桜の写真を撮りたいと思うが、うまくいかない。
去年もそうだったし、今年もそうだ。
ソメイヨシノは花の枝が低いので、クローズアップで撮りやすい。
でも、撮ってみると、何か違う。
枝先のひとかたまりの花、一枚ずつの花びら、
たしかにこれは「桜」だが、これを撮りたかったわけではない。
それではと、ずっと退いて木の全体を入れると、これもまた違う。
見たとおりに、あるいはそれ以下にしか写っていない。
素人がコンパクトカメラで撮るのだから、
見たとおりにでも写れば上出来のはずなのだけれど、
どうしても「これではない」という気がするのは、なぜだろう。
桜は、その花の色の上に、もうひとつ、
何かこの世のものでない輝きをふわりとまとっている。
天女の羽衣のように、薄くて、重さがまったくない。
それが人には感じられるが、写真にはうつらない。
言葉に変換して書きとめるのも難しい。
この文章でさえ、もう4日間も書きあぐねている。
つまり、とらえどころがない。
大きな群れになる鳥や小魚と同じだ。
数があまりに多すぎて、ひとつひとつを見分けられない。
全体を見ようとすると焦点が定まらない。
ただあこがれに似たもどかしさと、漠然とした期待感と、
かすかな不安感を抱きながら、ぼんやりと桜を見上げている。
去年もそうだったし、今年もそうだ。
ソメイヨシノは花の枝が低いので、クローズアップで撮りやすい。
でも、撮ってみると、何か違う。
枝先のひとかたまりの花、一枚ずつの花びら、
たしかにこれは「桜」だが、これを撮りたかったわけではない。
それではと、ずっと退いて木の全体を入れると、これもまた違う。
見たとおりに、あるいはそれ以下にしか写っていない。
素人がコンパクトカメラで撮るのだから、
見たとおりにでも写れば上出来のはずなのだけれど、
どうしても「これではない」という気がするのは、なぜだろう。
桜は、その花の色の上に、もうひとつ、
何かこの世のものでない輝きをふわりとまとっている。
天女の羽衣のように、薄くて、重さがまったくない。
それが人には感じられるが、写真にはうつらない。
言葉に変換して書きとめるのも難しい。
この文章でさえ、もう4日間も書きあぐねている。
つまり、とらえどころがない。
大きな群れになる鳥や小魚と同じだ。
数があまりに多すぎて、ひとつひとつを見分けられない。
全体を見ようとすると焦点が定まらない。
ただあこがれに似たもどかしさと、漠然とした期待感と、
かすかな不安感を抱きながら、ぼんやりと桜を見上げている。