おとーさんに遊んでもらうコマ吉。
このごろ動物病院に行くと、飼い主は「お父さんお母さん」と呼ばれるようになった。
まだその呼び方に慣れないので、ちょっととまどう。
わたしなんかは昭和のヒトだからかもしれないが、人間と動物とはきちっと区別したいほうだ。
動物を「人間の子どものように」扱うのではなく、犬は犬、猫は猫としての特性を尊重し、人と動物との間で可能な限り上質のおつきあいをしたい、いや、させていただきたいものだと思う。
しかし、もうじき「平成」が終わると、昭和は「前の前の時代」になってしまうわけで、自分が子どもだったころ、明治生まれの人たちが「いまどきの若いモンは…」と眉をひそめていた、あの位置にこんどは自分が立って「いまどきの…」とかつぶやいている構図になるのかなあ。
どうにもまだ実感がわかないけれど、実感がないというのは、もうすでにそうなってるということかしら。
つきたての安倍川餅はよくのびる。(俳句じゃありません)
先日の夜10時ごろ。
外で猫がうなり合っている声がする。
クレは足が治ったばかりだから、また怪我をしては大変と、助っ人に出ようとしてライトを持ち、ふと見たら、クレは(珍しく)家の中で寝ているではないか。
外の声が聞こえないはずはないのに、まったく反応せず、のんびりしている。
さんちゃんもいるし、他の子も全員そろっている。
あれ? じゃあ、けんかしてるのは誰なの??
耳をすますと、一方はジャッキーのような気がするが、もう一方の声に聞き覚えがない。
どうやら別のよそ猫が来て、うちの前でジャッキーと鉢合わせしたらしい。
同じオス猫でも、こういうとき当事者以外はまるっきり無関心なのが不思議だ。
猫のうなり声は、どんなにやかましくても、向き合っている相手にしか意味をなさない「音」なのだろうか。
「やじうま」というのは猫の世界にはいないらしい。
(馬の世界にもいませんよね?)
唯一、きなちゃんだけが、いっしょうけんめい首をのばして窓の外をうかがっていた。
これは野次馬ではなく、単なる心配性。
また別の夜。夜中の2時ごろ。
さんちゃんのうなり声で、階下をのぞいたら、黒猫が猫ドアからするりと出ていくところだった。
真鈴はストーブの横でまったりしている。
そして、テーブルの下から、さんちゃんが出てきた。
あれ? じゃあ、いま出てった黒猫は誰なの??
そういえば、その夜もっと早い時刻に、猫ドアの外に顔を見せて、そのまま入らずに行ってしまった黒猫がいて、真鈴にしてはよそよそしい態度だなと思ったんだけど、もしかしてあれもよそ猫だったのかな。
前にときどき来ていた黒猫スリちゃん(クロ坊)が、ついに猫ドアの出入りをマスターしたのかもしれない。
ジャッキーとやり合っていたのも、スリちゃんか?
とにかく黒猫は見分けがつきにくく、暗がりではよけいにわかりにくく、ややこしくてしょうがない。
柿、山桜、ゴンズイ、ハウチワカエデ、アカメガシワ、山栗、あと何だっけ。
迷子の夕焼雲。
あ、もう消えてしまった。
わが家のすぐ下の県道で、走ってきた車が、車線を越えて反対側のガードレールに突っ込むという事故があった。
居眠り運転だったそうだ。
さいわい怪我をした人はいなかったが、もしも対向車が来ていたら自損事故では済まなかっただろう。
軽自動車だからガードレールで止まったけれど、大きい車だったら乗り越えて川に落ちていたかもしれない。
その直前にわたしはそこを歩いていた。
県道は幅が狭く、歩道もないのでめったに歩かないのだが、この日はほんとにたまたま、Mが木を切っている現場を見学に行って、その帰り。
ガードレールに沿ってとことこ歩いてきて、右に曲がって橋を渡り、坂をちょっと上ったところで「ガッシャン!」と大きな音が聞こえたので、はっと振り向いたら、車が1台止まり、人が降りて走って行くのが見えた。
積み荷のトタン板でも落としたんだろうと思い、戻ってみたら、別の車が斜めになっていたので、びっくりした。
通るのが30秒遅かったら、車とガードレールの間に挟まっていたに違いない。
考えてみると怖い話だ。
宝くじに当たるのも、車に当たるのも、どっちも「運」だと思う。
わたしは、どっちもいりません。
運転には気をつけましょう。
お月さまゲット。
あー、こらこら、どんど焼きの餅ではないぞ。
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お花のキネティック・ジュエリー。
ものを作る人のしぐさや道具は美しい。
コーンウォール、イングランド。