グ・モーニン。昨朝の空。
東を向いても西を向いても、雲がひとかけらもない。
ほとんど葉の落ちた山桜の右上の空に、明るい星がひとつだけ光っていた。
洗濯物が竿ごとすっ飛ぶほどの強風が吹き、いつまでもあおあおとしていた草木も急速に色づきが進む。
路上の落ち葉は吹き払われ、どんな箒もかなわないほどスッキリきれいになってしまった。
家のまわりで一番早く色づくイロハモミジ。まだ小さい樹だ。
飛んできた葉っぱ。イタヤカエデ? オニイタヤ?
地面に落ちていると茶色でまったく目立たない。太陽光にかざすと、この色。
紅葉・黄葉が美しいのは、光に透けたのを下から見るときだ。
この時期、TVでは連日のように「紅葉の名所」が映る。春の桜、秋の紅葉を、これほど人々が愛でるのは、古来の太陽信仰のなごりではないか…という気がしてきた。
花見も紅葉狩りも、ほんとうの主役は太陽なのだ。
ふだんは眩しすぎて直視できないお日さまを、美しい色の花や木の葉ごしに見上げる。暖かい春がめぐってきたことを喜び、冬になる前の最後のぬくもりを惜しむ。それは、ただ「見る」というより「拝む」に近いのではないか。
桜や紅葉の名所といえば、夜間の「ライトアップ」がつきもののようで、わたしは実際に見たことがないけれど、あんなふうに下から光をあててきれいなのかしらと思う。
青白いLEDライトでは植物本来の色は失われてしまうし、なによりも「拝む」べき対象が不在だ。
アートとしての生け花などを見ても思うことがあるけれど、自然のままより人が手を加えたほうがより素晴らしくなる、というのは、人間の驕りのようなものではないかしら。
晴れた風のない昼間、光に透けるあれやこれやを眺め、きれいだなあと呟きつつ、焚きつけ用の枯れ枝を拾って歩く。閑猫の冬支度。
エリカがもうぽちぽちと咲いている。いつからいつまでを開花期と呼ぶのかわかりにくい。
南天の実も、ようやく色が冴えてきた。
虹眼鏡。
(とくに意味はありません・笑)
窓辺の特等席。
おやあ? 越冬インパチエンス、ひとつの鉢に、3種類のピンクが咲いている。
これでひと株だと思ってざっくり持ってきたら、3本別々だったらしい。鉢、小さすぎたかなあ。
コマちゃんはどーこだ?
ここだよー。お地蔵さんとツーショット。
本日の「いいね!」
この商品をおすすめするわけじゃないけど、ひとりひとりに明るい春が来ますように。