閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

からすのえんどう

2015-05-07 23:52:59 | 日々

烏の豌豆。
花が咲きだす前の新芽や、豆がふくらむ前の若い莢は、
てんぷらにして食べられないこともない。
一度は試したけれど、その後リピートしなかったのは、
可もなく不可もなし、という味だったからだろう。
食材としては、なにしろ小さい。
ちょうどこの時期は、アシタバもミツバもてんぷらで美味しいし、
畑の(本物の!)スナップえんどうも採れはじめるので、
からすのえんどうは観賞用。

 

鑑賞のポイントは、なんといっても巻きひげですね。

 

 

「手をつなぐ」「腕を組む」、そして「固い絆を結ぶ」。
そこまではいいが・・

 

 

ちょっとした「感情のもつれ」から、あっというまに「がんじがらめ」に!
こうなると解決は容易でない。
うーむ、手ごわいゴルディアン・ノットじゃ。

 

 

あちこちの山の藤がみごとに咲いている。

「ふじの はなぶさ とうたらり
とうとうたらり とうたらり」

藤の花を見ると、そんな詩の一節が浮かぶ。
童謡集のような絵本の中にあった。
童謡といっても、知っている曲のついたものはなくて、
見開きごとにひとつの詩とカラーの絵が入っている、
詩画集のような体裁の絵本だった。
「ママにもらったトランプの ダイヤの六は折れました」
というのはサトウハチローの詩で、武井武雄の絵がついていた。
それだけはわりとはっきり覚えている。
「物置はガラス張りにしようね」という、ちょっと寂しい感じの詩は、
もしかしたら白秋だったろうか。
「みぞれ きたかぜ ぼうずやま」とか、他にもいろいろあったような。
記憶がとてもあいまいなのは、自分の絵本ではなく、
わたしの母が子どもの頃に読んだものだからだ。

母の実家は空襲で焼けなかったので、戦前の絵本も残っていた。
泊まりに行ったとき、子どもたち(というのは、わたしと弟)が
退屈しないようにと、祖母が出しておいてくれたのだと思う。
そういう絵本だから、ほんの数回しか見ていないはずなのに、
記憶の断片は、半世紀たっても色あせない。 
そして毎年思い出す。
 

 

はるか遠くから眺めるしかない山の藤。
まったく近寄れません。
 

 

本日のにゃんこ

 

昨夜、というか夜明け前だ。
猫がケンカしている声で目が覚めた。
えーまたかい!と、ライトを持ち、玄関から外に出た。
さんちゃんは前の怪我がようやく治ったばかりで、
まだちょっと足も不自由なので、ほうっておくのは心配だ。 

すぐそのへんだと思ったら、現場は意外に遠い。
うなり合いが一転とっくみ合いになり、ころがり回ってパッと離れ、
一方が逃げ、もう一方が追いかけ、その先でまたうなり合っている。
といっても、姿はほとんど見えない。声と物音だけ。
おもては真っ暗なので非常に歩きにくい。
眼鏡もかけてこなかったし、つっかけサンダルだし。
ああ、これ、まったく同じこと、前にもあったよなあ・・。

相手は今シーズンときどき見かける黒トラに違いない。
全身にぼやけた縞模様が入り、シッポが中途半端に短い。
かなりしつこい性格で、人が追ってもなかなか逃げない。
むこうはむこうで新たなテリトリー開拓に必死なのである。
しかし、残念ながら、たとえキミがさんちゃんに勝ったとしても、
人間に認められない限り、このテリトリーは手に入らない。
そして、人間がそれを許す可能性は限りなくゼロに近いので、
闘争は時間と体力の無駄。あきらめて他を探しなさい。
そのほうがキミのためでもあるのだよ。ね。
・・ということを伝えるすべがないのは困ったものだ。

2匹はいつのまにか畑の柵を抜けて向う側まで行ってしまい、
ワイヤーメッシュの15センチの隙間を、猫は簡単に通れるが、
人は通れないのでぐるっと大回りしなければならない。
それ以上サンダルばきでは追跡できなくなったため、
わたしは急いで走って戻り、スニーカーをはいて出直す。

そのうち、世話焼きの真鈴もやってきて、ふたりして
「さんちゃぁん」「にゃぁぁ」「さんちゃぁぁん」「にゃぁぁ」
と呼んでいたら、やがてそのへんの草むらから、
さんちゃんがのそのそと出てきたのでありました。
やれやれ。
怪我してないか。よしよし。
おうち帰るよ。 
時刻は午前3時。 

 

 

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El Caminito del Rey (動画)

きゃ~~、ゾクゾクッ!
閑猫ちょっと高所恐怖症。
上の動画が怖くて見てられない人は
こちら(静止画)でゆっくりどうぞ。 

幅1メートル弱、高さ100メートル、全長約3キロ。
「世界一危険なハイキングコース」として知られる歩道は、
スペイン南部のマラガ県の山中にある。
1901年から1905年にかけて、峡谷の2つの水力発電所を結ぶ
作業用通路として作られた。
1921年には当時のスペイン国王アルフォンソ8世が
上流のダムの落成式典に出席するためここを通ったことから
El Caminito del Rey(王の小道)と呼ばれるようになった。

当時の写真が、こちら(動画)。
(映画のロケ地にもなったようです)

建設から100年以上たつため、風化や腐食が激しく、
完全に崩落した部分もあるが、息をのむような景観と
スリルは世界中の冒険家をひきつけてやまない。

ということなんですが、じつは2011年から始まった再整備工事
完了し、2015年3月に一般公開されたところ。
上でご紹介した光景よりはずっと安全になっているようですが、
(それでもじゅうぶん怖いんですが)
「せっかくよかったのに台無し!」と嘆くファンも多い、とか。 

コメント
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