてください”

と聞いたそうだ(爆)。もちろん私は間違っても“ツバメのバラし方を教えて下さい”などとは人には聞きません。これでも、本来は動物好きなんでね・・・・(と言っても、実際の私を知る人はたぶん信用しないだろうけど ^^;)。
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