校正刷り。
「ゲラ」とも申します。
ゲラの語源は「galley」で、これは昔の活版印刷で
活字を組んだ組版をいれていた浅い木箱のこと、らしい。
さらにその語源をさかのぼれば、古代ローマの奴隷が漕いでた
「ガレー船」に行き着くらしい・・
(そうだったんだ・・5分前まで知らなかった!)
「銀河鉄道の夜」でジョバンニ少年が働いているのが
活版印刷所・・といえば、イメージ浮かびますでしょうか。
裏返しの活字をぎっしり並べて、版画の要領で
インクをつけて刷ったのが昔の印刷です。
で、要するに、原稿を活字にするとこうなるよ、と。
これで間違いないね、刷っちゃっていいのね、と。
それをチェックするのが「校正」であります。
上の画像は、よく見えないようにしてありますが(笑)
校閲さんの赤ペンがあっちこっちに入っており、
どこにどうルビをふるかという指定などもしてあり、
その間に著者も色鉛筆でなんかかんか書き込んでいるので、
見た目にはキレイではありません。
それでも、データ入稿ができるようになってから、
校正はとても楽になりました。
活字を1つ1つ拾うジョバンニ君はもういません。
パピルスに葦のペンで書いた時代からはじまって、
印刷製本技術はとんでもなく進化してきたけれど、
ヒトがヒトの頭で考えて書いたものだという点では
何も変わっていない。
むしろ退化したんじゃないか・・
とか、言われないようにしないと。
しかし、galleyが「ゲラ」になったのって、
machineが「ミシン」になったより古いのかな・・などと、
またまた余計なことを調べてみたくなってしまったり。
(いつどんな本になるかということは、
またあらためてお知らせいたしますね)
ふたたびMの絵。コピー用紙にボールペンで。
猫の寝場所は季節で変わる。
去年も、きなちゃんは、夏になるとここで寝ていた。
じつは「ここ」に置いてある家具は、去年までとは違うもの。
でも、ちゃんと同じように1匹ぶんのスペースをあけて、
いつでもきななが寝られるようにしてあった。
猫歴があるていど長くなると、ヒトは無意識のうちに
猫に便宜をはかるようになるのである。
部屋のあっちこっちにダンボール箱が放り出してあるのも、
6月なのに冬のひざかけ毛布が出しっぱなしなのも、
みーんな「無意識」ですから。(←ほんとかい・・)
連日来ていたマドちゃんが、ふっつり顔をみせなくなったので、
なんとなく物足りなく思っていたところ、
昨夜はひさしぶりに「にゃおん、にゃおん」とやってきました。
ゴハンを2杯食べ、まだ「にゃおん、にゃおん」と言っていたけど、
3杯目は出なかったので帰っていった模様。
(階下がまっくらなのと、相変わらず人の気配ですぐ逃げるので、
姿はまったく見ることができません。マドちゃんだよね?)
まだ青いプラムの実。鈴なり。
ほんとは摘果とか、しなきゃいけないのでしょうが、
よくわからないのでほったらかし。
ほんのり色づきはじめが綺麗だなあ。
熱帯雨林の巨木・・みたいに見えますが、
そんなことはない、そこらへんの山桜。
今年は桜の実がとても多い。
こんなに多い年は初めてだ。
ヒヨドリがきゃあきゃあと枝の間を飛び回っては
黒く熟した実をついばんでいる。
道には一面に、踏まずに歩けないくらい落ちている。
直径8ミリほどのミニミニ桜んぼ。
熟すとアメリカンチェリーにちょっとだけ似た味で、
甘くはなく、かすかに渋い。
これをホワイトリカーに漬けておくと、
マラスキーノに負けない香りのリキュールができあがる。
こちらが7年物の桜実酒。
良い色になっておりますが、いかがでしょう。
(写真をとっただけでほろ酔いの閑猫・・笑)
階下の壁に大きめの世界地図が貼ってあります。
バスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マゼラン・・
いわゆる大航海時代の船のたどった航路が書き込まれた
ちょっと昔ふうの色調の地図です。
けれど、よく見ると地図そのものは現代の世界の国々。
つまりちゃんと実用品でもあるわけ。
古くなると買い替えるので、これはもう3枚目かな。
先日、真鈴先生が、その地図の前にきちんとすわり、
なにやら真剣な目つきでアラスカあたりを見上げている・・
と思ったら、いきなり
「びよん!」
と華麗なる垂直ジャンプを。
じつは、ふたつ前の記事に使った「パピルス時計」を、
地図の上の端に押しピンでとめてありました。
見間違えたのね。
あれと。
「く」のつくものと。
いや、わたしは、船のコンパスか舵輪のイメエジで・・(笑
ちなみに、水生植物はドライフラワーには向かない、
ということがわかりました。
当然といえば当然。
しかし、やってみるまでわからない人。
ちょっとお仕事上の必要があり、
ネットであれこれ調べものをしていました。
知りたいのは、いろんなものの原料と作り方・・
砂糖とか、せっけんとか、ガラスとか、です。
それで「○○ができるまで」というのを検索していたら、
「サイエンスチャンネル」の中の「ザ・メイキング」
というシリーズに行きあたりました。
その名の通り、「できるまで」を紹介した14分のミニ番組で、
とにかくものすごくいっぱいあります。
「ストローができるまで」とか「輪ゴムができるまで」とか・・
原料が何で、それに何を混ぜて、どうしたらどうなって、と
作る手順をひたすら実写で見せていく、ただそれだけ。
これが、ものすごーく面白い。
素人が知りたい、見たいポイントを正確に押さえて、
無駄なく、コンパクトに、わかりやすく説明してくれています。
学校で「工場見学」に行ったことのある人は多いと思いますが、
音がうるさくて話が聞こえなかったり、においがものすごかったり、
遠くからでよく見えなかったり、しませんでした?
これはおうちにいながらにしてできる工場見学。
それも見学者の入れないような間近で撮影された映像なので、
きっと、現場に行くより、よくわかる。
そして、わかると、きっと誰かに教えてあげたくなってしまう。
原料の搬入から製品の箱詰めまで、ほとんどすべて
ロボットがやってしまうフルオートメーションの工場もあれば、
職人さんがひしゃくですくって鍋で混ぜてる工場もあります。
ついつい、調べてないものまで、あれもこれもと見てしまい・・
工場というと、チャップリンの「モダンタイムス」みたいに
ヒトが機械の部品みたいに単純作業をしているだけ・・
という先入観が、なんとなく、ありましたが、
これを見たら、ちょっと目からウロコでしたね。
だって、そのやりかたを思いついたのも、機械を考えたのも、
作ったのも、動かしているのも、全部ヒトなんだもの。
ああすごい。人間って、なぁんて賢いの!
これから就活をされる学生さんで、なんとなく漠然と
「工場はヤダ、都会のオフィス勤めがカッコいいな」と
思ってる人は、ちょっとこれ見るといいんじゃないかな。
「あ、これ、すごい。やってみたい」というものが
もしかしたら、みつかるかもしれないから。
すくなくとも、わたしは、見ているうちに
だいぶ元気になりました。
人間はオロカな生き物だなんて言う人がいるけど、
そんなことはない。人間は賢い。
いっしょうけんめい工夫して何か作ろうとしている人たちは、
ほんとにカッコよくて、素敵だと思う。
古代エジプトの民は、
ナイル河岸のパピルスを摘んで時刻を知る。
えーっと、ただいま午後3時32分16秒。
(追記: 園芸店でパピルスとしてありましたが、
これはカヤツリグサの一種のようです。すみません・・)
黒々と見えるほどに葉の繁った桜並木の足元で
アジサイがひっそり色づきはじめている。
隣町の田んぼはようやく田植えがすんだところ。
ここは5月の連休まで観光用のお花畑になっているため、
それが終わってから農作業となり、田植えも一番遅い。
気温も上がり、湿度もじゅうぶんすぎるほどで、
いまなら遅く植えても早く育つだろう。
小さい苗が心もとなげに揺れている田んぼから、
車の通る道を隔てて川がある。
水面に何か所か張り渡されたしめ縄のような紐に
白い短冊状のものがひらひらしているのが見える。
何かの神事がとりおこなわれたらしい。が、
もしかしたら、鮎釣りが解禁になったばかりだから、
このあたりの鷺に鮎をとられないための対策かもしれない。
きちんと並ぶ苗のみどりと、空をうつす水のひろがりと、
そのあちこちに降り立っている純白の鷺とのとりあわせが、
あらためて見ると何やら古式ゆかしい儀式めいている。
途切れることなくまわりつづけている四季の中に、
種まきから刈り入れに至るいくつかの重要な節目があり、
そのつど祈ったり、占ったり、祝ったりの儀式があったのだろう。
実ったあとは枯れる一年草であることは小麦も同じだが、
稲はあきらかに湿地の植物なのだということ、
そしてこの国の民族の歴史も文化もすべて
この湿り気あってこそつくられたものだということを、
特に実感するのが田植えの時期だ。
酸素やら二酸化炭素やらに混じって、大気中には
ありとあらゆる草木のエッセンスが溶け込み、
これは何と判別できない花の香が底に重く沈んで
濃厚な特製スープのようになっており、
ヒトは浅く少しずつしか呼吸ができない。
そこらじゅうあふれんばかりの旺盛な生命力に
ぐんぐん押されて負けそうになる。
太古の昔に水から陸に這い上がってきた生物の記憶が
見え隠れするような水無月の空気。
島崎藤村が明治42年に発表した紀行文「伊豆の旅」を読むと、
当時のこのあたりの山村は養蚕が盛んだったらしい。
いまでもあちこちに自生する桑の木はおそらくその名残だ。
明治から戦前まで、ほとんど変わらなかったのではないかと思う。
藤村と友人たちは、大仁で汽車を降り、修善寺まで歩く。
そこから馬車を乗り継ぎ、湯ヶ島、湯ヶ野、下田と
3日がかりで南下している。
下田からは、さらに徒歩で最南端の灯台を見物に行ったりする。
バスもタクシーもない時代だから当然とはいえ、
昔の人はよく歩いたものだ。
そもそも旅行なんて誰でも気軽にできることではなかったのだ。
どこで何をした何を食ったと、子どもの作文のように
ただ書きつらねただけでも、読者は喜んで読んだだろう。
良い時代である。
夫人「おほゝ御馳走申した上に料理談までしろと
被仰(おっしゃ)いますか」
記者「いやどうも甚(はなは)だ慾の深いやうですが
お料理は私一人で御馳走になるのですし、お料理談は
婦人世界数萬の読者が御馳走になる譯(わけ)ですから
どうか是非願ひ度いもので」
夫人は嬌面に微笑を含み「それでは暫くお待ち下さい。
色々のお料理を拵へて苺責めにしてあげませう」
と待つ事しばし、苺料理は軈(やが)て卓上に持ち出だされたり。
記者先づ一皿を前に引き寄せ、「是は何といふお料理で御座います」
夫人「それは苺の天麩羅です」
いきなり漢字だらけの引用で、すみません。
そして、なんでしょうか、苺の天麩羅とは?
記者「是れは何(ど)うしてお拵(こしら)へになります」
夫人「それは先づ苺の取り方からお話し申しませう。
苺を畑から取るには朝でも晩でもいけません。
日中に取りますと香気も味も宜(よ)う御座います」
・・って、レシピをそこから始めるんですか?(笑)
上は、石塚月亭編『手軽實用 弦齋夫人の料理談 第一編』
冒頭の「苺は如何に料理するか」という章から引用。
えーと、この本は、なんでも明治43年の発行らしい。
らしい、というのは、残念ながら実物は持っていませんで、
とある画家さんがお持ちのものを、最初のほうだけですが
コピーしてくださったのです。
これがねえ、めっぽう面白い。
それでは、苺のてんぷらの作り方を。
(長いので、かいつまんで現代語訳で)
1
日中に取った苺は、ざるに入れてゆすぎ洗い、
水を切ってからへたを取る。(これ大事)
2
2つに割って砂糖をたくさんかけて1時間おく。
(「たくさん」としか書いてないんです;)
3
てんぷらの衣は、卵の黄身に砂糖を少し加え、
みりんでのばしてていねいにかき混ぜ、
ウドン粉でもメリケン粉でもさっと加え
(ウドン粉とメリケン粉ってどう違うのだ??)
ねばりが出ないよう、ほんのそうっと混ぜる。
4
ラードまたは胡麻油を熱し、よく沸き立ったところへ
衣に混ぜた苺を、さじですくってすべりこませ、
揚げたら紙にのせて油を切る。
胡麻油の場合は、先にひね生姜を1つ揚げてから
苺を揚げれば軽くできる。
・・ということで御座います。
わたしはまだやってみたことがありませんが、
明治・大正期の奥様方は、本当にこのようなお料理を
お拵えになっていたのでしょうか?
このあと、苺の葛煮、苺のショートケーキ、
(記者これを試みるに味美にして頬の落ちんとするを覚ゆ!)
苺のカスタードクリームかけ、と続く苺づくし。
これが「6月の」お料理であるところもポイントのひとつ。
じつは、うちの畑の苺もようやく採れはじめ、
本日は収穫と草取りでずーっと畑にいたので背中が痛たた・・。
・・と辞して門を出づれば涼風衣を襲うて富嶽の嵐光眉端を撲つ。
(ふりがながなくては読めませんがな;)